その3 イカ頭巾ちゃん気をつけて
「おいおい、どうなってやがるんだ、これは……!」
あまりにも予想外過ぎる事態に、レーデルは放心してしまった。話しかけた女性が歩み去ったのにも気づかないほどに。
霧は限りなく薄くなったが、完全に消え去ったわけではなかった。故にはるか遠くまでを見通すことはできず、空を見上げれば薄もやの向こうで太陽がぼんやりと輝いている。
それでも、ル・ロアンの街並みが旧態を取り戻している光景を、視認することはできた。
傷一つ無い威容を保っている建物群。
要塞前の広場を行き交う人々。
広場の一隅では屋台が集まって果物を売り、別の一隅では大道芸人がギャラリーを集めている。
「ここに何か用か! さもなくばさっさと立ち去れ!」
太い声に、レーデルは振り返る。
見やれば、要塞入口にいつの間にか武装した衛兵二人が現れていて、セレナとアルケナルを追い出そうとしていた。
「あんたら、どこからわいて出たんだよ!?」
驚いて声を張り上げるセレナに対し、衛兵は落ち着いた様子で、
「そちらこそ、いつからそこにいた? 用がないなら帰れ!」
手に持つハルバードを傾けて、二人でバツ印を作り上げる。
「なんだと……!」
先程まで幽霊の幻に怯えていたセレナはどこへやら、食ってかかろうとするが、
「騒ぎを起こすのは良くないわ、セレナ……」
アルケナルがセレナを引きずり、レーデルたちのそばまで移動する。
「一体何がどうなっているんだ?」
レーデルの言葉に、アルケナルも困惑するのみだった。
「私にも、何が起きたやら……こんなことは普通ありえないわ……」
「ありえないつっても、実際こんなことになってるじゃねーか。ここはどこなんだよ? そもそもル・ロアンなのか?」
「何もかもわからん」
と答えながら、ジークルーネは近くのリンゴ屋台を指さした。
「とあれば、知っている人間に聞くのが常道であろう」
「いいアイデアだ。ジークルーネ、お金持ってる?」
「ん? 持っておるが、どういう意味だ?」
「尋ねるまえにリンゴを買うんだ。そうすれば向こうも口が軽くなる」
「そういうことか。なるほどな」
ジークルーネは懐中の小銭入れから金貨を取り出してみせた。
「ほれ、この通り」
「リンゴ買うのに金貨なんて出すんじゃないよ。俺が出すわ」
レーデルはジークルーネをとがめ、銅貨数枚を手渡した。
「金貨ではいかんのか」
「いかん。世間知らずがばれるぞ。それにスリに狙われる恐れが高まる」
「むむ……そういうものなのか」
「そういうもんだ。ほれ、ついていってやるから」
レーデルはジークルーネの背を押し、屋台に近づいた。
「すまん! リンゴを一つくれないか!」
背を向けてリンゴを詰め直している屋台の主に、ジークルーネは呼びかける。
屋台の主はくるりと振り向いて、ジークルーネを見やり、はっと息を呑んだ。
「……魔族! 魔族じゃねえか!」
血相を変えて、屋台の主は周囲に呼びかけ始めた。
「魔族だー! こんなところに魔族がいるぞ!」
途端、広場の空気が瞬時に緊迫した。女性は子供たちを守るようにジークルーネから遠ざかり、居合わせた男達がそれを守るように壁を作る。中には剣を抜く者までいた。
何が起きたのか理解しきれず、ジークルーネは立ちすくんでしまった。
「な……なんだ? 何故そんな反応をする……!?」
「さっさと逃げた方が良さそうだ」
レーデルは素早く判断を下し、囲みがまだ薄い方目がけて全力で走り出した。
セレナとアルケナルも、無言でレーデルの後を追った。
男性市民たちはレーデルたちを追いかけようとしたが、
「炎の精霊……氷の精霊よ……!」
逃げながら、アルケナルが二種の精霊を同時召喚。二者が触れあうことで、大量の水蒸気が爆発的に発生し、煙幕となってレーデルたちの姿を覆い隠した。
「……もう大丈夫だろ。誰も来ない」
空き家の戸口で周囲を確認しながら、レーデルは呟き、室内に戻った。
しばらく人が住んでいない家屋と見え、エントランスフロアは家具一つ無い。一休みするため、セレナたちは石の床に座り込んだ。
