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その2 霧の中の幻


 ル・ロアンの廃虚は、静まり返っていた。

 雲一つない青空の下、赤茶けた遺構が静かに列をなしている。

 かつての城壁はあちらこちらでほころび、内部への侵入を容易にしていた。一部は川に浸食され、断崖になっている。

 遺構の内側には以前の姿を保っているものも多く、雨露を凌ぎうる廃虚も結構な数が残っていた。

 ならば、盗賊やら浮浪民が住み着いていそうなものだが、今のル・ロアンは全くの無人だった。人の気配どころか、最近人が住んでいた気配――ゴミやら新しいたき火の跡やら――すら、一切無い。

 ヨランの消息は気になるが、どうやらそれ以前の問題であるようだった。


「こういう雰囲気、予としては嫌いではないが……」


 神妙な面持ちで、ジークルーネが呟く。


「まるで人がおらん。ネクロポリスというやつか」

「これはなんなんだろうな……? 盗賊なんかが亡霊の噂程度でビビるとも思えないし、噂には何か理由があるのかねえ……」


 レーデルも不安を抑えきれずにいた。

 亡霊の噂が本当かどうかはともかく、何者をも寄りつかせない何かがここにあるような気がしてならない。自然と緊張は高まり、つい鳥の声や石が転がる音にも反応してきょろきょろとしてしまう。

