その2 大魔王の幻影
「思ったより、静かだよな?」
宮殿前の壮麗な門柱の間を通り抜けながら、セレナはレーデルに呟いた。
「大魔王の城って、とんでもねーバケモンが何十匹もうろついているとかいうイメージがあったんだけどさ」
「ここ、きれいな庭園だからなあ。バケモノをたくさん置いたら、あたり一面ウンコだらけになって大変そうだ」
「身も蓋もねーことを言うなあ」
「こんな場所じゃ、バケモノにエサを用意することすら一苦労だろ。ま、大魔王様とその一味がお住まいになっているんだから、どこかから食料を調達する手段はあるんだろうけど」
怪物の姿はどこにも見当たらず、衛兵も皆無とは言わないが、ぽつりぽつりと見かける程度。代わりに――と言えるかどうかは謎だが、文官風の出で立ちをした魔族の姿が目立つ。
「役所みたいよね……。大魔王も為政者、ってことかしら……」
と、アルケナルが所感を述べた。
一行は待合室に通され、しばし待たされた後、謁見の間とおぼしきフロアに導かれた。
広大な長方形の部屋で、天井はどこまでも高い。壮麗にして厳かな雰囲気が、レーデルたちの双肩にのしかかる。
このあたりの設計は帝国、あるいは諸王国の宮殿ともさして変わりない。「王の権威を演出する」という考え方は人間も魔族も差がないらしい、と思い知らされる。
ただ一点、他の王宮と明白に異なるのは、部屋の奥――大魔王が立つ側の一角が異様に暗いという点だ。天窓の光が届かないように設計されていることもあるが、それだけではこの闇の深さは説明しきれない。
「……あれは魔法でわざと暗くしてあるわね……」
と、アルケナルは見て取った。ルーティも同意する。
「そうみたいだね。ま、ボクには意味ないけどね」
「ルーティにはあの闇の向こうが見えるのか」
レーデルに問われて、ルーティは頷いた。ルーティの目には、闇や幻覚を見通す力が備わっているのだ。
「まあね。というかたった今、見てはいけないものを見ているような気がする」
「本当かよ。今すぐ俺と視界をシンクロさせろ」
「いやいや、それは無粋だね。別に危険じゃなさそうだし、まずは大魔王様の歓迎を受けるといい」
呪いの力を通じ、視界をレーデルと同期させる力を、ルーティは敢えて発動させなかった。
レーデルはルーティを説得しようとしたが、それより早く、闇の中から一人の男が姿を現した。
「……遠路はるばるご苦労だった。元勇者、レーデル・クラインハイト」
獅子のごとき面相をした、壮年程度に見える魔族の男性だった。中背ながら身体は大きく、その黒い着衣は筋肉で盛り上がっているものと見えた。眼光は鋭く、口は堅く引き結ばれ、いかめしい雰囲気をまとっている。
右手に儀仗に見える長い杖を握っていたが、歩行に杖が必要な人間には見えない。おそらくは普通に武器として使える代物だろう。
ただ、この人が大魔王というわけではないな、とレーデルは直感した。
一歩前に出て、レーデルは挨拶を返した。
「このたびはご招待いただき、大いに感謝する。ええと……」
「ラガン。パンデモニウムの宮宰である」
と、獅子のごとき男は自己紹介した。
「宮宰?」
聞き慣れない単語を、セレナはアルケナルに聞く。
「宮殿管理の一番えらい人、くらいの意味かしら……。あとおそらく、大魔王の第一の側近ってところでしょうよ……」
「とりあえず、あのおっさんが大魔王じゃないんだな」
そう、セレナは納得した。
ラガンは女性二人に視線を投げた。
「そちらの方々はお連れかな」
「セレナ・ラ・ス・アルゲティだ」
「アルケナルとお呼び下さい……」
セレナとアルケナルの名乗りを受けてから、ラガンは語り始めた。
「このたび貴殿らを招待したのは他でもない。慈悲深くも陛下が貴殿らの活躍に興味を示し、――」
「……ラガン。能書きはいらん」
闇の中から、ラガンを制する声が飛んできた。
若い女性の声だった。
ラガンはわずかにうろたえたが、咳払いをして気を取り直し、改めて直立した。
「……失礼しました。陛下のおなりである」
その声とともに、ズン! と地響きがした。レーデルたちはわずかに目を見開く。
ほどなく、闇の中から巨大な前肢がぬっと出てきて、床を踏みしめた。ズン! とまたしても地響き。
もう一方の前肢とともに、その姿があらわとなった。
白い鱗に身を包んだ異形のドラゴンが、巨大な前半身を光の中に晒した。
長く伸びた首の先にあるのは普通の頭部ではない。女性の上半身が、ドラゴンの頭の代わりに生えている。美しい黒髪の下にあるのはドクロのうつろな眼窩。その身体は赤く、皮膚をはぎ取った肉の色を思わせた。
怪物、としか言いようのない異容だった。
さしものレーデルとて、恐怖を覚えずにはいられなかった。
(とんでもねえバケモノじゃねーか!)
一方、ルーティはショールの中で感想を述べた。
「大魔王ともあろう者が、ちょっとブサイクなんじゃ……」
「黙れこの野郎!」
小声で、しかし激しい調子で、レーデルはルーティをたしなめた。
(でも、ここでビビったらなめられるぞ……!)
己にそう言い聞かせ、内心の動揺を隠して、「この程度、見慣れてますが何か?」という態度を保ち、首をもたげてドクロを見返す。
そのドクロの口が開いて、声を紡いだ。
「我が名は大魔王ジークルーネ……。ご苦労であった、元勇者よ……」
おや? とレーデルは疑問を覚えた。
何故か声に違和感がある。
何がおかしいのか、と考えて、
(声の飛んでくる方向がおかしくないか?)
