その5 大魔王、旅に出る
「何を言い出すのですか、姫様!」
ラガンが声を張り上げる。この申し出は、ラガンにとっても予想外だったようだ。
「姫様呼ばわりはよせ」
うんざりとした顔を浮かべてから、ジークルーネはラガンに反論した。
「広く世界のことを知るべきだ、とラガンは予に何度も語って聞かせてきたではないか。せっかくその機会が向こうから飛び込んできたというのに、いざ実践となると、ラガンは反対するのか?」
「それは先代様が亡くなる前の話でございます。魔界を統べる大魔王ともあろうお方が気軽に出歩くなど、あってはならないことです!」
「それでは、予が大魔王である限り、予はどこにも行けないではないか」
「世界のことを知るならば、大魔王の名の下に遊覧を行えば良いでしょう。百人ほど護衛の者をつけて……」
「そんな仰々しいマネでは意味が無い。予は一般人を装わねばならぬ。誰が大魔王に対して正直な意見を述べるのか。なあ?」
突然同意を求められて、レーデルは少々焦りつつ、
「それは、その通り」
とジークルーネを肯定した。
世間の真実を知らない――それはレーデルとて他人事ではなかった。
帝国内、特に教会から教えられたこの世の様々なことが、実は大方、教会に都合良く歪められたウソだらけだった、という現実を、レーデルは知っている。
そう悟ることができたのは、帝国の外へ旅に出て、様々な事物を自分の目で見て感じて、時には現実に打ちのめされたからである。
帝国の中にいるばかりでは、そんなことに気づくことすらできなかっただろう。
それを思えば、ジークルーネはレーデルよりもはるかに立派だと感じられる。世間の真実を知る機会を得たい、と望んでいるのだから。
「……結構。身分を隠しての旅に出たいなら、引き受けよう。俺が護衛を務める」
レーデルは申し出た。
ジークルーネの顔が一気に明るくなる一方で、ラガンの顔はますます曇る。
「貴様、何を言っているのかわかっているのか?」
「もちろん。王様や王子様が身分を隠して諸国を廻る話は聞き慣れてますのでね。『暴れん坊大王』とか『天下の副将軍』とか……」
「おとぎ話と現実は違うのだぞ」
「理解しています。ご心配はもっともですが、このレーデル・クラインハイト、一命に代えてもジークルーネ様を守ってみせます」
レーデルは静かな口調で大見得を切った。
(このくらい大仰に言わないと、ラガンは納得してくれないだろう)
あくまでもラガンを説得するために大口を叩いてみせたのだが――
「気に入った! レーデル!」
満面の笑顔を浮かべたジークルーネに背中から飛びつかれたのは、予想外だった。
「会ったばかりの予のために命を賭けるなど、言い切れる者はこのパンデモニウムにもそうはおらんぞ! 迷惑をかけるかもしれんが、よろしく頼む!」
決定事項であるかのように語って、ジークルーネは力一杯レーデルを抱きしめ、離さない。
レーデルは泡を食いながらも、神妙な表情を保ち、ラガンの反応を待つ。
ラガンは長いこと眉と口元をぴくぴくと動かし、何かを言いたそうにしては引っ込める、ということを何度も繰り返していたが――ついに、
「……仕方あるまい……」
折れた。
しかし、今にも引き裂かん勢いでレーデルをにらみつけると、
「一命を賭す、との言葉は額面通りに受け取る。姫様に何かあれば、わしは貴様を地獄の果てまで追いかけて殺すからな」
と力一杯釘を刺した。
その言葉の意味をじっくりと味わってから、レーデルは平静を装って答えた。
「俺は、死んだ後は天国に行く予定ですけどね」
旅装に身を固めたジークルーネが、宮殿の中庭に現れる。
パンツルックにレザーアーマー、というジークルーネの格好は、遠目には男性のように見えた。
「なんでも、母もこのような格好を好んだというのだ」
身体を動かし、旅装の具合を確かめながら、ジークルーネは語った。
「悪くない。金に任せたド派手な鎧でも着てくるんじゃないかと心配していた」
レーデルは素直な感想を述べた。
「新品に見えるのが少しアレだが、問題ないだろう」
「新品ではいかんのか」
「全身を新品武装で固めているのは駆け出しだからな。なにかとなめられる」
「歴戦の冒険者だって、新品の鎧が着たくなる時もあるだろう」
「歴戦の冒険者には、それなりの風貌が身につくもんだ。駆け出しと間違えられることはない」
「むむむ……」
「ま、駆け出しだろうと、分をわきまえていればそれでいい。実力も実績も無いのに、見た目ばかり立派で、大口を叩いてばかりって奴ほどうざいものはないからな」
「あー。いるよな、そういう奴」
セレナが話に割り込んできて、ジークルーネの腰に下げた剣を見やった。
「モノなんて、それなりに使えりゃそれでいい。大事なのは武器を振るう腕前だぜ。というか大魔王様、戦えんのか?」
挑発的な視線を、ジークルーネに向けるセレナ。
「さっきレーデルはでけー口を叩いたけど、足手まといの尻ぬぐいをさせられるなんてゴメンだからな?」
