その4 勇者候補生レーデルの昔話
「公衆浴場で狙われたのかよ!」
セレナが大きな声を上げると、レーデルは唇に人差し指を当てた。
「お静かに。大声でしゃべるような話題じゃない」
セレナが慌てて自分の口を塞いだのを見てから、レーデルはシュジェールに謝罪した。
「お騒がせしてすいません。実のところ、俺も命を狙われている身でしてね」
「いやいや、謝る必要はありませんよ」
シュジェールはシュジェールでかしこまる。
「相手は異端審問官……? それとも勇者……?」
アルケナルの問いに、レーデルは深いため息をついた。
「勇者だ。ろくでもない奴に目を付けられた。公衆浴場からここまで、尾行されていないように細心の注意を払ったつもりだけど、あいつなら既に俺たちの宿を特定済みだとしても不思議じゃない」
「宿を変える……? でも、今から払い戻しはしてくれないんじゃないかしら……?」
「むむむ……」
決して路銀は潤沢ではなく、避けられるならば無駄遣いは避けたかった。
「しゃーない。今夜は寝ずの番といくか……」
というわけで、深夜。
レーデルは寝息を立てるシュジェールを眺めながら、ただ呆然とベッドに座り続けていた。
「どうだい」
ルーティが耳元でささやく。
「今、ボクがそばにいてくれて良かった、と心の底から感謝しているだろう」
「否定できない」
あまりにも退屈な夜を過ごすにあたり、話し相手がいるといないとでは大違いだった。
「俺が寝ないで済むよう、面白い話でもしてくれないか」
「知らないよ。君と出会った以前の記憶は、ボクにはないことを忘れてもらっちゃ困る」
「でもルーティは五十年前に勇者アマトと行動を共にしていたはずだぞ」
「そうなんだよね。長いこと眠り続けたせいでリセットされたんだろう」
「じゃ、いつか記憶が蘇る可能性もあるってことかな」
「どうなんだか。別に記憶を取り戻したいとも思わないし」
「そういうものか」
「ああ。今はレーデルと一緒に冒険できて、とても楽しい。それだけで十分じゃないか。レーデルは楽しんでるかな?」
「基本的には。命を狙われるとか、冗談にならない話もあるけれど」
「そういや、今日襲ってきた相手も、君の知り合いなんだろ?」
「その通り。あいつは――」
説明をしようとした時、レーデルの部屋を三回ノックする音が響いた。
間を置いて、また三回。
「――アルケナルだ。どうしたんだろう」
レーデルが扉を開けると、寝間着姿のアルケナルとセレナが入ってきた。
「何かあった?」
「いや別に……それより、レーデル一人に寝ずの番をさせるのは悪いと思って……」
「あたしらも一緒だったら、レーデルも仮眠が取れるだろ」
結果、レーデルはベッド上でセレナ、アルケナルと肩をぴたりと並べることになった。
「肩が温かくて気持ちいいや。油断すると寝てしまいそう」
「いつでも眠ればいいわ……ただその前に聞きたいことが……」
アルケナルが、心地よい小声でささやく。
「勇者に襲われたって言ったわね……? レーデルの知ってる相手……?」
「ちょうどルーティに話そうとしていたところだ。ああ、今度の勇者はサドワ・クラヴェレットと言って、やっぱり俺と同じく勇者指名の最終候補に残った奴だ」
宙に視線をさまよわせながら、レーデルは説明した。
「前の二人もなかなかアレな奴らだったけど、サドワは最悪のクズ野郎だ。上昇志向が異常に強くて、ライバルを蹴落とすのに手段を選ばない。俺が裸になった瞬間を狙ったのは、いかにも奴らしいよ」
「ふーん。それって、真っ向勝負じゃ勝てないからかよ?」
セレナの言葉に対し、レーデルは首を横に振った。
「いいや、あいつの剣の腕はたしかだ。だから最悪なんだよ。普通に強い上で、手段を選ばない。俺が勇者に選ばれた時、最終候補に残ったのは俺含めて七人……八人だったかな? まあとにかく、そのうち二人がサドワの闇討ちを食らって再起不能にされた」
「最悪な野郎じゃねーか」
「でもその時は……レーデルが勇者に指名されたのよね……? あなたは闇討ちされなかったの……?」
「もう一人、ヨランという候補生がいた。勇者指名の大本命だった奴だ。俺もあいつが勇者に指名されるなら仕方ない、と思っていた。ただあいつにも一つだけ、一度怒りを覚えると制御が効かなくなるという欠点があった。サドワが最終候補生を闇討ちしていることに気づいたヨランは、サドワを問答無用でボコボコにした」
