その6 勇者候補生ヨランの残虐行為
「…………!」
激痛に白目を剥き、男は左腕を投げ出した格好で気絶。床の上で動かなくなった。
その男を無視して、ヨランは残る二人へと一歩踏み出す。
二人は気圧され、思わず一歩退いた。それでも女相手にビビっては格好がつかないと思ったのだろう、
「て、てめえ、何しやがった!?」
揃って腰の剣を抜いた。途端、店に居合わせた他の客たちは恐怖に息を呑む。
「店の中で騒ぐのはやめなさい」
ヨランは左手を掲げた。黒い小さな竜巻をまとった左手を。
にらみ合いが続いた。正確には、二人の魔族が竜巻におびえ、仕掛けるのをためらっているだけだったが。
しかしついに、もう一人の取り巻きが動いた。
「このぉ――ッ!」
大上段から、素手のヨランに打ちかかる。
ヨランは半身になって剣をかわし、同時に左手で魔族の肩口を捕まえた。
「出て行きなさい!!」
直後、黒い竜巻が大きく広がり、ヨランの全身を包みこんだ。
「んごぁっ!?」
巨大化した竜巻は、魔族の男をもあっさり巻き込んだ。
竜巻は轟音を立て、回転軸を地面と水平に倒しつつ、弾かれたように店の外へと飛び出した。
「な……!?」
髭の魔族は目を剥き、竜巻を追って店を出る。
店の外は広場、その中央には巨大な男性の彫像が建っている。
竜巻はその彫像の台座目がけてまっすぐに駆け――数メートル手前で、取り巻きの男を渦から吐き出した。
男はジャイロ回転しながら地面と水平に飛び、台座に激突。凄まじい激突音を立てた後、地面に滑り落ちた。
その身体は激しくねじくれていた。二度、三度見なければ、それが人間だとは信じられないほどに。
竜巻が消失するとともに、ヨランが姿を現す。両脚で着地して、勢いのままに地を滑り、バランスを保ったまま停止した。
くるり、と身を翻して店の方へ身体を向け、その出口に立っている髭の魔族を見据える。
「……ヒィィ!」
髭の魔族は、もはや恥も外聞も無く逃げ出した。
「逃がさないわ……!」
ヨランは再び竜巻と化し、ほんの数秒で髭の魔族の進路に立ち塞がった。
髭の魔族は急ブレーキをかけ、尻餅をつきながら強引に停止。そのまま百八十度反対側に逃げだそうとしたが、
「このっ!」
ヨランは大きく踏み出して、髭の魔族の襟首を捕まえると、そのまま竜巻に変じ、天高く舞い上がった。
彫像をはるか下に見下ろす高度まで駆けた後、反転し急降下。
急降下しつつ、まず髭の魔族を射出して、地面に叩きつける。
さらにヨランは着地寸前で竜巻化を解除して、
「……あァァァァ――ッ!!」
右膝を髭の魔族の背に叩き落とした。
「…………!!」
衝撃で、髭の魔族は全身を激しく反らせた後、ぺたりと脱力。そのまま動かなくなった。
広場は静まり返っていた。一連の経緯を眺めていた者は少なくなかったが、その誰もが言葉を失っている。
そんな中、ヨランは立ち上がり、髭の魔族には一瞥もくれず、周囲の視線も一切気にせず、店へ戻った。
店の軒先では、支払いを済ませたフィデルが待っていた。
「フィデル……」
ヨランがフィデルに声をかけようとするより早く、フィデルはヨランの顔面に右拳を叩き込んだ。
「ッ!!」
強烈かつ不意の一撃に、しかしヨランは踏みとどまり、フィデルをにらみ返す。
フィデルは涼しい顔で、殴った手をひらひらと振り回した。
「あなたの悪い癖だ。一度キレると見境がつかなくなる。私の左手が危うくすっ飛ぶところでしたよ」
言われてヨランは思い出した。フィデルの制止を無視した時、竜巻で左手を払ったことに。
その余波で、フィデルの左手は複数の小さな切り傷を帯びていた。その手を包む白いハンカチに、赤い血が染みている。
「この程度の傷は魔法ですぐに治せますが……あなたは時々お忘れになるようだ。あなたの父君の運命は私の気分にもかかっているということを」
「…………申し訳ありません……」
押し殺したような声で、ヨランは謝った。
結構、とフィデルはヨランの謝罪を受け入れた。
「ま、魔界のクズどもを眺めているだけで不快になる気持ちは分かります。たまにはストレスを解消するのもいいでしょう。ただ、私を巻き込むのはやめていただきたいですね」
「…………」
