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その4 パンデモニウムのオレンジ


 ル・ロアンに侵入したポイントに戻ってみたところ、城壁は完全に復活していた。

 赤い石造りの堅牢な壁が、左右へどこまでも伸びている。高さは常人の身長の数倍もあり、単独で乗り越えることは不可能。

 レーデルは壁の表面を叩いてみたが、手応えとして返ってきたのはただその堅牢さばかりだった。


「俺たち、この辺から入ってきたよな?」


 記憶と著しく異なる光景に、レーデルはつい不安になる。

 ルーティもレーデルを真似て、壁を撫でた。


「間違いないね。ただ、この壁自体にもある種の魔力を感じるよ。ル・ロアンの住人と同じ種類のね」

「壁が幽霊……ってことはないよなあ」

「ないね。つまり逆に言うと、その辺を歩いている方々も幽霊じゃない。魔力で構成され、再現された何かだ」

「ゆ……幽霊じゃねーんだな!」


 セレナは、焦燥と笑みがない交ぜになったような顔になった。


「そ、そんなこったろうと思ってたぜ! 幽霊がこんなに山盛り出てくるわけねーもんな!」

「ま……そこは幽霊の定義次第よね……」


 アルケナルが控えめに発言する。


「死者の霊魂がこの場に蘇ったわけではないけれど……何かが過去の住人を再構成している、ってことでしょ……それはそれで幽霊と呼んでもいいんじゃないかしら……」

「おいアルケナル! ンなこと言うのやめろや!」


 セレナは思わず声を張り上げてしまい、


「おう、静かにせよ。目立ったらどうする」


 とジークルーネにたしなめられた。憮然として、セレナは口を閉ざす。


「ここに来る途中、城門を見たか?」

「見た。がっちり閉ざされていたな」


 この地点に来るまでに、レーデルたちは城門をいくつか通り過ぎていた。

 そのことごとくが閂などで固く封じられ、幾人かの衛兵によって守られていた。


「仮に門を破って出られたとして、元のル・ロアンに戻れるものかのう?」

「さあ……。外に出た途端また濃い霧に包まれて、気がついたら幻のル・ロアンに逆戻り、という展開に俺は賭けるね」

「脱出は望み薄か……」


 悄然として、ジークルーネは肩を落とした。

 励ますように、レーデルはジークルーネの背を叩いた。


「がっかりしてるんじゃないよ。冒険者ってのはこういう時こそ明るく振る舞うもんだ」

「そういうものか」

「冒険者ってのは、自分で道を見つけるんだよ。絶望に飲まれたら、何もできなくなる。どうにかなるって考えていれば、どうにかするアイデアも思いつくし、意外とどうにかなるもんだ」

「ふーん。ヨランの件で絶望していた方の意見はひと味違うね」


 と、ルーティが口を挟む。


「うるさいなあ。ま、そうは思っていても、誰だって暗く落ち込んでしまうことはある。そういう時のために旅の仲間がいるんだよ」

「旅の仲間か……そうだな」


 ジークルーネは自分の顔を叩いて、気合いを入れ直した。


「たしかに、落ち込んでばかりはいられんな。元のル・ロアンに戻るため、あがかねばならん」

「その調子その調子。ただし、その辺の住人への聞き込みは俺たちに任せてくれよ」


 もう一度、レーデルはジークルーネの背を優しく叩いた。




「外の様子、どうなっているか知ってる?」


 レーデルは道行く男性を捕まえると、あたかもル・ロアン市民ヅラをしながら、探るように問いかけた。


「あまり絶望したもんでもないよ」


 五十代くらいの赤ら顔の男性は、声をひそめて言った。


「城壁の外はすっかり魔物どもに囲まれてしまっているけどな。でも、そのうち都市同盟の援軍が来てくれるって知り合いの役人が言っていた。ちょっと我慢すりゃ、なんとかなるって」