 そしてセレナは――


「…………」


 固い表情のまま、レーデルたちの後についてただ歩く、機械めいた存在になっていた。


「おーい、大丈夫かセレナ?」

「だっだっ大丈夫に決まってんじゃねーか! あたしがビビってるように見えんのか!」


 と語るセレナの声は震えていた。

 同情の眼差しを、ジークルーネは向けた。


「どこからどう見てもビビっておるではないか」

「うるせー! ビビってねーっつったらビビってねーんだよ!」

「誰にだって弱点はある。ほれ、予がそばについていてやる」

「いるか! ガキじゃねーんだこちとら!」


 と言いつつ、セレナはジークルーネを追い払うようなマネはしなかった。


「……セレナはジークルーネに任せて良さそうね……」


 アルケナルがレーデルの隣で呟く。


「どっちがベテラン冒険者でどっちが新米だか見分けがつかないな。それより、魔剣はどの辺にあると思う?」

「さすがに、封印を行った具体的な位置までは聞いていないのよね……」


 ル・ロアンは、他の同盟都市と同程度には広い。しらみつぶしに探すとなれば、三日やそこらではすまないだろう。

 アルケナルはルーティに尋ねた。


「ねえルーティ……あなたの目で、魔剣の力を感知できないかしら……?」

「できるかもね。近くまで行けば」


 と答えるルーティの顔は冴えない。


「ただ、この廃虚全域から魔力の波動を感じるんだよね。それのせいで、はっきり特定はできないかも」

「全域から……?」

「うん。あまり感じたことのないタイプだ……ル・ロアンの噂と、何か関係あるのかもね」

「やっぱりル・ロアンには何かあるな。魔剣の影響か、それとも他に何かあるのか……」


 レーデルの不安はまるで収まらなかった。

 とはいえ、不安に尻込みしているようでは冒険者の資格はない。

 頬を両手で叩いて、レーデルは自分を奮い立たせた。


「街を一巡りしてみて……めぼしいものがないようなら、建物に手を付けてみましょうか……」

「そんな感じでいってみよう。行くぞ行くぞ!」


 アルケナルの言葉に頷き、レーデルは大きな声を上げた。




 ル・ロアンの中心部は要塞化されていて、さらにその中心部には塔が建っていた。

 外装こそ経年を経て、蔦だらけのあまり麗しいとは言えない状態と化していたが、内部はいまだ堅牢なように見えた。


「登ってみるか? 高いところからル・ロアンを眺め下ろせるかも」

「予も行こう」


 レーデルはジークルーネとともに、塔の内部に残る階段を確かめながら踏みしめ、てっぺんまで登った。

 外に出た途端、強烈な風に晒され、前髪が踊る。

 赤茶けた廃虚が眼下一面に広がる風景を予期していたのだが――


「……霧だと?」


 塔の屋上を囲う胸壁のすぐ下まで、霧が迫っていた。

 いつの間にやら、周囲には霧が立ちこめ、周囲は霧海と化していた。塔の屋上は、さながら霧の海に浮かぶ孤舟である。


「こんなに……随分急に天気が変わったな」

「おう。これはイヤな予感がするぞ」

「霧そのものに魔力を感じるね」


 ジークルーネとルーティも口々に言う。

 ル・ロアンには時々霧が湧き、訪れた者を飲み込む――そんな噂話を聞かされたばかりの身としては、のんびり構えてはいられなかった。


「急いで降りよう。一旦ル・ロアンから離れた方がいいかも」

「同感」


 二人は慌てて塔から駆け下りた。

 アルケナルとセレナは、階段直下から少し奥に入ったフロアスペースにいた。


「あ、レーデル……ちょうどいいところに……」


 と呼びかけたアルケナルだったが、レーデルとジークルーネの様子に異状を感じ取る。


「……何かあった……?」

「霧が出てるぞ。さっきまで晴れてたのに、ル・ロアン中が真っ白になってやがる」

「なんだと! マジか!」


 アルケナルのすぐそばで、セレナが切羽詰まった声を上げた。


「ルーティがイヤな魔力を感じるって言ってるし、一旦ここを出よう」

「わかったわ……」


 アルケナルは素早く頷き、


「だったら急ごうぜ!」


 セレナはレーデルの腕を取り、要塞の外へと走り始めた。

 要塞入口のすぐ外にも、濃霧は迫っていた。数メートル向こうすら見通すことのできない、異様な濃さである。


「走るなよ、セレナ! これはちょっと危なすぎる」


 レーデルはセレナを片手で押さえつつ、するりと腰から剣を抜いた。


「なんとかならないか……?」


 魔剣ナイトフロストの冷却能力で霧を凍らせ、視界を開くことはできないか、と試しに軽く振ってみる。

 冷気に当てられた霧は凍り、キラキラと光を放った――が、それだけだった。霧はあまりにも濃く、ナイトフロストはほんのわずかに視界を明るくしたに過ぎなかった。


「動かない方がいいわ……何が起きるかわからないし、離ればなれになるのが一番危険……」


 アルケナルがセレナを両腕で抱え込み、拘束する。

 セレナは抵抗しかけたが、すぐに諦めた。


「クソッ。しゃーねーな……早いとこ晴れやがれってんだ」


 レーデルたちは要塞入口に留まり、しばらく待った。


