その1 魔界門を越えて
「これが魔界門ねえ……」
レーデルは、初めて目にする魔界門の全容に息を呑み、ただ見入った。
魔界某所の洞窟の奥深く。過去、何者かによって掘られたとおぼしき道を下り行った、その一番底。
広大な空間がぽっかりと開いていて、魔界門はその中央に浮いていた。
話に聞くとおり、魔界門は巨大な水の玉のような姿をしていた。暗闇の中にあって、魔法の光球の輝きを反射。白い照り返しをゆらめかせている。
「すげー場所だな。なんでこんなクソめんどいところにパンデモニウム入口があるんだよ」
セレナは嘆いた。
ここに至るまで、レーデルたちはたびたびモンスターに行く手を塞がれ、そのたびに打ち倒してきた。大苦戦とまではいかないにせよ、死の危険が伴う敵ばかりだったことに違いは無い。
「大魔王の居城入口が、そこらのお店みたいに気楽に入れる場所にあってもまずいだろ。たしかに、何を考えてこんな洞窟の奥に入口を作ったのは謎だがな」
「よほど古いものみたいだし……昔の人には昔の人なりの理由があったんでしょうよ……」
魔界門に手をかざし、たたえられた波動を感じ取りながら、アルケナルが言う。
「とにかく、ここに飛び込めば……パンデモニウムに行けるのよね……?」
「そのはずさ。ボクがそばにいればね」
ルーティがレーデルのショールの中から顔を出した。
魔界門は宙に浮いている。と言っても地面から数十センチの高さだ。その中に身を委ねることはさして難しくはなさそうだった。
「レーデルは、そりゃいいさ。あたしらはどーすりゃいいのよ」
セレナの疑問に、アルケナルが答えた。
「レーデルとくっついてみるしかないんじゃないかしら……?」
アルケナルはレーデルの左腕を取り、がっちりと肩を組んだ。
「アホっぽいけど、それしかねーか」
応じて、セレナもレーデルの右腕の下にもぐり、力一杯身を寄せる。
洞窟の奥底で、三人の冒険者はがっちりと肩を組んで並んだ。
レーデルとしては、気分は悪くなかった。
「両手に花だな」
「今から川に飛び込む三人の酔っ払いだろ、こりゃ……」
「とにかく、行くわよ……!」
アルケナルの声を合図に、三人は同時に魔界門へ接近し、頭を突っ込んだ。
無意識のうちに、レーデルは息を止めていた。が――
(これ、外からだと水玉に見えたけど、水じゃないな?)
ゆっくりと息を吸うと、普通に呼吸が出来た。水か、それに類するものが鼻に入ってくる感覚は無い。
ただ単に、魔界門独特の揺らめきが、内部を水のように見せているだけらしかった。
と同時に、奇妙な浮遊感に囚われる。
身体が奥に入っていくほどに大きくなっていき、ついには足が地面から離れる。
全身を門の中に委ねる。
無重力感。
一瞬混乱に襲われるも、すぐに我に返り、セレナとアルケナルをぎゅっと捕まえる。
「おいレーデル! 変なところ触るんじゃねーぞ!」
とセレナは大きな声を出してから、
「……って、門の中でも普通に声が出るのかよ!」
という事実に気がついた。
「そのようね……でもセレナ、むしろしっかり捕まりなさいよ……ここでレーデルと離れたら、どんなことになるか……」
短時間のうちに上下感覚さえ失われていた。アルケナルはより強くレーデルにしがみついた。
「上を見ろ」
頭上の方向から――本来の意味での上方向かどうかは謎だが――降ってくる光が、少しずつ強まっていくのをレーデルは見た。
軽くバタ足をして、レーデルはセレナ、アルケナルとともに光へ向かっていく。
光はどんどん大きくなり、やがて視界が真っ白になって――
「……ふあっ」
気がついた時、レーデルたちは白い大理石の床に着地していた。
白い柱で支えられた東屋の屋根の下に、レーデルたちはいた。
「転移した……のか……?」
辺りを見回す。
東屋は小さく、目の前には緑の芝生の庭園が広がり、その向こうには真っ白い大きな宮殿がそびえていた。
「ここがパンデモニウムかよ。イメージより全然きれいだな……」
セレナが呟く。向こうの宮殿を見つめ続け――少しして、レーデルに思い切りしがみついていることに気づく。
「……おう! 何くっついてやがるんだ!」
