その11 「師/死」との約束
「師匠……!」
ロシエル・デア・ドレクセンの姿は、レーデルの記憶の中にあるそれと一切変わらなかった。
三十代男性で、髪は豊かな黒色。身長は高く、細身ながら引き締まった肉体の持ち主である。
皮鎧にブーツを装着しているが、手は素手のままである。剣を握る時は手袋一枚つけないのが、ロシエルの癖だった。
ロシエルが二人、三人と打ち倒していくうちに、盗賊達の注意はおのずとロシエルへと向いた。四、五人でロシエルを囲い込み、潰しにかかる。
多数の敵に囲まれて、しかしロシエルは動じた風もなく、
「束になってかかってこようが、私の敵ではない!」
白木の鞘の中程を右手で握り、水平に構えた。
ロシエルの堂々たる覇気が、盗賊達を怯ませる。
だが、盗賊達はすぐに気づいた――その構えは、正面の敵に対しては防御の用をなさない、と。
「死ねえぇぇ――っ!」
正面にいた盗賊が、真っ向からロシエルの頭を狙って飛び込んだ。
ロシエルはすぐには動かなかった。
盗賊をぎりぎりまで引きつけて、その刃先が額を裂くやと思われた瞬間、素早く身を滑らせた。
剣に空を切らせると同時に、白木の鞘で盗賊の側頭部をしたたかに打つ。
こめかみを完璧に捉えたのだろう。盗賊は剣をめいっぱい振り抜いた体勢のまま、地面に倒れた。起き上がることなく、そのまま動かなくなる。
「野郎!」
右手から、別の盗賊が突っ込んできた。斜め下に剣を構え、切り上げようと迫り来る。
ロシエルは鞘の端をつかみ、目一杯伸ばして、盗賊のみぞおちを正確に突いた。
「おごっ!?」
盗賊は息が詰まった悲鳴を上げた。
それでもなお倒れることなく、鞘を払いのけようとするが――
「……なに!?」
驚きに、盗賊の目が見開かれる。
押しのけようとしても、鞘はぴたりと胸を捕らえて動かない。
右に逃れようとすると、ロシエルは左に動いて押さえ込む。
左に逃れようとしても、ロシエルは絶妙なバランスを保ち、盗賊を逃がさない。
引こうとすれば、ますます押し込まれる。
「ど……どうなってやがるんだこいつは!?」
魔法のようなロシエルの妙技に、盗賊は思わず恐怖の悲鳴を上げた。
「そのまま押さえてろ!」
また別の盗賊が、その横をすり抜けてロシエルに襲いかからんとする。
「フン!」
ロシエルは力の入れ具合を変え、捉えていた盗賊を横に放り投げた。すり抜けようとしてた盗賊にぶつけ、二人まとめてなぎ倒す。
「のりゃああ――ッ!」
ロシエルの背後から盗賊が二人、時間差で斬りかかった。
くるりと身体を翻し、ロシエルはあたかも後ろに目があるかのごとく、最初の斬撃を回避。
さらに二人目も払い流しつつ、鞘で盗賊の膝裏を思い切り叩いた。
「うっ!?」
そんなばしょを狙われるとは思っていなかったのだろう、盗賊はがくりと膝を折り、その場にしゃがみ込む。
ふくらはぎと腿裏で、白木の鞘を挟み込む格好となり――
「……行くぞ!!」
すらり、とロシエルは片手で剣を引き抜いた。
細長い片刃の刃が、銀色の弧を閃かせたかと思うと、
「…………ッ」
盗賊の首が飛んでいた。
ロシエルはその横を駆け抜け、先にいなした盗賊のそばまで一気に詰め寄り、一閃。
受ける暇もなく、盗賊の胸から腹が縦に裂け、鮮血をほとばしらせた。
不気味な悲鳴が上がり、衆目がロシエルの周囲に集まる。
そして誰もが理解した――ほんの数瞬で、ロシエルが二人を斬り殺したことを。
ロシエルは剣を一振りして血を払い、宙に漂う血霧の向こうに、盗賊達の姿を見据えた。猛獣のごとき苛烈な視線で。
それから数拍遅れて、ロシエルが殺した盗賊の身体が、どさどさっと地面に崩れた。
その光景は、盗賊達から闘志を奪い去るのに十分だった。
「に……逃げろっ!」
誰かが声を上げるまでもなく、盗賊達は己の身一つを守るために遁走し始めた。
ロシエルは逃げる者を追おうとはせず、悠然とした足取りで斬り倒した相手のそばに寄り、足に挟まったままの鞘を引き抜いた。
静かに納刀し、音もなく収める。
一息ついてから辺りを見回し、そしてレーデルに気がついた。
「ロシエル先生……」
汗を浮かべながら、しかし無表情を装いつつ、レーデルはロシエルの視線を受け止める。
