その7 幽霊とピクトマンシー
「事態は混乱の度を増している、と言わざるを得ませんね。謎は深まるばかりです」
それが、レーデルたちに対する美術館長の報告の第一声だった。
(ま、そりゃそうだろうなあ)
ネズミか何かが巣に諸作品を持ち帰っていた、などといったしょーもないオチをレーデルは期待していたのだが、結局問題解決はまだ先のようだった。
ただ、その前に――とレーデルは美術館長の隣に立つ男性に視線を投げる。
「すいませんけど、こちらの方は?」
「あ、紹介が遅れましたね。こちらは画家のクーニングさんです」
「クーニングです。よろしく……」
背の高い男性は手を上げ、挨拶した。
痩せた、顔色の青白い人物で、あの世に片足を突っ込んでいるのではないかという妙な空気を漂わせている人物だった。
一瞬、レーデルは幽霊の話題を思い起こしたが、すぐに頭の中から振り払った。
「今日はなんでこちらに?」
「少しうかがいたいことがありまして。今お帰りになるところだったんですけど……あ、そうだ」
美術館長はコールプルテに問いかけた。
「クーニングさんと面識はございますか?」
「いいや? 初めまして、だけど」
「さようですか。……クーニングさん、お手間を取らせました」
館長の挨拶を受けて、クーニングは歩み去って行った。
館長はレーデルたちに向き直り、報告を再開する。
「まず……消えた美術品はいまだ見つかっておりません。昨日今日と人員総出で館内を探し回りましたけれど、美術品どころか、外部からの侵入形跡の一つも見つからないありさまでして」
「完全に進捗ゼロですか。まあ仕方ないですよね……」
「いえ……その、それが、妙な事実が発覚いたしまして。こちらに来ていただけますか」
しどろもどろに語りつつ、館長は歩き出した。
レーデルたちは顔を見合わせ、とにかく館長についていく。
いくつかの部屋と通路を抜け、館長はレーデルたちをとある展示室に導いた。広く、天井の高いフロアで、壁に絵画作品がぽつぽつと展示されている。空間を贅沢に使っていた。
そのうちの一点、とある絵画の前で、館長は立ち止まり、手を差し伸べて紹介した。
「こちら、先程のクーニングさんの作品なんですが……」
子供の絵だった。五才くらいの男児が、笑顔を浮かべている。場所は子供の自室なのか、床には玩具類が散乱しているが――
「……んんん!?」
コールプルテの声が、広大な展示室に響いた。レーデルたちは思わずコールプルテに顔を向ける。
コールプルテは絵の一点を指さしていた。
「ウソだろう! ここに描かれているのは、ボクの作品じゃないか!」
「はあ!?」
レーデルたちも驚いて、指さす先に視線を集める。
たしかに、少年の足下に妖精の像らしきものが転がっていた。
「それだけではないんです。チェスピースに短剣、銀の壺、となくなった物が完全にこの絵の中に揃っておりまして……」
館長が追加説明する。
指摘通り、そういったものも絵の中にあった。よく見ると、少年の手の中には銀の壺が握られていた。
「待って下さいよ。これは一体どういうことなんですか?」
「私もまったくわかりません。だからクーニングさんを呼んで、お話をうかがったんです。ところがクーニングさんによると、こんな小物を描き込んだ覚えは全くない、とのことでして」
「おいおい、どーいうこった」
困惑の表情を浮かべたセレナが、絵を指さす。
「それじゃ、アレかよ。消えた美術品の行き先がココとでも言う気かよ!?」
館長は何も答えなかった。だがその沈黙が雄弁に物語っていた。
それ以外に考えられない、と。
レーデルはアルケナルの意見を仰いだ。
「どう思う?」
「噂に聞いたことはあるわ……」
少し首を傾げ、何かを思い出そうとしながら、アルケナルは答えた。
「芸術の神の力を借りて……描いた物を実体化したり……逆に、現実の存在を絵の中に放り込んだりする魔法……ピクトマンシーとか言ったかしらね……」