「まったく、なんだってんだよ……! この辺の人間が魔族を見かけただけであんなになるとかおかしいだろ! 帝国側ならともかくよぉ!」
帝国の住人と異なり、都市同盟の領域に住む人々は、魔族に対する偏見が少ない。ここル・ロアンのような魔界に近い西部であれば、魔族を忌避する者はそうそういないはずだった。
セレナの怒りはもっともなのだが――
「思うんだけど……大魔王軍の侵略を受けている時期なら、また別よね……?」
と、アルケナルが言い出した。
「そりゃ、五十年以上前ならそうだろうけど……っておい。まさか、あたしらは五十年以上前のル・ロアンにさまよいこんだとでも言いてーのかよ!」
「私達のいる場所はル・ロアンだけど、何故か普通の街に戻っているとなれば……まずそれを疑うべきよ……」
「あり得るかよ、そんな話! 一体どういう力が働いて、過去に飛んだりするんだよ!?」
「それはまったくわからないわ……でもとにかく、ここが現実のル・ロアンでないことは間違いない……生きて帰るためには、まず現状の把握からよ……」
「……はっ! そうだ!」
突然ジークルーネが声を上げ、左腕の袖をめくった。
「ティシフォネ! 聞こえるか!?」
黒いアームウォーマーを繰り返し叩き、呼びかける。しかしアームウォーマーは何の反応も示さなかった。
「むむ……寝ぼけておるのではあるまいな……!」
確認すべく、ジークルーネはレーデルに思い切り身を寄せた。体温が伝わるレベルでぴたりとくっつく。
しかし、それでもアームウォーマーはピクリともしない。
「間違いない。ティシフォネとのリンクが切れておるな……」
「ますます、ここは現実世界じゃなさそうな気がしてきたな……」
新たな苦境だった。魔剣ベゼ・ファタル、ロシエル・デア・ドレクセンという大きな問題を抱えているところに、全く別方向から新たな問題が降って湧いたのである。
しかし、悩んでいても何も解決しない。レーデルは頭の中で論点を整理し、仲間達に呼びかけた。
「アルケナルの言うとおりだ。現状の把握から始めよう。情報を集めてから、現実のル・ロアンに戻ることを考える。そのためにはまず……」
ちらり、とレーデルはジークルーネを見た。
「ジークルーネの角と目を隠さないと。ジークルーネの角の形なら、フードがあればいけるだろ」
「この家に着る物とか残ってねーかな?」
セレナの言葉を受け、一同は家捜しを始めた。
家の奥の方の部屋から衣料品を収めた箱が出てきた。フード付きの服は見つからなかったが、代わりに大きなショールが何枚か出てきた。
「これで角を隠しましょ……」
アルケナルが器用なところを見せ、ジークルーネにショールを巻き付けて、きれいに角を隠してみせた。目元も目深にし、さらに前髪を下ろして隠すことで、瞳孔の形を悟られないようにする。
「これで大丈夫かのう……?」
ショールの上から、ジークルーネは角のあたりを触った。布に隠れていても、角はほんのわずかに存在を主張しているように見えた。
「大丈夫じゃねーの、この程度。少しイカっぽく見えるけど」
「イカ頭巾です、とでも言えばバレないだろ」
セレナとレーデルはそう評し、ジークルーネの変装を容認した。
「さあて、これならいけるだろう。情報集めに出るか。……そういやルーティ、ご意見はあるかな?」
ふと、レーデルはルーティに尋ねてみた。
ショールの中で、ルーティは全員に告げた。
「ここで何が起きているのか分からないけれど、ボクから言えることが一つある。さっき、街の中にたくさん人がいたね?」
「ああ。それこそ、石を投げれば当たるほど」
「実際に石が当たるかどうか、確かめてくれないかな?」
「どういう意味だ」
ちらり、とセレナを見てから、ルーティは語った。
「さっき広場で見かけた人たち、全員普通の人間じゃないよ」
「なんだと」
「普通じゃない魔力の波動を感じる。アルケナルみたいな魔法使いとは完全に別物だよ。もしかすると、幽霊の類いかも」
すぅぅぅっとセレナの顔から血の気が引いていった。