「さっさとレーデルを見つけて、こんな土地とはおさらばしましょう。……おっと」
空から一羽のカラスが急降下してきた。フィデルが右腕を掲げると、カラスはその腕を止まり木とした。
「腹を空かせているようだ。私はエサを買いに行きます。それではまた明日、この場所で」
軽く挨拶して、フィデルはカラスとともに歩み去っていった。
ヨランはフィデルの背中を睨んだが、一瞬のこと。ふと別の視線を感じ、もう一度店の方に顔を向ける。
ついさっき、魔族三人組に殴られていた男が、扉の陰からこっそりとヨランを見つめていた。ヨランの目に気づくと、
「ヒッ」
小さな悲鳴を上げ、そのまま店の奥に姿を隠してしまった。
ヨランはがくりと肩を落とし、大きなため息をつく。
「…………またやってしまったわね……」
強く頭を振った後、フィデルとは反対方向に歩み去っていった。
「一部の人間は、ヨランを『風の精霊の申し子』なんて呼んでいた」
と、レーデルは候補生時代のヨランの話を語る。
「自分を竜巻に変えたりして、様々なことをやってのけた。高速移動したり、他人を竜巻に巻き込んで吹っ飛ばしたり。候補生どころか、勇者育成のために集められた魔法使い達だって、誰もそんなマネはできなかった」
「私も無理……それは大した才能ね……」
アルケナルの合いの手に、レーデルは深く頷いた。
「体力精神力ともに消耗が激しい、なんて欠点もあったけど、まあすごい技でね。だから勇者に認定されるのはヨランだと誰もが思っていた。……サドワ以外は」
「そいつはその頃からなかなかのクソ野郎だったみてーだな」
セレナが吐き捨てるように言う。
「サドワはヨランの力を越えるために、風の精霊の制御の修練に打ち込んだ。でもあまり大したものにはならなかったんで、別の手に出た。修練で得た力でライバルを闇討ちして、それがヨランの仕業であるように見せかけたんだな」
「エピソードを聞けば聞くほどクソ野郎だな」
「まあな。誰もがサドワの仕業だと思ったけど、サドワはなかなか悪知恵が回る奴で、何一つ証拠を残さなかった。証拠がなくては糾弾できない、と俺みたいな凡人は考えていたんで、サドワの非を鳴らすことは難しかった。だがヨランはそうじゃなかった」
「ヨランがサドワをボコボコにしたとか言ってたよな」
「そう。ヨランにも一つだけ欠点があってな。一度怒りに火がつくと収まらなくなって、必要以上の残虐行為をやらかすんだよな」
「残虐行為って……」
妙なワードチョイスに、ルーティが反応する。
「あの事件はサドワが一方的に悪かった。それでも、ヨランがサドワに科した制裁は残虐行為だったと俺は主張するよ。制裁を受けた後のサドワは、ちょっと大きめのボロ雑巾と見分けがつかなかったし」
「大きなボロ雑巾……?」
「俺たちが途中で止めなかったら、細切れのボロ雑巾になっていただろう。さすがにヨランもやり過ぎたと悟って、『私の未熟な性格は、勇者の称号を受けるに値しない』とか言って、候補生を辞退した。先生方は全力で引き留めようとしたけど、ヨランは絶対に意志を曲げなかったよ」
「そんな人がレーデルを殺しに……なるほど、レーデルの気持ちが少し分かった気がするわ……」
アルケナルの言葉に、レーデルは「どうも」と礼を返した。
「そんなヨランがなんで今さら勇者になったのか、意味が分からない。だから、ヨランが抱えている問題を突き止めて、可能なら解決する。そして対決を回避する。さもないと、俺も細切れのボロ雑巾にされてしまう」
「お話はわかりました。私が一肌脱ぎましょう」
力強く、アレクトは請け負った。
「とりあえず、シアボールドさんとリーリアさんを探せばいいんですね?」
「ああ。俺も川の東側へ戻る」
「改めて尋ねますけど、私の夜のサービスはよろしいんですか?」
「それは……」
レーデルの心は大いに動いた――が、同時にセレナとアルケナルの突き刺すような視線が飛んできた。
大きく咳払いをしてから、レーデルはアレクトにはっきりと告げた。
「こんな時にのんびりとはしていられないよ。今日中にでも発つ」
「そうですか……仕方ありませんねえ」
心の底から残念そうに、アレクトは肩を落とした。