「そんな魔法があるのかよ」
「噂……というか伝説の類いだから、実在すると断言はできないわ……でも、これを見ちゃうとね……」
呟きながら、アルケナルは何かを思いついたように指を立てる。
「よく見てみれば、絵の中の美術品って……子供が興味を持ちそうなものばっかりだと思わない……?」
「言われてみれば。すると君は、この絵の子供が夜中にするりと抜け出して、色々な物を絵の中に持ち帰ったと言うのかな?」
コールプルテの言葉に、アルケナルは肯定の頷きを返した。
「それなんです」
館長が声を低める。
「実は昨晩、うちの若いのに夜間警備を頼んだんですよ。そうしたら、深夜に人影を見たらしいんです」
「人影? それってつまり……」
「はじめは侵入者だと思ったそうです。ところが人影はすぐに見えなくなったそうで。その後扉から窓から、外に出られる可能性のある場所は全て調べて回ったのに、誰かが出て行った形跡はまったくなかったって話なんですよ」
「この絵の少年が犯人だとすれば、つじつまが合うわけか」
とコールプルテは頷いたが、
「つじつまとか合うわけねーだろ!」
セレナは絶叫し、大きな声を室内に響かせた。
「絵の中から子供が出てくるなんて馬鹿な話があるか! ぜってーなんか間違ってるって!」
「おい、セレナ。そこまで怒ることはないだろう」
ルーティが苦言を呈する。
レーデルの意見は違った。
(怒ってるわけじゃない……セレナの奴、ビビってるな?)
心霊的現象への恐怖を怒りでごまかしている、とレーデルは見た。セレナは荒っぽい性格だが、意外と繊細なのである。
「私は、この子供が犯人だと信じ始めていますよ」
確信的な口調で、館長は言った。
「ご存じでしょうか……この美術館が建っている土地、つい最近まで墓地だったという話は」
「うかがってます」
「ならば、浮かばれぬ死者の魂が絵に取り付いて、ちょっとしたイタズラをするのも不思議ではないかなあ、などと思ったりもするんですよ」
「じょじょじょ冗談はやめろよ!」
セレナの声が震え始める。
しかし館長は容赦なかった。
「それにクーニングさんがおっしゃっていまして……この絵、クーニングさんの子供が存命だった頃の姿を描いた物だそうで」
「既にお亡くなりに?」
レーデルが問うと、館長は頷いた。
「そのようにうかがっております。この絵を描く際には、子供の遺髪で作った筆も一部で使ったとか……」
「ははあ……それはそれは……」
と応じてから、レーデルはすぐ横手に目をやった。
いつの間にか、セレナがレーデルに右半身にしがみついていた。
「……どうしたセレナ」
「どどどどうもしてねーよ! ビビってねーし!」
くわっと目を剥き、レーデルの肋骨をへし折るような勢いで抱きしめる。レーデルは逃げようとしたが、セレナの馬鹿力には叶わなかった。
「こちらの状況はそんなところです。そちらはいかがだったでしょうか……今答えるのは無理ですかね」
締め上げられて顔を青くしているレーデルに見切りをつけ、館長はコールプルテに問う。
「こちらも空振りだった。噂一つ出てこなかったね」
「そうでしたか。となれば、夜間警備を続けるしかなさそうですね。皆さんにお願いできますか?」
館長の問いかけに答える前に、コールプルテはレーデルとセレナの間に腕を割り入れた。
「答えるのは君の役目だろう……!」
セレナにも劣らぬ腕力で、レーデルとセレナを引きはがす。
自由になった肺にたっぷりと空気を取り込んでから、レーデルは答えた。
「もちろん、お引き受けします。今夜からですね?」
即座に引き受けたレーデルの横で、セレナは真っ青になっていた。
レーデルはセレナをからかってやりたい衝動に強烈に駆られたが、直後全力で殴り倒される未来が見えたので、やめた。




