その8 拷問・雷の精霊コース
数ヶ月ほど前。
勇者の称号を拝命した直後、ヨランはカルマーダ枢機卿と顔を合わせる機会があった。
遭遇は偶然だった。王宮の中庭を当てもなくさまよい歩いていると、向こうから枢機卿が近づいてきたのである。
「猊下……!」
はっと気づいて、ヨランは慌ててひざまずき頭を垂れた。
「ああ……堅苦しい挨拶は必要ないよ。立ちたまえ」
と、枢機卿はヨランにそう語った。
枢機卿はこの頃、レーデルによる「毒殺未遂」からやっと回復したところだった。その後遺症は重く、車椅子の生活を余儀なくされ、その上視力が大いに損なわれていた。完全失明ではないが、五十センチ先の人間を見分けるのにも苦労するレベルであるという。
「少々の失礼があったところで、私には何も見えない。だから気にするな」
冗談めかして枢機卿は言ったが、ヨランは全く笑えなかった。
(枢機卿には見えなくても、他の人には見えるんだけど……)
枢機卿のそばには、車椅子を押す男と、枢機卿の秘書の女性とが常に同行していた。その二人から冷たい視線を向けられては、礼儀を破る気には到底なれなかった。
とはいえ、枢機卿の言葉に従い、ヨランは立ち上がった。
「このたびは勇者に任命していただき、ありがとうございました。必ずや勇者としての名に恥じぬ活躍をしてみせます」
「素晴らしい。期待しているよ」
短い拍手を、枢機卿は贈った。
「結局、君は勇者になる運命だったのだよ。不幸な事件も、その運命を遅らせたに過ぎなかったというわけだ。そもそも、例の事件があった時、勇者委員会は君を全力で引き留めるべきだったんだ。その時のボタンの掛け違いが巡り巡って、この私の身に罰を与えたというわけだよ」
「…………」
ヨランは何も言い返せなかった。
「勇者レーデルがカルマーダ枢機卿の毒殺に失敗した」という話に、世間ではなっている。
レーデルがそんなことをするとは、ヨランには到底信じられなかった。レーデルが枢機卿を嫌っているのは知っていたが、そこまで直接的な行動に出るとは思えないのである。
とはいえ、枢機卿がこのような無残な姿になったのも事実。異を唱えることはできない。
「私はレーデルなる男を勇者に任命した己の不明を恥じる」
枢機卿の声に、怨念めいた色がこもりはじめた。
「己の不明故に、私は罰を受けたのだ。そのことは受け入れねばならない。だが同時に、レーデルが罰を免れているのは憂うべき事態だ。だから君を……君たちを勇者に任命した」
五人を同時に勇者に指名するとは、異例中の異例である。この処置を主導したのは枢機卿だ。
(枢機卿はなんとしてでもレーデルを殺したいらしい……異常な執念よね……)
神に仕える人のやることではない。軽蔑に値する、とヨランは思う。
しかしそんな思いを、ヨランは封印しなくてはならなかった。
「これは他言しないで欲しいのだがね。私個人は、君こそが使命を果たしてくれると思っている」
声をひそめて、枢機卿は言った。
「他の四人は、言い方は悪いが当て馬だ。反逆者レーデルを仕留めてくれるのは君しかいないと信じているよ。是非とも頑張ってほしい」
「お言葉、感謝します……」
一礼してから、ヨランは枢機卿に言い返した。
「レーデルを倒せば、父ルースの安全を保証してくれるのですね?」
「もちろんだとも」
枢機卿は即答した。
「ルース・ヤシンバラがレサーグ派なんぞと繋がっているなど、何かの間違いだろう。とはいえ、異端殲滅に情熱を燃やしている面々を説得するのは、この私でも一筋縄ではいかないのでね」
額に指を当て、苦悩の表情をしてみせる。
ヨランは、絞り出すような声で懇願した。
「僭越ながら、心よりお願いします……猊下より他に、頼れる人がいないんです」
「わかっているとも。君の大手柄があれば、連中とて私の言葉を聞かないわけにはいかないだろう。必ずレーデルを殺して、そのあかしと魔神像を私の所へ持ち帰ってくれ」
「……誓います」
やや弱々しい声で、しかしはっきりと、ヨランは宣言した。
その弱い語気を、枢機卿は不安と解釈した。
「なあに、君ならば必ずやってのけると信じている。ただ、父を置いて長旅に出るのは不安だろう。君には連絡係をつけてやろうと思っている。ええと……」
枢機卿は秘書に意見を求め、秘書は即答した。
「フィデル・アルザブルをつける予定です。彼が適任かと考えます」
