その1 四人目の勇者、ヨラン
「……これだ! みんな、こっちこーい!」
橋の上の痕跡を発見して、セレナはペルシスとアルケナルに必死に呼びかけた。
吊り橋の中程に、広く黒い跡が広がっていた。その周辺のロープも汚れている。
夕闇の中で、それは単なる泥のようにも見えたが、セレナの鼻は正確な情報をかぎ取っていた。
これら全部、乾いた血の痕だと。
追いついて黒い痕跡を見たアルケナル、ペルシスも同意見だった。
「そしてすぐそばにちぎれたロープ……これが意味するものは……」
「彼はここから落ちたようだな。何者かに襲われて」
「探さなきゃ!」
セレナは今にも駆け出そうとしたが、アルケナルがその腕を捕まえる。
「今からどこに行くの……」
「決まってんだろ! レーデルを探しに行くんだよ!」
「危険すぎる」
と、地域住人であるペルシスが警告する。
「もう夜だ。このあたりの険しい地形をなめてかかると痛い目を見る。君も遭難したいのか」
「そのくらい、カンテラがあればなんとなかるだろ!」
「夜間には野生動物やモンスターも出る。飢えた獣はカンテラの明かり程度にビビったりはしないぞ」
「だ……だったらどうしろってんだよ! 一刻でも早くレーデルを見つけないと……!」
焦りのあまり、今にも殴り倒しかねない勢いで二人に迫るセレナだったが、
「ま、落ち着きたまえよ」
ルーティがセレナを制した。
現在、ルーティは胴を紐でつながれていた。そのもう一端はセレナの手首につながっている。
ルーティはアーデラー方面に引かれ、ほぼ真横、やや斜め下方向にぶら下がっていた。
「ボクがこうしてレーデルの引力に囚われている。レーデルはまだ生きているということだ。焦らずに明日を待つんだ。ボクが示す方向に向かえば、レーデルは必ず見つかる」
「だったら今すぐ行くんだよ! こんな大怪我してるんなら、一刻も早く手当てしないと……!」
「だから落ち着きなさいったら……」
アルケナルはセレナを落ち着かせようとしたが、セレナはアルケナルを押しのけてでもレーデルを探しに行こうとする。
やむなくアルケナルは、
「いい加減にして……!」
セレナの頬に張り手を食らわせた。
「レーデルの身を心配しているのはあなただけじゃないのよ……! 私だって今すぐ飛んでいきたいくらい……!」
アルケナルは怒りをむき出しにセレナをにらみつける。
あまりに意外なことに、セレナは言葉を失ってしまった。
「でも、こんな山の中で夜間行動は危なすぎる……私達まで危険な目に遭ってどうするの……!」
「……クソッ。わかったよ……」
落ち着きを取り戻し、セレナは肩を落とした。
その肩に、アルケナルは手を置く。
「明日、夜が明けたらすぐに出発するわよ……」
「ああ、そうだな。レーデルの野郎、一発ぶん殴ってやらなきゃ気が済まねえ……!」
とセレナは吐き捨てる。しかしその顔に浮かんでいるのは怒りではなく、生きていて欲しいという祈りだった。
「やれやれ。レーデルときたら、女性二人に心配させちゃって。酷い奴だ」
ルーティは、シニカルな調子で言ってから、不意に表情を改めた。
「……いや、三人かな」
レーデルは夢を見ていた。
夢の中で、レーデルは勇者候補生の身分に戻っていた。
神聖帝国の帝都ヴァーリンゲンの中心部に建つ訓練施設兼寮に住まい、年中訓練と選別試験に明け暮れる、あの日々に。
レーデルは寮生の制服に身を包んでいた。
レーデルだけではない。赤いロン毛のサラム、既に頭を坊主にしていたバルメラ、まだ髪の毛がフサフサだったサドワ。
そして、ヨラン。
レーデルにとってあこがれの人だったヨラン。自分よりもヨランこそが勇者にふさわしかった、とレーデルは今も思っている。悪を見逃せない人だからこそ、候補生に闇討ちを繰り返したサドワを許せず、施設の中庭のど真ん中で堂々とボコボコにして、自ら候補を辞し、寮を去って行った。
夢の中でも、ヨランはレーデルに背を向けて去って行こうとしている。
