その5 ストーンマーテン廃教会
エビン・ヘルベルトの孫、オリバーは、高級住宅街の自宅にいたところをさらわれた。
真っ昼間の犯行だったという。数人の男達がヘルベルト家に押し込み、使用人達を殺して、七歳のオリバーをさらっていったのである。両親とも家を空けていて、凶行に巻き込まれなかったのが不幸中の幸いだった。
誘拐犯達はヘルベルト家にメッセージを残していった。いわく、子供を帰して欲しければ、エビン・ヘルベルトのコレクション、双月の武具一式を引き渡せ、と。
メッセージを読んだ途端、オリバーの父であるニコラはエビンのもとに直行し、メッセージを伝えた。
孫をさらった敵の正体は、火を見るよりも明らかだった。
「完全にやられた……」
この世の終わりを迎えたかのような絶望感に苛まれながら、エビンは語った。
「よもや孫に手を出してくるとは……。これは私の失態だ」
「いやいや、悪いのはお孫さんをさらった奴らですよ」
「いや、私の想定が甘かったんだ。こんなことまで平気でやらかす相手だとは思っていなかった。だが、私の罪を孫にあがなわせるわけにはいかん。私の命に代えても、オリバーを守らねばならんのだ」
と言い切って、エビンは再びレーデルに深く頭を下げた。
「だから頼む! 双月の竜騎士の兜を私に譲ってくれないか!」
エビンの嘆きの深さに、レーデルは滅多なことを言えなかった。
ただ、兜の持ち主であるアレクトにすがるような視線を向ける。
「……仕方ありませんねえ」
アレクトは大きなため息をついた。
「こうまでされては、私も折れるしかないでしょう。私が意地悪したおかげで子供が死んだとなれば、向こう一週間は寝覚めが悪い」
「頼めるのか」
「今すぐ持ってきますよ」
レーデルにそう請け負って、アレクトはフロアから一旦退出した。
レーデルはエビンの肩を支え、席に座らせた。
「人質と武具の交換日時の指定はあったんですか」
「三日後午後四時、ホルスベック北のストーンマーテン廃教会に来い、と。それまでにモノを揃えられなければ、オリバーは……」
それ以上は声にならなかった。
「必ずお孫さんは無事に取り戻しますよ」
自信をみなぎらせた声で、レーデルは請け負った。
実のところ自信などまったくなかったが、エビンを不安がらせるわけにはいかなかった。
「そうそう。悲観ばかりしていたら、かえって判断を誤るんじゃないかな」
ルーティが言葉を重ねる。
エビンに見返されると、ルーティは気まずそうな顔をした。
「先日のことは謝るよ。ボクも言い過ぎたようだ」
意外にも、ルーティは自分から折れてみせた。
意表をつかれたようで、エビンは驚きの表情を隠せなかった。直後、小さく息をつく。
「こちらこそ、大人げないことをしてしまった。すまなんだな」
「……ルーティ、おまえの方から謝るなんて、珍しいじゃないか」
レーデルの言葉に、ルーティは明後日の方向を向いた。
「ボクにだって、良心がとがめることはあるのさ」
と吐き捨ててから、エビンを力づけるように言う。
「それに、大の男がくよくよしている姿はあまり見たくない。レーデルを信じることだ。ここにいるのは、かつて教会の勇者として選ばれた男なんだ。きっとなんとかしてくれる」
「……言うじゃないか。人形だかなんだかよくわからない存在の分際で」
とげのある物言いではあったが、エビンの声には少し元気が戻っていた。
「信じていいんだな、勇者……いや、元勇者」
「全力を尽くします」
神妙な表情で、堂々とレーデルは言った。
「お待たせしました……」
その時、アレクトがコーヒーハウスのフロアに戻ってきた。
その手には、黒い輝きを放つ双月の竜騎士の兜が抱かれていた。
「う~ん。いい景色だな」
崖の上に吹き付ける爽やかな風を受け止めながら、レーデルは背伸びをした。
レーデルにルーティ、セレナにアルケナルは、人質交換の地の下見にやって来ていた。
ホルスベックをはじめ、同盟諸都市を貫く大河ヒステール。十数メートル下にヒステール川が流れている崖の上に、指定された廃教会はあった。