「階段の奥のフロアを見てきたんだけど……」


 その間に、アルケナルは報告した。


「ちょっとそれらしいものがあったわ……魔法円の跡と、いかにも剣を固定していたような台座……」

「台座? 台座だけ?」

「ええ……剣そのものは見当たらなかった……」

「そこはもしかして、魔剣ベゼ・ファタルが突き立っていた可能性が……?」

「あると思う……」


 深刻な面持ちで、アルケナルは頷いた。

 その意味するところを悟り、セレナが声を上げる。


「おいおい、それって最悪じゃねーか! ベゼ・ファタルはここにねーのかよ!」

「その可能性を考えなくてはならないわ……これを見て……」


 足下を、アルケナルは指さした。要塞の入口に扉はなく、石畳の床が続いている。

 そこへアルケナルが魔法の光球を静かに放つと、線で描かれた模様が浮かび上がった。


「魔法円よ……これを復元してやると……」


 光球の輝きを指に集め、アルケナルは模様をなぞった。

 なぞられた床の線は、自ら光を放ち始める。ある程度復元したところで、くるりと周囲の円を閉じると、急に石壁が持ち上がった。


「ぬおお!?」


 声を上げ、ジークルーネが思わず退く。

 石壁は、入口の周囲の壁面とシームレスに調和。もとから入口など存在しなかったかのように見えた。

 が、そっと手を伸ばすと、壁面は触れず、指はめり込んでその向こう側へ突き抜ける。


「魔法円で入口を封じた、その跡よ……もっと詳しく魔法円を再現すれば、通り抜け不可能にすることもできる……」


 アルケナルが魔法円を踏みつけ、足で線を消すと、石壁も消え失せた。


「本来なら、俺たちも入れないはずだったのか」

「ええ……これは先生のやり口だわ……要塞の奥に魔剣を封印して、更に要塞の入口を封印したんでしょうよ……」

「でも、俺たちが問題なく入れるようになっていて、しかも魔剣がない、ということは……」

「何者かが封印を破り、魔剣を持っていった可能性がある……」

「うおお……!」


 思わず、レーデルは呻いた。ボディブローのようなダメージを精神に食らい、身体を折ってしまう。


「せめて魔剣を見つけるくらいはしたかったのに……誰かが持っていっただと……!」

「まだ可能性がないわけじゃないわ……先生は幾重にも罠を仕掛けるのが得意だったから……この場所自体が盗掘者を諦めさせる罠で、魔剣は別の場所にあるかもしれないし……」


 アルケナルはレーデルを慰めたが、やや苦し紛れな主張なのは誰の目にも明らかだった。


「いや……まあ……いいんだ……」


 ゆっくりと、レーデルは精神的ダメージから立ち直った。


「半端な状態よりは、はるかにいい。心置きなく決闘を迎えられる」

「決闘ねえ……ずっとこの霧が続けば、中止になるのに……」


 ルーティの言葉もむなしく、やがて霧は薄くなり始めた。

 徐々に遠くまで見通せるようになってきたかと思うと――


「……む? 誰かいる?」


 ジークルーネが目を丸くした。

 レーデルにも見えていた。何者かが、数メートル先を歩いているかのような人影が。


「誰だよ! さっきまで誰もいなかったじゃねーか!」


 すくみ上がるセレナはアルケナルに任せ、レーデルは早足で人影に近づいた。ジークルーネがそのあとに続く。


「……すいません! そこの人!」


 いつでも剣を抜けるように心構えしつつ、フレンドリーな口調で呼びかける。

 人影は立ち止まって、レーデルたちを見返した。

 さらに霧が薄くなり、人影の姿があらわになる。

 四十代くらいに見える、ごく普通の市民のような格好をした女性だった。


「……あら。私に御用?」


 女性は、面倒くさそうにレーデルを見返した。

 内心、レーデルは驚いていた。その女性の見てくれはあまりにも普通だった――街中で出会うなら。

 だが、ル・ロアンの廃虚では話が違う。


「こ……こんなところで、何をなさってるんです?」


 動揺を抑え、質問する。

 女性は「何を言ってるんだ」とでも言いたげな眼差しを返してきた。


「礼拝に行くところよ。最近サボってたからね」

「礼拝!? 礼拝できるところがあるんですか!?」

「もちろんよ。見なさいよ、あれ」


 女性は前方を指さした。

 霧はますます晴れていき、道の前方に巨大な影が現れ――すぐにその正体を現した。

 サイナーヴァ教会の聖堂とおぼしき建造物が、そこに建っていた。


「なに……!?」


 レーデルのみならず、ジークルーネもつい声を上げた。霧が出る以前、そこは瓦礫の山しかなかったはずの場所である。

 聖堂だけではない。

 ぐるりと見渡せば、いつの間にやら、周囲は普通の街のようになっていた。

 赤茶けた煉瓦で構成された様々な建築物。

 野菜、果物などを売る屋台の列、そして売り手。

 赤土の道を往来する老若男女、様々な人々。

 ついさっきまで廃虚だったはずのル・ロアンは、完全に様変わりしていた――さながら、往時の姿を取り戻したかのように。


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