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その9 勇者、燃える


「こんな時に……!」


 レーデルはすぐさま剣を抜こうとしたが、右腕に激痛が走り、顔を歪めた。セレナの関節技のダメージがまだ抜けていなかった。


「仕方ないなあ……!」


 右手でゆっくりと剣を抜いて、やむなく左利きの構えを取る。

 真っ先に突っかかってきた戦士の斬撃を、どうにか受け止めた。


「あんたはたしか……戦士ベテル・ガイウス!」


 ル・ロアンにて殺された戦士の名を、レーデルは思い起こして叫ぶ。

 名を呼ばれても、戦士ベテルは特に反応しなかった。絵のごとく無表情を保ち、ただその両目に青い輝きを宿らせている。

 間合いを離し、レーデルは何度か剣を打ち合って、


(……意外に大した腕じゃないな?)


 と感じ取った。

 全身を常時金属鎧で固め、寝る時以外は決して肌身から離さなかったという伝説の剣士である。怪力無双として伝えられ、一騎打ちの相手を金属兜の上から両断したといった逸話がある。

 その割に、今レーデルが対している戦士ベテルからは、バケモノじみたパワーは感じられなかった。


「所詮は絵から出てきた偽物ってことか! セレナ、アルケナル! 伝説の勇者パーティだからってビビることはないぞ!」

「そうみてーだな!」


 応じたセレナは、ちょうど勇者サイリオスの斬撃をかわし、カウンターで拳を叩き込んだところだった。

 しかし、常人であれば脇腹にパンチを叩き込まれて身体を二つにおるところを、勇者は苦にした風もなく反撃に出る。

 戸惑ったセレナは、しかし寸前で後ろに飛び、剣に空を切らせた。


「でもこいつ、ダメージを受けてる様子がねーぞ!」

「所詮は絵だから……かしらね……!」


 アルケナルは厳しい表情を浮かべつつ、炎の精霊を召喚していた。

 精霊のサイズは普段より小さい。普通なら天井に頭をぶつけるようなサイズの精霊を喚んでしまうところを、魔力を集中して小型化しているのである。

 そのパワー自体は普段と変わりなく、絵から出てきた魔法使いが飛ばしてくる氷の槍を胴体で受け止め、びくともしない。


「油絵って言うくらいだし、火をつけたらよく燃えるんじゃないのかな?」

「私もそう思う……!」


 コールプルテの助言を受けながら、アルケナルは炎の精霊を前面に押し立てて突進。魔法使いを捕まえにかかった。

 絵の魔法使いが喚び出していた氷の精霊が、炎の精霊の突進を受け止めて激突し、組み合う。


「あなたが本物のロッシ・パイオンならば、私でも叶わないでしょうけど……!」


 五十年前の魔法使いの名を呼びながら、アルケナルはタクトを振るう。

 二種の精霊が接触し、凄まじい量の水蒸気が吹き上がる。お互い文字通りに身体を削りながら力比べを続け、ついには――


「…………!!」


 氷の精霊の方が、先に解けて消え去った。

 炎の精霊は火勢を弱めつつも、そのまま魔法使いロッシを抱き留める。

 途端、魔法使いは炎上し、派手な炎を吹き上げた。

 人が生きながら焼かれるのとはまったく違う。カラカラに乾いた枯れ枝のような燃え方だった。

 魔法使いはあっという間に消し炭と化し、床に灰を散らせた。

 直後、「運命の生贄」の絵の一部がうっすらと光を放ち、消え去っていた魔法使いの姿が復活した。


「焼けばいいんだな!」


 レーデルは戦士ベテルを組み止め、右足を軸にぐるりと体を入れ替え、その勢いでベテルを炎の精霊のもとへ突き飛ばした。

 激突した途端、ベテルがまとう金属鎧が油紙のごとく炎上する。


「なら、こっちも!」


 セレナは勇者を全力で蹴飛ばし、後を追わせた。

 二人とも大炎上。あっという間に黒い影と化し、消滅。ほどなく絵の中に復活した。


「はあ……勇者の皆さんが伝説通りの強さじゃなくてかなり助かった……」


 一段落ついたところで、レーデルは左手で剣を鞘に戻し、少年の姿を探す。

 少年は絵の中に戻っていた。元通り、あどけない表情を浮かべて、宙を見つめている。再び動き出す気配は全くなかった。


「おい、出てこいよ! なめたマネしやがって!」


 セレナが額縁を捕まえてガタガタと揺らしたが、少年は何の反応も示さなかった。