「その心配は無用だ。それなりに剣の心得はある」
するり、とジークルーネは腰の剣を抜き、その切っ先をセレナのつま先へ向けた。
その所作は、いかにも剣を扱い慣れている風だった。素人とははっきりと違う。
それを見て、セレナはニッと笑り、ガントレットをはめた。
「ふーん。ちょっとやってみるかい?」
「やめなさいって、セレナ……」
アルケナルが制止の声を投げる。
「こんな場所で大魔王に拳を向けるなんて、万が一でもあったら……」
「気にするな」
ラガンの姿が見当たらないのを確認してから、ジークルーネは言った。
「予は諸君に腕前を証明したい。いい機会だ。なぁに、加減というものはわかっている……」
そして、挑発的視線をセレナに返した。
「この場でセレナを傷つけるようなマネはせんよ」
「……言ってくれるじゃねえか!」
突如、セレナが突進した。
一瞬で間合いを詰め、ジークルーネの喉元へ正拳を放つ。
ジークルーネは何も反応せず――
ふわり、とその姿が消えた。
「!?」
セレナの拳の風圧が、ジークルーネの幻影を消し飛ばした――そういう風にしか見えなかった。
ジークルーネを見失い、顔色を変えたセレナの肩に、軽く剣が置かれる。
ジークルーネはセレナの背後を取っていた。
「……これでわかってくれたかのう?」
首だけを回したセレナに、ジークルーネはにっこりと微笑んだ。
「な……何しやがった!」
「予は幻惑魔法が得意でな。こういうこともできる、と示したまで」
と語って、剣をしまう。
セレナは緊張を解き、お手上げのポーズを取った。
「……わかったよ。足手まといの尻ぬぐいをする必要はなさそうで、うれしいねえ」
悔しさをにじませつつも、降伏の態度を見せる。
レーデルも安堵の表情を浮かべた。
「俺も安心した。さっきはつい出任せであんなことを言ったけど、もし大魔王様の腕前がアレだったらどうしようかとも思っていた」
「幼い頃から、武芸魔術、ともに叩き込まれておるわ。さもなくば大魔王の座を継承するなど許されんのでな」
「ならいい。……ところで、今さら聞くようなことでもない気がするけれど、大魔王がパンデモニウムを空けるのはいいのかな」
「全てラガンが取り仕切ってくれる。故に問題ない。ほれ見ろ」
ジークルーネが前方を指さす。
レーデルたちが振り返ると、ラガンがこちら目がけて歩いてきていた――ドレス姿のジークルーネとともに。
「あっれ、おかしいな。向こうにも大魔王陛下がいるように見える」
レーデルは疑問を口にしたが、実のところ疑問に思ってはいなかった。ジークルーネの幻影をつい先程見せられたばかりなのだから。
ラガンはジークルーネのそばまで歩み寄ると、感極まったように言った。
「姫様……先代様そっくりのその姿、美しゅうございますなあ」
「姫様呼ばわりはやめろと言っている」
ジークルーネの声を無視し、ラガンはレーデルを殺人的な視線で突き刺した。
「いくら姫様が美しいからと言って、手を出したら許さんぞ。その場合は、男として生まれたことを後悔する目に遭わせてやるからな」
「あらイヤだ。それってどういう意味かしら」
冗談めかしてレーデルは応じたが、すぐに態度を改めた。
「大魔王相手にどうこうしようとかいう度胸はないです」
「フン。……陛下も、お気を付け下さいますよう……」
「わかっておる。そちらこそボロを出すなよ?」
ジークルーネは、自分の幻影に目を向けた。
本物と異なっているのは、幻影のジークルーネの顔がドクロになっているという点である。
「影武者かな」
「さよう。ラガンの生み出した幻影だ。完璧な予の模倣であろう」
「ちょっと顔がブサイクなように見えるけど」
「威厳を高めるための演出だ。というか、これは実際に予が持っている物でな」
背負っていた背嚢を下ろして、ジークルーネはマスクを取り出した。
顔の下半分を覆うマスクを、ジークルーネは自分で装着してみせる。表面にはむき出しの歯列が描かれていた。
「どう見える?」
「夜道で出くわしたら漏らすかもしれない、という程度には怖い」
「……所詮、その程度であるよな」
レーデルの正直な意見に、ジークルーネは肩をすくめた。
「予は、大魔王にふさわしい威厳と恐怖を備えたマスクが欲しい」
「そこまで見た目が大事なのか」
「むろん。美少女として生まれたが故の負い目という奴だ」
「…………」
「何故黙る」
「いや、まあ、美少女という点には文句の付けようがないからね……」
「ふむ。予の悩みを理解してもらえたなら幸甚の至りだ。故に、然るべき者に、予にふさわしいマスクを発注しようと思っている。コールプルテという芸術家を知っているか?」
「コールプルテ? あの人に発注するの?」
「知っておるのか。なら話は早い。まずは魔界領域を離れ、コールプルテのもとへ行こうではないか。フェルデンとかいう同盟都市の近くに住んでおるのだったな?」