半ばレーデルを突き飛ばす格好で、セレナは身体を剥がした。
乱暴な動きに、アルケナルが咎めの言葉を口にする。
「くっついていたのはそっちでしょ……落ち着きなさいよ……」
「そっちこそいつまでくっついてんだよ!」
セレナに指摘され、アルケナルもレーデルにしがみついていることにやっと気づいた。やや顔を赤くしながら、身体を離す。
「俺としては、ずっとくっついてもらっていてもよかったんだがな」
真面目な顔で言い切るレーデルに呆れてから、アルケナルは自分の身体をなで回した。
「全然濡れてないわね……ベタベタにされてたら、それはそれで困るんだけど……」
「魔界門の不思議な力なんだろうな」
レーデルは振り返り、自分たちが出てきた場所を見る。
巨大な姿見のような物が、そこに立っていた。巨大な四角い枠の中が、魔界門と同じ輝きを放っている。水のようにゆらめいているが、水ではない。
指先を突っ込んでみると、魔界門と同じ感触が返ってくる。向こうは球体、こちらは平面だが、まったく同質のものなのだろう。
「おいレーデル。誰か来るぞ」
セレナに裾を引っ張られ、レーデルは宮殿方向に向き直る。
鎧と槍で身を固めた、衛兵とおぼしき人間が二人、レーデルたちの方へ歩み寄ってきていた。
「大切なのは第一印象だ。フレンドリーな態度で出迎えよう。こちらが友好的な態度を取れば、向こうだってそうキツくは当たってこないはずだ。おーい……!」
笑みを浮かべつつ手を上げ、レーデルは東屋から一歩踏み出ようとする。
途端、見えない壁に激突して、
「んがっ!?」
見事に昏倒した。
「うわあ! どうしたレーデル!?」
予想外の事態に声を上げ、セレナはレーデルがぶつかったあたりに手をかざす。
透明な壁が、そこに存在した。正面だけではない――東屋のあらゆる方向に見えざる壁が張られ、レーデルたち三人を閉じ込めていた。
「なるほど……そりゃ、侵入者を許さない仕掛けくらいあるわよね……」
納得しつつ、アルケナルがレーデルの腕を掴み、引き上げて立たせる。
「クッソ! 注意書きくらいしろっての!」
顔を押さえながら嘆くレーデルだったが、ルーティは容赦ない。
「その程度も予想できなかったレーデルが悪い。ほら、衛兵達も笑っているじゃないか」
見やれば、衛兵達もレーデルの失態を目の当たりにして、必死に笑いをこらえようとしていた。
「ま、君の目的は果たされたんじゃないかな。こんなマヌケが相手なら、キツく当たってはこないんじゃないの」
「こんな形で目的が果たされるなんて不本意だ。連中、笑い死んでしまえばいいのに」
恨めしげな視線で衛兵達を見やりつつ、レーデルは直立して二人を迎えた。
「……大魔王から招待された者だ! しかるべき扱いを要求する!」
ペルシスから受け取った招待状を、封蝋の側を透明な壁に貼り付けて、主張する。
二人の衛兵は、封蝋を確認した後、軽く手を振った。
透明な壁が突然消滅し、招待状を持つレーデルの手が前に飛び出る。
そのまま衛兵は招待状を受け取って、改めて封蝋をじっと凝視した。
「……間違いない、本物だ。ついて来い」
ひょいひょいと人差し指を二度宮殿方向へ振った後、一方の衛兵は背を向けて歩きはじめた。もう一人は一旦横に退き、三人が出てくるのを待つ。
「行きましょ」
まずアルケナルが東屋から踏み出した。セレナが続き、最後にレーデルがついていく。手を上げ、前方に壁がないかしっかりと確かめながら。
残った衛兵は、手を一振りして透明な壁を元に戻してから、レーデルの後方についた。
「元、がつくとはいえ、勇者を大魔王の居城に招待するなんてなかなか大胆じゃないか」
歩を進めながら、レーデルは背後についている衛兵に話しかけた。
「突然俺たちが暴れ出したらどうするの」
「フッ。好きにすればいい。勇者様だろうと、透明な壁には勝てないようだしな」
「…………」
レーデルは何も言い返せなかった。
その耳元で、ルーティがくすくすと笑う。
「一本取られたみたいじゃないか」
「うるさい。静かにしていろ」
レーデルはルーティをショールの中に押し込んだ後、宮殿に着くまで一言もしゃべらなかった。