かつてはこの教会を中心に、集落が存在したのだろう。しかしかつての住人達はいずこかへ去り、今は荒れ地となっている。わずかに残る石積み、ぼろぼろの石畳、そして墓地とおぼしき石碑の列が、かつての名残を辛うじて伝えていた。
廃教会だけは、風雨にさらされながらも、かつての姿を保っていた。崖との間に防風林が立ち並んではいるものの、崖の上にぽつんと建っているという印象である。
「結構目立つな。待ち合わせ場所としては悪くねー」
セレナが感想を語ると、アルケナルも同意した。
「それにレーデルの言うとおり、眺めがいいわね……ピクニックにはもってこい……」
対岸側も十数メートルの崖になっていて、緑の丘が続いている。穏やかな自然に包まれた、大地の息吹を感じさせる場所である。
「下見に来たのはいいけど、人質交換、どんな流れになるんだ?」
セレナはレーデルに問いかけた。
廃教会と切り立った崖以外は、ただ真っ平らな地面が広がっているという地形である。いざこの場で対決となった時何が起きるのか、想像する手がかりに乏しい。
「敵がこの場所を選んだのには絶対理由があるはずだ」
レーデルは廃教会の中に入っていった。セレナとアルケナルもそれに続く。
「いつだって大切なのは逃げ道だ。逃げ道を確保していれば、少々の無茶もできる。俺は、この教会のどこかに敵の逃げ道があると思うね」
「ここから逃げ道ってことは……崖下に降りる隠し階段か?」
「多分な。床に注意して、しっかり調べろ。ルーティも頼むぞ」
「はいはい」
三人と一体は、廃教会の部屋という部屋を巡り、徹底的に床を調べた。じっくり視認して不自然な溝がないか、床を繰り返し踏んづけて妙な音がしないか、確かめる。
やがて、セレナが声を上げた。
「……おーい! これじゃねーか?」
廃教会の奥の部屋の隅の床に、直径五センチほどの鉄の輪が生えていた。
すぐそばの壁には、何十年というレベルで触られていないであろう古びたロープが輪になって引っかけられていた。
ロープを鉄の輪にかけ、三人で引っ張り上げてみると、重い敷石が持ち上がり、その下から独特の異臭が吹き上げてきた。
「正解だ。やったなセレナ」
「フフ。どーだい」
ルーティに褒められると、セレナは胸を張った。
入口こそ人一人入れる程度の狭いスペースだったが、その下には螺旋階段が伸びていた。自然にできた縦穴とは考えにくく、おそらく人の手によって掘られた穴だろう。
一同は穴に入り、螺旋階段を下った。
「古い建物には、たまにこういうのがあるもんだ。今は見捨てられた教会だけど、かつては要人を匿って逃がすとか、重要な役目を果たしたこともあったんじゃないかね」
下りながら語るレーデルの声は、縦穴の空間によく響いた。
一番底はそこそこ広い空間になっていた。自然の浅瀬があり、小舟が乗り付けられるようになっている。
ごく狭い足場を通り、水平に伸びる洞窟を抜けると、急に視界が広がる。ヒステール川の穏やかな流れが、眼前にあった。
思った通りだ、とレーデルは頷いた。
「ほーら。いざという時はここから船に乗って脱出するんだ」
「ということは……ここに伏兵を置く……?」
アルケナルが提案する。
「それがいい。取引を成功させて、連中が油断しているタイミングを狙う。一番安全な作戦だな」
「安全なのはいいけど、誰が伏兵になるんだよ」
セレナが疑問を口にした。
「あたしらは上にいねーと怪しまれるぜ。上で斬り合いになる可能性もあるし」
「アレクト一人では荷が勝ちすぎるわよね……」
アルケナルにもそう言われて、レーデルは少し考え込んだ。
「それじゃ、さらに別の人間を駆り出すしかないな」
「アテがあるのかよ」
「ある。用心棒仕事で動けない、なんて言われなきゃいいんだけど。とはいえ、セレナがお願いしていると聞けば必ず来てくれるんじゃないかな」
「…………?」
セレナはピンとこないようだった。が、アルケナルにはレーデルの意図は伝わった。
「なるほど……あの二人に頼むのね……」