(待ってくれ)
レーデルは夢の中で叫んでいた。
(ヨランこそが勇者になるべきだったんだ。もっと早くサドワをどうにかするべきだった。頼むから戻ってきてくれ)
しかしヨランは歩み去り、その姿は霞のように消えていく。
「……ヨラン!」
思わず口から出た叫びが、レーデルの意識を現実に引き戻した。
宙に向かって右腕を高く伸ばしていた。
しかし、手は虚空を掴むばかり。ぺたん、とレーデルは力なく腕を下ろす。
しばし呆然として――ふと気づく。
「……どこだ……?」
レーデルはベッドに横たわっていた。シーツを一枚かぶっている。
裸の上半身を起こし、軽い脇腹の痛みに襲われる。
見やれば、脇腹の傷はある程度塞がっていた。回復魔法をかけられたようだ。もう少し時間が経てば、傷は完全に治るはずだ。
「痛いってことは、まだ生きているってこと……だが……」
周囲を見回す。
どこかの宿屋の一室と思われた。窓は雨戸まで閉められているが、その隙間から漏れてくる日の光は強い。既に太陽が昇っている時間だ。
何故こんな場所にいるのか、理由が分からない。
吊り橋でサドワの奇襲を受けて川に落ちたところまでは覚えている。あとは必死にもがき続け――そこから先の記憶は無い。
無意識に宿を取って傷の手当てまでしたとは到底思えない。つまり誰かが助けてくれたと考えるべきなのだろう。
「セレナたちがもう俺を見つけてくれたのか……?」
レーデルとしては、そうとしか思えなかった。
「貸しができたな……」
レーデルはベッドをゆっくり降り、タオルケットを羽織った。
部屋の外に出ようとドアノブに手をかけようとした瞬間、勝手に扉が開いた。
セレナ、もしくはアルケナルが入ってくるのを、レーデルは予期したが――
「……!?」
現れたのは、そのどちらでもなかった。
フード付きの外套に身を包んだ、長身の女性だった。片手で紙袋を抱え、空いている手で扉を閉める。
その顔はフードに隠れて見えなかったが――
「起きたのね……。傷は大丈夫……?」
優しい声が、レーデルの記憶を一気に呼び覚ます。
女性はフードを脱いだ。明るい色の長い髪が一挙にこぼれ出る。
そこに現れた顔は、レーデルの記憶と寸分たりと違わなかった。
「ヨラン! ヨランかよ……!」
四人目の勇者、ヨラン・ヤシンバラがそこに立っていた。
「上着、買ってきたのよ」
ヨランは紙袋の中から男性用の上着を取りだした。
「レーデルの上着、ボロボロだったから……。何があったの?」
上着を手渡すと、ヨランはすぐそばにあった椅子に腰掛けた。
質問したいのはレーデルの方だった。あれやらこれやら、聞きたいことが脳内に凄まじい勢いであふれ出る。あまりの奔流で、レーデル自身が混乱しそうになるほどに。
なので仕方なく、
「……サドワにやられたんだよ」
素直に答えた。
サドワの名前を聞くと、ヨランは暗い表情を浮かべた。
「私より先にレーデルを見つけたのね……サドワはどうなったの?」
「俺と一緒に川に落ちた。この世に神がいるのなら、あいつは溺死したと思うんだが……」
(多分生きているだろうなあ)
とレーデルは思う。レーデル自身がこうして生き延びた以上、サドワも生きていると考えた方がいい。
「あいつはゴキブリ並の生命力の持ち主だからなあ」
「そうよね。フフ……」
ヨランは小さく笑った。が、すぐに暗い表情に戻る。
しばし沈黙。
気まずい空気が流れる。
(聞くべきことを聞かなきゃならない……)
ヨランと対する日がこんなにも早くやってくるとは思ってもみなかった。
だが、ヨランも勇者の称号を得たというのなら――
とにかく、ヨランの真意を尋ねなければならない。
レーデルは覚悟を決め、ヨランに問いかけた。
「サドワが勇者任命を受けて、俺を殺す任務についたのはわかる。サラムにバルメラもわかる。でも、君はわからない。ヨランも俺を殺しに来たのか……?」