「そうそう、その彼だ。彼を介すれば、こちらの情報を遠い空の下の君に送ることもできるだろう。いずれ彼が君の所に挨拶しに行くはずだ」
「ありがとうございます。それでは、そろそろ失礼します……」
最後にもう一度一礼して、ヨランは枢機卿の下を去っていった。
その背中を見送りつつ、枢機卿は秘書に別の問いを投げた。
「ルースへの尋問はどうなっているかな? 何か吐いたかね?」
「いいえ。報告によりますと、ルース・ヤシンバラは頑として何も語っていないとのことです」
「おやおや。拷問吏どもは何をしているんだ?」
ヨランの相手をしていた時とさほど変わらぬ軽い口調で、枢機卿は嘆いた。
少し考えてから、指示を下す。
「ルースを一旦高級な部屋に移してやれ。いいメシを食わせて風呂にも入らせろ。何日か上等な待遇をしたあとで、前触れなしにキツイ拷問にかけるんだ。雷の精霊に金玉握らせるとか、フルコースで行け。激しい落差で打ちのめされて、吐かない奴はおらんよ」
「よろしいのですか?」
「よろしい、とは?」
「先程ヨラン・ヤシンバラに約束したばかりですが……」
忠告を受けて、枢機卿はさほども表情を変えなかった。軽い口調のままに答える。
「……何か問題でもあるかね?」
「…………」
「ルース・ヤシンバラが本当に異端と繋がっているのならば、私とて救うことはできないよ。それこそ背教行為というものだ。……さ、そろそろ中に入ろう。少々疲れた」
枢機卿が軽く手を振ったのを合図に、付き添いの男は車椅子を押し始めた。少し遅れて、秘書もその後を追った。
「……父はどうなっているの……」
アーデラーの街頭にて、ヨランはフィデルに質問した。旅のさなか、何十回と繰り返してきた質問だ。
「貴族用のお部屋で悠々自適の軟禁生活を送っている――というのが、最新の情報ですよ」
フィデルはそう答えた。
神聖帝国の監獄には様々なグレードがあり、下層の犯罪者を収容するのは本当に酷いところだが、貴族など要人を収監する部屋は下手なホテルよりも快適である。しばしば皇帝の一族など有力者が一時的な避難場所として自ら収監されることもあるので、しっかりと整備されているのだ。
「本当なんでしょうね……?」
「私は本国からの情報をあなたに伝えているだけです。悪く言えば、私はただの使いっ走り……詳細についてまでは責任を持ちかねますね」
「…………」
疑惑の眼差しで、ヨランはフィデルを見つめる。
ヨランにとって、フィデルの発言はまったく信用できない。しかしフィデルの言葉以外に頼れるものは何もないという状況である。
それに、連絡役やら使いっ走りやらと自称しているが、その実態はヨランの監視役だ。ヨランが反抗的な態度を取れば、それは本国に伝わる。控えめに言っても、父ルースへポジティブな影響を及ぼすことはないだろう。
フィデルの言われるがままに動くしかないのが、ヨランの現実だった。
大いに屈辱的だが、父の命がかかっている以上、逆らうことはできない。
「さて……私の烏たちが面白い情報を掴んできましたよ。レーデル一行とおぼしき連中が、東の方に向けて発ったとか」
「東……同盟都市の方ってこと?」
「そうなります。てっきり魔界領域の深いところまで踏み込んでいくのかと思っていましたが……彼らが何を目的に動いているのか、我々はまだ把握できていませんからね。どう思います?」
(私から逃げるつもりかしら……?)
レーデルなら決定的な対決を避けるために逃げることもいとわないだろう、とヨランは推測する。
しかし口では、別のことを言った。
「私には想像もつかないわ」
「そうなのですか?」
「情報が無い以上、推測するだけ時間の無駄よ」
「たしかに、そうですね。でも忘れないで下さいよ。レーデルを倒す日が一日延びるごとに、お父上の拘束も延びる。今はそれなりの扱いを受けているようですが、それがいつ急転するとも限らない……」
「わかっているわよ。一日も早くレーデルに追いついて、必ず殺すわ」
ヨランとしては、そう言うしかなかった。
(レーデルのことを一回見逃してあげたけど……次に会った時は、全身全霊をもって戦う。父とレーデルが天秤の両端に乗っている以上、私には父を選ぶ以外の選択肢はないのよ……)
ふとレーデルの横顔が閃き、ヨランは強い胸のうずきを覚えた。
それでも父のために戦わなければならない、という悲壮な覚悟で、ヨランはうずきを強引に押さえつけた。