ロシエルはレーデル目指して歩み寄り、レーデルの剣が決して届かない距離で留まった。
いかめしい表情のままに、語りかける。
「……久しぶりだな、レーデル」
「お久しぶりです……」
レーデルは小さく礼を返した。ロシエルから目を離さないまま。
その様子に、ロシエルはわずかに口元を緩めた。
「フッ。今日はやり合う気は無い。この隊商の護衛を引き受けているんだろ? 仕事が終わるまで手を出す気は無い」
「……そうですか」
レーデルは人心地ついた。この点、ロシエルは嘘をついてだまし討ちを仕掛ける人物ではない。
「次の宿場町で休憩していくんだろう。そこで待っている」
ロシエルはレーデルの横をすり抜け、一人でトンネルをくぐって行ってしまった。
すり抜ける瞬間、レーデルは異常な緊張をもって迎えたが、ロシエルはなんの動きも示さなかった。
険しい視線をもって、レーデルはロシエルの背を見送る。
異様に切迫した気配を感じ取って、ジークルーネはレーデルに声をかけることすらできなかった。
隊列を整え直した隊商は、結局予定通りに宿場町にたどり着いた。軽傷者数名が出ただけで済んだのは幸運だったと言える。
隊商の人々が明日以降の旅程に備えて宿に入る中、レーデルたちは外へ抜け出し、ロシエルとの会合を持った。
ロシエルは、街道沿いの広場の銅像の台座に寄りかかって、レーデルたちを待っていた。
「色々と伺いたいことがあります、師匠」
緊張の面持ちでレーデルが問うと、ロシエルは笑顔を返した。
「そんなに緊張することはないだろう。今日はやり合う気は無いと言っただろう」
その言葉の通り、ロシエルはゆったりと構えていて、殺気の欠片も感じられなかった。
とはいえ白木の鞘を抱えている以上、レーデルとしては一瞬の油断も許されなかった。瞬時に剣を抜き、相手の首を飛ばすなど、ロシエルには造作も無いことのはずだからだ。
セレナたちが必要以上にロシエルに近づきすぎないよう注意を払いつつ、レーデルは言葉を続けた。
「教会から勇者の称号を拝命したのは本当ですか」
「本当だ」
重々しく、ロシエルは頷いた。
「レーデル・クラインハイト、裏切り者の勇者を倒すという使命を賜り、ここまで来た。偽りでもなんでもない」
「待って下さい、師匠! 何故ですか!」
「今さらそんなことを問うのか、レーデル。おまえは教会に対する重大な裏切り行為を働いた。サイナーヴァの教えを信じる者として、おまえを仕置する任務を受けるのは当然のことだ」
「裏切ったのは教会の方ですよ! 枢機卿の方です!」
必死に、レーデルは訴える。
「枢機卿が俺を殺そうとしたから、やむなく反撃に出たまでの話ですよ! 俺の責任じゃありませんって!」
「なるほど。そういうことか。たしかに枢機卿のやりそうなことだ」
ロシエルは理解を示した――が、態度が変わる気配はなかった。
「だが、おまえはもはや教会の敵なのだ、レーデル。あまりにも多くの異端審問官を殺しすぎた。私とともに任命された勇者も、既に何人か殺しているのだろう?」
「それはその通りですが、俺だって黙って殺されるわけにはいきません!」
「その申し開き、おまえが殺した相手の家族たちにもできるのか?」
「……む……」
問われて、レーデルは言葉に詰まった。
「……そんな言い方、卑怯ではありませんか!」
「そうかもな。だが私とて、責任を感じないわけにはいかんのだ。おまえに剣術のなんたるかを叩き込み、優れた剣士として育てた身としてはな」
「…………」
「このまま放っておけば、もっと多くのサイナーヴァ教徒がおまえに殺される。止めねばならん、というのが私の意見だ」
「力尽くで止めると言うんですか」
レーデルの言葉に、ロシエルは小さなため息をついてから、答えた。
「妥協案はある」
「どのような、ですか」
「おまえは冒険者をやめろ」
右手を軽く伸ばし、ロシエルはレーデルを指さした。
「引退して名を変え、どこかの街で穏やかに暮らせ。二度と剣を握るな。そう誓えば、私はレーデルを殺したものとして教会に報告する。どうだ?」
「……魔神像はどうするんです。教会からそれも要求されているんじゃないですか?」
「持っているのか?」
「持っています」
と答えつつ、ショールから頭を出そうとしたルーティを押さえつけ、隠す。
