その6 パンデモニウムから来た田舎者
「これが世に聞くフェルデンの美術館か! 立派なものだのう!」
巨大なフェルデン市立美術館の門前に立って、ジークルーネは目をきらきらと輝かせた。
そのすぐそばで、レーデル、アルケナルは複雑な表情を浮かべ、セレナは美術館で受けた仕事の顛末を思い出し、軽く身を震わせる。
ルーティはジークルーネに忠告した。
「気持ちは分かるけど、あまりはしゃがないことだね。田舎者だと思われるんじゃないかな」
「田舎者だと? 予のどこが田舎者なのだ」
「だって……ねえ」
ルーティはレーデルに視線を投げる。
レーデルは真剣な表情でジークルーネに告げた。
「僭越ながら申し上げます。スティクスを渡って以降、陛下の言動は何もかもが田舎者にしか見えません」
「そなた……大魔王に向かってその物言い、死にたいらしいな?」
「パンデモニウムを出たら大魔王扱いするなとおっしゃったのは陛下自身でございます」
「むむ……ぐぐぐ!」
今にもブチキレそうになるジークルーネだったが、結局爆発はしなかった。
「おのれ……美しいものを見て美しいと思って、何がいかんのだ!」
「いかんことはないよ。ただ、目立つ立ち振る舞いは控えた方がいいね」
「予の振る舞いはそんなに目立つか」
「目立つのは間違いない。まず、普通の民家をじっくり見つめるのはやめてほしい」
「仕方ないだろう。あのような小さな建物に何人も住んでおるなど信じられぬ」
「あと、果樹園の横を通る時に口を半開きにしてよだれを垂らすのも止めた方がいい」
「よだれなど垂らしておらぬわ! 第一、果物などパンデモニウムで飽きるほど食っておる!」
「でも、木に生っているところなんて見たことないんだろ?」
「そうなのだ! 果物とはあのように木にくっついているものなのだな! 考えたことすらなかった!」
「他にも色々あるけど、共同墓地に入って墓碑銘を片っ端から読み上げるのは絶対に止めよう」
「えええー。墓碑に面白い文句がたくさん書いてあって、読まずにはおれんのだが」
「都市同盟の人間が墓碑にジョークを彫るとかいう風習は俺も理解できない。でも墓地で騒ぐのはよろしくない。田舎者どころの話じゃないよ」
魔界領域を抜け、スティクス川を渡って以降の風景は、ジークルーネにとって何もかもが新鮮であるらしかった。
事情を知るレーデルたちにとってはとても微笑ましく見える光景なのだが、何も知らない一般人からすれば、ジークルーネの振る舞いはとんでもない非常識としか思えないだろう。
(ジークルーネの好奇心を枷にはめたくはないけれど、自由にやらせすぎると人目を引いてよろしくない。難しいところだ……)
などと、レーデルは教育係を気取って心配したりもしていた。
「羽目を外しすぎないようにしてくれ。面倒なことになる前に、監視員の方が警告してくれるはずなんだが……」
パンデモニウムから出発する寸前、レーデルたちは「監視員」の挨拶を受けていた。
「ティシフォネと言います。このたびラガン様からの命を受け、あなた方を監視させていただきます」
赤髪で、羽を広げた蝶のような形の瞳孔を持つ魔族女性だった。
大魔王直属情報組織ネメシスの一員で、すなわちアレクトの同僚であるという。
「必要が無い限りあなた方に接触はしませんが、あなた方の行いは監視して、全てラガン様に報告させていただきますので、どうぞよしなに」
そう告げると、ティシフォネはジークルーネの左腕に黒いアームウォーマーのようなものを装着して、去っていった。
以降、ティシフォネの姿は見かけていない。
(俺たちを尾行しているのかね?)