「アルケナル! この絵焼いちまえ!」

「それはダメでしょ……美術品を勝手に焼くなんて……」

「このガキが美術品を勝手に持ち帰ってるんだぜ!」


 怒りが収まらないのか、セレナは絵の上の妖精像をひっかこうと手を伸ばす。


「やめとけ。絵を傷つけるな」


 レーデルが左手でセレナの腕を捕まえた。


「じゃあどうすんだよ! 妖精像戻ってこねーじゃねーか! このガキをほっといたら、展示中の美術品全部持ってかれるぞ!」

「こういう時は相談しよう」


 と、レーデルは提言した。


「困った時は人の知恵を借りる。幸い相談相手がいるからね」




「なーるほど。お話はだいたいわかりましたよ、っと」


 シルクハットをかぶった銀髪の少女、アレクトは事情を一通り理解すると、色眼鏡のブリッジをくいっと押し上げた。


「誰かが意図的にことを起こしているわけではなさそうですね。クーニング氏も自覚していないピクトマンサーとしての素養と、霊的スポットであるこの場所柄が偶然交差した結果が、一連の現象の原因と見ますねえ」

「なんとまあ……そんなことがあるものなんですか」


 アレクトの説明を受けても、美術館長はいまだ半信半疑という風だった。


「にわかには信じられないのもわかります。絵と現実を行き来するなんて、尋常な話ではありませんからねえ。しかしピクトマンシーという魔法は存在するし、おかげでレーデルさん達は昨晩死にかけたというわけです」

「そんなに強くなかったけどね。生贄トリオの皆さん」


 レーデルは控えめに言ったが、アレクトは激しく首を横に振った。


「それはたまたまというものですよ! 力あるピクトマンサーが悪意をもって絵に命を吹き込めば、描かれた当人と同じレベルか、それ以上の強さにだってなりうるんですよ。もちろん、火に弱いという弱点はカバーのしようも無いですけど」


 その間に、館長は「運命の生贄」の絵の前に歩み寄っていた。

 絵画は、昨日までと何一つ変わらない。レーデルたちとの戦いで負った傷が反映されている、などということもなかった。


「昨晩のようなことが起こっても、絵に損傷はつかないのでしょうか?」

「多分……」


 館長に問われて、アレクトはやや自信なさそうに答えた。


「絵の外に出てきた人をボコっても、元の絵に影響はないはずですよ。ただ、美術品を持ち込んだ結果絵が変化しているし……はっきりとは言い切れませんねえ」

「影響がないってのも、それはそれで問題だよな。ピンピンしてるのがまた出てくるかもしれねーんだし」


 セレナの指摘に、レーデルも頷く。


「それに火が弱点と言っても、美術館内で火気を扱うなんて危険すぎる。昨日は咄嗟のことだったから仕方ないけど、美術品を焼くリスクは負いたくないね」

「それに今回は……ただ倒せばいいって問題じゃないのよ……」


 アルケナルが口を挟んだ。


「絵の中に持ち込まれた美術品をどうやって回収するか……私達が絵の中に入るとか、できないのかしら……?」

「どうなんでしょうねえ……?」


 アレクトは首をひねった。


「私もピクトマンシーに詳しくはありませんのでね。専門家に尋ねるべきでしょうけど、探し出すには時間がかかりますよ」

「アレクトでも無理か」

「ツテがないですからねえ。でも別に、一つ解決策は提供できますよ」

「本当か」


 瞠目するレーデルに、アレクトは得意げに笑ってみせる。


「感謝して下さいよレーデルさん。魔王ベルザイルへの対処でクッソ忙しい時にわざわざ時間を割いて、しかも無償で対応しているんですから」

「もちろん感謝する。毎度毎度悪いね」


 レーデルはアレクトのシルクハットを取り、頭に手を乗せてナデナデしてやった。アレクトは、顎下を撫でられた猫のごとくうっとりとした。

 そんなアレクトに、セレナがジト目を向ける。


「解決策を言え。それがわかんねーんじゃ感謝のしようもねーだろーが」

「別にセレナさんに感謝して欲しいとは思ってませんけど、たしかにその通り」


 アレクトは軽く手を上げ、シンプルに説明した。


「子供のしつけは親の役目。そうではありませんか?」


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