「あらら……」
「ヨランが怒るのは当然だ。サドワは闇討ちをヨランの仕業に見せかけて、ついでにヨランも蹴落とそうとしたからな。でもそれに気づいたヨランは、サドワを物理的に蹴落とした。三階だったか四階だったか」
「…………」
「結局、ヨランはサドワを私刑にかけたことを自分から教会に報告して、勇者候補を辞退した。その結果として、俺に勇者指名が転がり込んできたわけだ。あの時ヨランがもう少し我慢していたら、巡り巡って、俺も帝国から追われる身にならずに済んだはずなんだがね。運命は紙一重だ」
「そんなに悲観することはないじゃないか。結果として君はボクに出会えたんだから、運命に感謝すべきじゃないかな」
ルーティの言葉に、レーデルは苦笑を浮かべた。
「ルーティにくっつかれる羽目になったのも、ヨランのせいだよなあ」
「そのヨランってのは今どーしてんだ」
セレナの問いに、レーデルの顔は暗くなる。
「どうやら、新たに選ばれた勇者五人の中に、ヨランもいるらしい。あいつとは戦いたくないなあ……」
「話せばわかってくれる相手のように思えるけど」
「だったらいいんだが。でも、俺の抹殺命令を受けているってことは――」
少し黙り込んでから、レーデルは頭をかきむしった。
「……そんなことはヨランと会った時に考えりゃいいんだ。まずはサドワだ」
「対策を練った方がよさそうね……なにか弱点とかないのかしら……?」
「見つけたら、三人がかりでブチ殺す。それだけだ」
簡潔に、レーデルは対策を述べた。
「そんだけかよ」
「向こうがどんな卑劣な手を使ってくるかわからん。あいつの卑劣さはいつも俺の想像力を越えてくる。とにかく気をつけろ」
レーデルはセレナとアルケナルに目配せをした。
そして、アルケナルが薄い笑みを浮かべていることに、少し驚く。
「……なんか、楽しそうな顔してるじゃないか」
「レーデルの昔話が聞けて良かったと思っているところ……こんな話、いつもはしてくれないから……」
「言っても面白くないもの」
「いいえ、面白かったわ……存分にね……」
そう語って、アルケナルは首を傾け、さらにレーデルに寄りかかった。
「少し眠くなってきた……寝るわね……」
「俺の代わりに寝ずの番しに来たんじゃないのかよ」
レーデルがツッコミを入れた時には、アルケナルはもう寝息を立てていた。
「おいちょっと。おっぱい揉むよ?」
との発言にも無反応。レーデルは実際に右手を持ち上げたが、
「何するつもりだよ」
セレナの低く響く声にぴたりと手を止め、
「風邪引いたらまずいと思って」
代わりにブランケットを引き上げ、アルケナルにかけてやったのだった。
その後一行はビアベルムの手先にもサドワにも出くわすことなく、数日の旅を経て、アーデラーにたどりついた。
この地独特の白煉瓦の街並みを行き交うのは、ほとんど魔族ばかり。スティクスの東側とは異なり、こちら側の魔族たちは色眼鏡で瞳孔を隠すことをあまりしない。道を行くだけで、様々な瞳孔の持ち主とすれ違えるのだった。
「それはともかく……シュジェールさん、特にエクスムアとのツテはないんですね?」
「そうなんです。来ればなんとかなると思いましてね」
とシュジェールは言った。真面目な見た目に反し、出たとこ勝負な面があるらしい。
「魔王エクスムアと言えば、一般人のコスプレをして市井の人々をこっそり見て回る癖があるそうじゃないですか。そこを運良く捕まえられれば、と思うんですが」
「それはちょっと不確実過ぎると思いますけどねえ」
「アレクトに頼んでみたらどうかしら……」
アルケナルが献策する。レーデルは少し顔をしかめたが、それが一番手っ取り早いと踏んだ。
「そうするか。たびたび呼びつけるようで悪いけど。とりあえず魔法円を描ける場所を……」
レーデルは一人で裏路地に入り、人気のない場所で地面に魔法円を描いた。
すぐに魔法円は輝きを放ち、一人の女性の姿を喚び出した。
シルクハットをかぶったアレクトが現れると思いきや――
「……なんだその格好……?」
何故かアレクトはメイド服に身を包んでいた。黒ドレスに白いエプロン、両手でモップを握っている。
妙な格好ではあったが、レーデルへの挨拶はいつも通り快活だった。
「レーデルさん、いいタイミングで喚んでくれましたね! どうですこの格好!」