レーデルはふと思う。あたりを見回しても、それらしい人物はまったく見当たらない。
「もしかしてティシフォネを探しているのか? あやつは尾行しているわけじゃないぞ」
ジークルーネはレーデルに言い返した。
「ティシフォネはこいつで予を監視しているのだ」
左腕の袖をめくり、ティシフォネにつけてもらったアームウォーマーを示す。
「どういうこった」
「今から呼び出してみせよう。そうだな……」
ジークルーネは悪巧みを思いついたような表情を閃かせると、急に正面からレーデルに身を寄せた。両手をレーデルの胸に当て、至近距離から顔を見上げる。
「うわあ! どうした!?」
「このまま少し待て」
ほんの数秒後、アームウォーマーがうごめいた。
一部が異様に伸び上がったかと思うと、小さな黒い手を形成。
その手がレーデルの顔を掴み、思い切り押して、二人を引きはがした。
「うわあ! なんだこいつ!?」
レーデルはいきなり顔を押さえられたことに驚き、直後、黒い手のひらの中央に目が一つくっついていることに気づいてまた驚いた。
その一つ目が、口に変化して、声を放った。
「必要以上にジークルーネ様に接近することは許しませんよ……」
ティシフォネの声でそう告げると、黒い手はスッとアームウォーマーの中に引っ込んだ。
「この通り。ティシフォネは予が悪い男に引っかかるのを病的なほどに心配しておってな」
「憎しみの視線で殺されるかと思った。というかなんだよコレ」
「簡単に言うと、ティシフォネの使い魔だな。これを通して予の周辺を監視し、必要に応じて予を守る。先程のように」
「それで監視されていたのか……。変なところを見せないように気をつけないと……」
ジークルーネの左腕には気をつけよう、とレーデルは心に誓い、ジークルーネの右手側に回り込んだ。
「真面目に目的を果たそうとしている限り、向こうも変なことはしないでしょ……」
アルケナルが、平静を装いつつ言った。
「これからコールプルテのところに行く……? サンドクラム村在住だっけ……?」
「いや、その前に冒険者ギルドに行こう。ジークルーネの冒険者登録を先に済ませる」
レーデルがそう言うと、ジークルーネはぱっと顔を明るくした。
「やっと予も冒険者になれるのか!」
「一つ言っておくと、普通の冒険者は自分のことを予とは呼ばない」
レーデルが指摘すると、セレナも言葉を挟んだ。
「そもそも名前どーすんだよ。さすがに大魔王の名前で冒険者登録とかできねーだろ」
「その辺は適当にごまかす必要があるだろうな。まあまあ、行ってみようではないか。ギルドはどっちだ?」
今すぐ行きたい、という思いを隠さず、ジークルーネはあちらこちらに顔を向ける。
「そういうところが田舎者臭いって言ってるんだよ」
苦笑をこらえながら、レーデルはジークルーネをギルド方面へ導いた。
「シグルーン・ミラクさんですね。きれいな字でいらっしゃる」
ジークルーネが提出した申込書をざっと確認した後、冒険者ギルドの事務員はそう言った。
「なかなかの教育を受けておられるようで……珍しいですね」
「珍しい? そういうものか?」
「はい。極端な話、冒険者稼業なんて、読み書きが出来なくても務まりますので」
「なんと……」
ジークルーネは驚きを隠せないようだった。声をひそめ、レーデルに問いかける。
「世の中とはそういうものなのか」
「ま、そういうものだね。教育を受けてない人間はたくさんいる」
「予はさっそくしくじってしまったようだな。一般的冒険者を装わねばならぬというのに」
「書いてしまった物は仕方が無い。貴族崩れでやたらと教養がある冒険者もいないわけじゃないし、気にするな」
「その線で行くか。身についた教養は隠しようがないからな」
一方で、事務員はジークルーネに対し、なにやら同情的な視線を向けていた。
「あの事務員、多分、ジークルーネのことを没落貴族の末裔かなんかだと思ってるぜ」
少し離れた場所でジークルーネたちを見守っているセレナが、評して言う。
同感ね、とアルケナルは頷いた。
「いずれはどこか由緒ある家の嫁になるはずが……諸事情あって冒険者稼業にまで身を落としている……とか考えてそうね、アレは……」
そのためか、事務員は妙に優しげな声で、ジークルーネに語りかけてくる。
「初めてギルドメンバーとして登録していただく際には、テストを受けてもらうことになっているんですよ」
「テスト? それはどのような?」
「冒険者としての実力を量るんです。足切りではありませんから安心して下さいね。よほどの下手でも無い限り、不合格にはしませんから」
そう告げられて、ジークルーネはちらりとレーデルを見る。
「そういやあったなあ、そんなの」
と呟いてから、レーデルは声をひそめた。
「ド派手な魔法は使うなよ。セレナに見せたみたいな幻惑術も控えろ」
「わかっておる」
馬鹿にするな、とでも言いたげな視線を送ってから、ジークルーネは事務員に言った。
「剣の腕を証明しよう」
「承知致しました。ご都合がよろしいようでしたら、今すぐにでも受けていただけますが?」
事務員の問いかけに、ジークルーネは胸を張り、堂々とした態度で応じた。
「おうとも。どうすればいい? ドラゴンの首でも持ってくるのか?」
ジークルーネの言葉に、事務員は一瞬ぎょっとしたが、すぐに冗談だと判断して、小さく笑った。
「いえいえ……うちの者と軽く手合わせしていただくんです。ドラゴンの首なんて、そんな物騒な」
「身についた田舎者らしさも、隠しようがないみたいだね」
小声で呟いたルーティを、ジークルーネは思い切りにらみつけた。