「でも、俺を殺さない限り、俺から奪うことはできませんよ。変態勇者の噂、ご存じなんじゃないですか?」
レーデルに言われて、ロシエルははっと息を呑んだ。
「ム。まさか、『肌身離さず持っている美少女フィギュア』というのが……」
「その魔神像ですよ。俺から魔神像を奪ったら、次は先生にとりつくでしょうね」
「……ま、魔神像は見つからなかったことにすればいいだろう。教会から怪しまれるかもしれんが、言いくるめられる。どうだレーデル。私とて、むやみにおまえを殺したくはない」
「…………」
少し、レーデルは考えこんだ。セレナたちも口を閉ざし、レーデルの判断を待つ。
ロシエルの提案は、十分魅力的であるとは言えた。二度と教会の手の者から狙われることなく、毎晩安眠できるなんて、なんと素晴らしいことか。
だが――
「お断りします」
はっきりと、レーデルは告げた。
「俺は冒険者稼業が気に入ってましてね。しばらくはこれで生きていこうって思っているんです。いずれ引退すべき時は来るんでしょうけど、それは俺が決めることです。誰かに命令されてやめるだなんて、俺の矜持が許さないんですよ。たとえ、その誰かってのが師匠であるとしてもね」
「……それが答えか」
「ええ。師匠と戦わねばならないというのなら、戦います」
もはや、ロシエルの腕を恐れ、怯えている場合ではなかった。
「おい、レーデル! 本気か!?」
ジークルーネの切迫した声を、セレナとアルケナルの視線を、レーデルは敢えて無視する。
「逃げるわけにはいかないよ。こればっかりはな」
自分の運命は自分で決める、という思いがレーデルを突き動かし、言葉を語らせていた。
ロシエルは悲しげな表情を見せたが、それも一瞬のこと。
「それがおまえの答えか。ならば、堂々とやり合うまで」
台座から身を起こした――が、変わらず殺気はない。
「だが、仕事を終え、身辺を整理するだけの時間はくれてやる。決闘の場も指定しろ」
「……十日下さい。決着の場は、ル・ロアンでどうです」
「ル・ロアン?」
ロシエルは妙な顔をした。
「はい。今の仕事を終えたら、ル・ロアンに行く予定ですので」
「変わった用事だな? だが……無人の地なら、誰かに邪魔されるということもあるまい。了解した、十日後にル・ロアンで会おう」
背を向けて歩み去ろうとしたロシエルを、レーデルは呼び止める。
「最後に一つだけ。師匠が亡国の王子だったという噂を聞いたのですが、本当ですか?」
「……そういえば、おまえには教えてなかったな」
ロシエルは足を止め、横向きにレーデルを見返した。
「ああ、私の本名はロシエル・デア・ドレクセン。ダーウェントとは母の姓でね。三十年前になくなったリオニアの王位継承者なのさ」
「そうだったんですか……」
「あんた、その国を復活させるために、枢機卿の命令を引き受けたわけ?」
セレナが挑発的な態度で質問する。
フッ、とロシエルは鼻で笑った。
「若い頃はそんなことも夢見ていたがね。今はどうでもいい。王が王たらざれば国は滅ぶ。それを蘇らせてもいいことはない。……だが、一族の誇りは別だ」
不意に、ロシエルの表情が怒りに引き締まる。
「我が一族には王権の証たる剣が代々伝えられてきた。モルトグレイスと名付けられたその剣は今、リオニアを接収したキャッサリア王国に渡っている。キャッサリアでは、モルトグレイスを死刑執行の斬首用に使っているそうだ。こればかりは決して許せん……!」
「そのために、勇者になったんですね」
レーデルの言葉に、ロシエルは頷いた。
「それも重大な理由の一つだ。いかにしてモルトグレイスを取り戻すか、方策を考えている最中に、枢機卿からの誘いを受けたのだ。おまえを討ち果たせば、枢機卿は力を貸して下さると言っている」
「枢機卿の言葉を信じるのですか」
「私だって枢機卿殿の評判は知っている。もとより完全には当てにしていない。ただ、約束を裏切るのであれば、相応の報いをもたらしてやるだけのこと」
ロシエルはほんのわずかに剣を抜き、ぱちんと音を立ててしまい直した。
そして踵を返し、そのままレーデルたちのもとから歩み去っていった。
「師匠……」
レーデルは、ただ黙ってその背中を見送ることしかできなかった。