「でも、コグナックとかフェルデンとか、あっちの方は……?」


 ル・ロアンより西にある都市の名を、レーデルは持ち出す。ル・ロアン籠城戦の折には、その辺の都市は大魔王軍に占領されていたはずだった。


「連中に同情はするがね。ここみたいに堅牢な城壁を築いて備えてなかったから、その報いが下ったのさ」


 男性はル・ロアンの城壁の優位性を信じて疑わないようだった。


「食料の備蓄はどれだけあるんでしょう」

「二、三年は耐えられるはずだぞ。近所の村の新鮮な牛乳はしばらく飲めなさそうだが、我慢するしかねえな。……おっと! 俺はそろそろいくぜ」


 軽く手を掲げて挨拶すると、男は薄霧の向こうに消えていった。


「……案外のんきに構えてやがるな」


 と、セレナは率直な感想を述べた。


「それより今ので大事なことに気づいたぞ。ここ、食うものあるのか?」

「俺もそろそろその問題に向き合うべきだと思っていた」


 レーデルは渋い顔をした。

 ここはよくわからない謎の場所。食べられるものがあるかどうかは死活問題だった。

 もちろん携帯食料は持ち込んでいるが、それが尽きるまでにここから脱出できるかどうか。


「……さっき、リンゴの屋台があったよな? アレ、食べられると思う?」

「試してみるしかあるまい。ま、同じ屋台に近づくのはゴメンだが」


 ジークルーネの言葉に全員が頷いた。




 別の広場に行ってみると、オレンジを売っている屋台を見かけた。

 レーデルが代表して購入し、まずはルーティに見てもらう。


「これも魔法の産物だね、その辺の人や物と同じく。でも危険はなさそうだ。食べてみたら?」

「気軽に言うね。他人事だと思って」

「他人事だからね。ボクは何も食べなくても問題ないから」

「こっちは飢え死にするかどうかの瀬戸際だってのに」


 文句を言いながら、レーデルは皮を剥いた。慎重に食してみると――


「……普通にうまい」


 オレンジ以外のなにものでもない味、食感が感じられた。


「ぬぬ。一口くれないか」


 両目を光らせながら、ジークルーネがおねだりする。


「まさか大魔王様は、オレンジとか食べたことがなかったり?」

「バカにするな。オレンジなど食べようと思えばいつでも食べられるわ。予がそこまで世間知らずだと思うなよ」

「ふーん。じゃあオレンジは芋みたいに土の下で実を付けるのは知ってるかい?」


 セレナとアルケナルの視線が、同時にレーデルに飛んだ。が、すぐに意図を理解し、黙ってジークルーネの反応を見る。

 ジークルーネは数秒固まってから、馬鹿にするなとでも言いたげに鼻を鳴らした。


「……そ、そのくらい知っておるわ! メイド達が、パンデモニウムの庭の畑からオレンジを掘り出しているところを見たことあるぞ!」

「あー。さすがだね、ジークルーネ。その程度のことはご存じか」


 薄い笑みを浮かべながら、レーデルは数房まとめてちぎり、ジークルーネに与えた。

 ジークルーネは受け取ったオレンジを一房だけちぎってから、口の中に放り込んだ。


「うーん、普通においしいな」


 目を細めるジークルーネを見やってから、レーデルは残りを二つにちぎり、セレナとアルケナルにも与えた。

 セレナは今にも大爆笑しそうな顔になっていて、アルケナルがセレナの口を押さえ込んでいた。


「私も食べてみたいわね……パンデモニウムのオレンジ……」

「…………」


 セレナはこみ上げる笑いを必死に我慢しながらオレンジの房を受け取り、急いで口の中に放り込んだ。結果、むせた。


「……ウッグ!? ゲフッ! んぐぐぐ!?」

「下品な奴だな。慌てることなどあるまいに」

「食べられる時にさっさと食べるのが冒険者の流儀だ。おいしいものを最後に取っておくと、人に取られるのが常だからね」


 ジークルーネの感想に解説を加えるレーデルだった。


「とりあえず、食の問題は一安心だな。というか、籠城戦中の割にはぬるすぎないか?」

「同感。外を完全に封鎖されているのに、こんな簡単に食い物が手に入るなんてありえねー。その辺の人らも脳天気すぎるだろ」


 セレナの意見に、アルケナルも同意する。


「過去のル・ロアンに迷い込んだってわけでもないような気がするわね……まだ言い切れないけど……」

「俺も同感だし、たしかに言い切らない方がいい。もしここが過去のル・ロアンだったりしたら、そう遠くない未来に空からゾンビが降ってくるわけだしな……」

「空からゾンビ……えぐいことをするな」


 ジークルーネは空を仰いだ。空は相変わらず薄霧に覆われ、奇妙な光を地上に落としている。

 それから広場の向こうへ視線を投げて――


「……お。なにやら人が集まっておるぞ」


 レーデルたちとは反対側の広場の一隅に、市民達が徐々に集まりつつあった。皆一様に一方向を向いて、何かを待っているようである。


「なんだありゃ?」


 レーデルは屋台に歩み寄り、オレンジ売りの男に問いかけた。


「あれ、何やってるの?」

「お。そういや今日だったな」


 男は何かを思いだしたような顔を見せた。


「今日?」

「おうよ。今日は週に一度、あそこの演説台で、勇者サイリオス様が演説をする日じゃねえか」


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