という点に思い至る。
「貴公らの下界での活躍は話に聞いている。つい先日も、ここに来たペルシスから様々に聞かせてもらった……」
違和感は変わらなかった。本来ならば頭上から声が降ってくるはずのところ、真横から聞こえる。まるで、レーデルたちの正面に立っている人間が声を出しているかのような。
先程のルーティの話を思い出して、レーデルはある答えにたどり着いた。
「ちょっと失礼?」
レーデルは思い切ってドラゴンに接近し、その前肢に触れようとした。
すかっ、とレーデルの手は空を切った。
「……幻影じゃないか!」
そのままレーデルは踏み込んだ。身体ごと、ドラゴンの前肢をすり抜ける。
「……おう。もう見破りおったか。さすがは元勇者といったところか?」
ジークルーネの声とともに、ぱちんと指を鳴らす音。
途端、異形のドラゴンの幻影は一瞬で消え去った。
しかる後、暗闇の中から一人の少女が姿を現す。
白黒模様のドレスに身を包んだ、やや長身の魔族女性だった。
「ちょいとビビらせて、醜態を楽しもうと思ったのだが。ひっかからなんだか」
ジークルーネはレーデルを横目で見て、ニヤリと笑った。
改めて、レーデルは大魔王の姿に見入った。というのも、想像以上の美少女だったからである。
白い肌に、知性を感じさせる整った顔立ち。ショートヘアは限りなく白に近く、二本の黒い巻き角が頭部を守るように生えている。手足は長く、身体はとても女性的に引き締まっていた。
年の頃はレーデルより少し下に見える。魔族の見た目年齢は人間のそれとは大きく異なるので、実際のところは謎だが。
大魔王という肩書きのイメージから著しく逸脱した人物が、そこにいた。
「……俺が腰を抜かすところを期待していたのか。趣味が悪い」
やっとのことで、レーデルが言う。
「陛下に向かってそのような言葉遣いは無礼だぞ」
ラガンはレーデルを叱責しようとしたが、ジークルーネは手を伸ばして制した。
「構わん。元、とはいえ、勇者が大魔王に対して言葉を選んでどうするのだ」
ラガンを引き下がらせてから、ジークルーネはレーデルに笑顔を見せた。
「パンデモニウムにこもっておると、人をからかって気晴らしがしたくなる。許せ」
レーデルはちらりとラガンを見やる。
ラガンは無表情のまま、特に何かを言いたげという風でもなかった。
(このおっさんもこのイタズラの片棒を担いでいたな……)
と、レーデルは見た。
大魔王にイタズラで歓迎されるとは予想外に過ぎた。が、話の通じない堅苦しい相手ではなさそうだ、とやや気楽にはなった。
「しかし、何故分かった? 予の幻影術はかなり完成度が高かったと思うのだが」
ジークルーネに問われて、レーデルは素直に答えた。
「声が飛んでくる方向が違った」
「そうか! よく考えてみたらそれもそうだな」
「白い竜の足音も偽物だよな? アレはしっかりしてたのに、何故大事なところで手を抜くのか」
と言ってから、「大魔王に対してこの言い方は不遜か?」とレーデルは一瞬ひやりとしたが、ジークルーネは気にする風もなかった。指摘を普通に受け入れて、考え込む。
「声の出所か。言われてみれば当たり前のことを、何故気づかなかったのか……反省だな。とすると、あらかじめ首の位置を低く見せるのが手っ取り早いが……それでは大魔王としての威厳が損なわれるか……?」
「たかがイタズラなのにそこまで気にするかね」
「おう、これはただのイタズラではないぞ。重大な悩みなのだ」
「悩み……?」
怪訝な顔をするレーデルたちに対し、ジークルーネは悩みを切々と説いた。
「見れば分かると思うが、絶世の美少女として生まれついたのが予の悩みでな」
「…………はあ……」
「どこぞの家に嫁に行くだけならば全然問題ない。だが予は大魔王なのだ。予のように、かわいいだけしか取り柄がないように見える大魔王では、誰も彼もがなめてかかってくる。陰では威厳がないだの忠誠を捧げる価値がないだの全然怖そうに見えないだの、好き放題言いおって。故に、大魔王としての威厳を保ち、会う者に畏怖の念を押しつけるため、日々己の見せ方というものを研究しておる。先程見せたのは、その一環というわけだ」
「……見た目は文句ないね」
一応レーデルが褒めてみると、ジークルーネは嬉しそうに目を輝かせた。
「悪くなかろ? ビジュアル面ではほぼ完成と言っていいようなものだ。方向性はアレで問題ない。あとは細部を詰めていくだけだ。とにかく相手を怖がらせるためには、――」
「……陛下。そろそろ本題に」
ラガンの声に割り込まれ、ジークルーネは一旦口を閉ざした。
「……おう。これは関係ない話であったな。そなたのことはペルシス経由でも聞いているし、世間の噂でも聞いている。口さがない人々からは変態勇者などとも呼ばれているようだが――」
「そのことは思い出させないでくれないかな」
レーデルは肩を落とす。
と、ジークルーネは同情的な態度を見せた。
「まったく、酷い話であるな。美少女フィギュアを手放せないだのと……。その美少女フィギュアは、予の母が作らせた物だぞ」
「そう言えば、そうらしいね」
ショールの中からルーティが顔を出した。
途端、ジークルーネはルーティに顔を寄せた。
「そこにおったのか! そなたらをここに呼んだのは他でもない、我が母の遺品を一度この目で見てみたかったからなのだ。よいかな?」
「どうぞどうぞ」
レーデルの許可を得て、ジークルーネはルーティを手に取ると、そこに母の面影でも見たかのように目を潤ませ、そして強く抱きしめた。




