お渡ししたい物があるのです
凍土が溶け始め、ようやく残雪のない畑がちらほら目に付くようになってきた。
吹く風はいまだ肌をさす冷たさだが、寒すぎる王国の冬もようやく終わりを迎えつつある。
リチャード達はあれから冬の間もエグゼド領に足しげく通い、たまに本邸を訪れていたがその際は必ずミネルバを連れ立っていた。
普段、先代夫妻は殿下と挨拶をした後は農業試験の邪魔をしないようと早めに控えていたが、今日は別室にミネルバだけが先代夫人に引かれていった。
お茶のセッティングが終わると使用人が下がり、小部屋には先代夫人とミネルバだけとなった。
「ミネルバ、今日はお話があります」
普段は温和な雰囲気の先代夫人だが、今日は凛とした厳しさを漂わせていた。
「何度も釣書きを断っているそうね、何故かしら?」
「それは……」
「エクゼスも貴方に甘いから強くは言わないのでしょうけれど、婚姻によってはその後の人生は辛いことになるというのは、貴族の家に産まれた貴方なら計算できますわよね」
「……はい」
「そう、ならどういう計算をして当主の選んだ婚約を断っているのかしら?」
「……」
「殿下と二人で連れ立って行動を共にする。これが周りからどう思われるか分からない訳でもないでしょう」
ミネルバは言い訳にしようと思っていた事を先回りで潰された為か、俯く他なかった。
「殿下と貴方の経緯も知っています。孫娘の幸せを願う者として、思うところが全く無かった訳でもありません」
「けれどミネルバ、これは陛下が王国の安定の為に願った事なの。シェスカだってそれが分かった上で受け入れているわ。今でもあの子は時々部屋で泣いているのよ、私たちは気付かないふりをしているけれど」
「そんな、ならいったい誰が幸せになるというのですか」
――こういう言葉が出るということは、殿下も割り切れてはいないということかしら?やはり2人で既成事実でも作るつもりかしらね?どうすれば孫娘が傷を負わないよう持っていけるかしら。
「もちろん個人の幸せは大事だわ。だけど、今はそういう時代ではないの。どこもかしこも苦しい生活に喘いでいてね、それが何世代も続いているわ。みんなで力を合わせないと王国が持たないの。貴方達の農業試験だって、お爺さまは期待されているのよ」
「そうなのですね」
「ええ、王国の為に動いているのは大変良い事です。同じように陛下やお父様は勿論、王国貴族の誰もが国に殉じています。シェスカだって本来そのまま家族と領地で暮らすつもりだったのに、急に変わった自分の境遇を受け入れているわ。それもこれも国王陛下がお決めになった事だから、陛下の決定をお支えするのが臣下の務めだからなのよ」
今まで諭すように話していた口調が僅かに低くなった。
「だから、もし殿下と共に陛下の決定を妨げようとしているのならお止めなさい」
「……そのようなことは……考えておりません」
「そう、ならば結構」
「ですが、選択肢は増えても良いと思うのです」
「どういう意味かしら?」
「それはまだ……ですが間違った事はしていないつもりです」
「分かりました。ミネルバを信じます。自分や誰かを傷つけるかもしれない行動は慎みなさい」
先代夫人は優しくミネルバの頭を抱き寄せた。
だが、その日を境にリチャード達は、本邸へあまり顔を出さなくなっていったのだった。
◇
学院でのシェスカの生活は穏やかなものであった。
王族が同学年だと派閥や周辺の動きが活発になりがちだが、リチャード自身覇気のあるタイプではないのもあってか比較的静かな学年であり、それもあってかシェスカが何かに巻き込まれるという事もなく日々普通の学院生活が送れている。
2週間に一度の王宮でのお茶会は、美味しいお菓子が出る事もあって、シェスカの楽しみとなっていた。
◇
ある日の親睦の席で、
「リチャード様、今日はお渡ししたい物があるのです」
差し出された包を開くと、手巾であった。
――手巾の端に美しく丁寧に刺された刺繍に思わず見惚れてしまう。羊が刺繍されているという事は私の誕生星座にあやかっての事だろう
「これは美しいな、ありがとう大切に使わせてもらうよ」
「ふふ、来週の乗馬大会に間に合って良かったです」
――乗馬大会?あれは想い人に馬の刺繍を入れた手巾を渡すのが慣例だ。ミネルバからも刺繍の入った手巾を貰ったが、まさか?
「このモチーフは……」
「ええ、リチャード様の愛馬ネメシス号がモチーフですわ」
「ありがとう、こんなにも上手に刺繍できるものなのだな」
「自分で申し上げるのも何ですが、結構ネメシス号に似ているように刺せたと思うのです」
――危ない所だった!羊ではなかった!
気が付くと額の冷や汗が垂れ落ちる寸前にまでなっていた。
「貰って早速だが使ってもよいだろうか?」
「ええ勿論です。差し上げたものですからご自由になさって下さいませ」
刺繍を褒めてもらった上に早速使ってもらったので、シェスカは満更でもない表情を浮かべていた。
「当日はポケットに忍ばせて力を分けてもらうとするよ」
「はい、どうかお怪我などなさいませんように」
◇
ある日の親睦の席で、
「リチャード様、今日はお渡ししたい物があるのです」
籠から紙袋を取出し、テーブルの上にゴゴンと載せた。
差し出された包を開くと、結構な重量のスコーンであった。
見た目はスコーンだが、スコーンがこんな重さである筈がない。
「こ、これは美味しそうだね」
「料理長に作り方を教わって、自分で作ってみましたの」
手を伸ばしスコーンを持ち上げたが、見た目と重さが釣り合っておらず思わず取り損ねてしまった。盛り皿の上でスコーン同士が接触し「キンッ」という澄んだ金属音が室内に響き渡る。金属音を訝しみながらも手元のスコーンを口に運べる大きさに千切ろうとするが手に持った瞬間、千切るのは無理な固さだという事が直感的に分かる。
ならばと、生地の切れ目から、指を入れて強引に割ろうとするも、スコーンに負けて親指の爪が欠けてしまった。
一口大に千切る事は諦めて、紅茶に浸して柔らかくする作戦に切り替えるも、表面が滑って紅茶の中に丸ごと落としてしまった。
「あっ」
ドポンという音と共に、カップの底にスコーンが着底してしまった。
――スコーンって紅茶に沈むものだったかな?
カップの底に沈んだスコーンをどう扱うかのマナーを思い出そうとするが、どうにも思い出せない。気が付くと額の冷や汗が垂れ落ちる寸前にまでなっていた。
遠い目をしながらシェスカに目をやると、既にスコーンをモグモグと食べきっており、二つ目に手を伸ばそうとしていた。
◇
ある日の親睦の席で、
「リチャード様、今日はお渡ししたい物があるのです」
差し出された包を開くと、セーターであった。
広げてみると胸の辺り大きくいっぱいに獣の顔が美しく丁寧に編み込まれている。
――これは、図鑑でしか見た事はないが豹という獣ではないだろうか?暖かそうだが、何かが描かれた服を着るという発想は無かったな
「これは美しく編み込まれているね、ありがとう大切に使わせてもらうよ」
「ふふ、殿下のお誕生日に間に合ってよかったです」
――もう分かっている、これ絶対豹じゃないのだろう
「このモチーフは……」
「御覧の通り、リチャード様がモチーフです」
「ありがとう、こんなにも上手に編み込めるものなのだな」
「自分で申し上げるのも何ですが、結構リチャード様に似ているように編めたと思うのです」
――危ない所だった!豹とか言わないで良かった。いや待て、御覧の通りって?人から見ると私はこんな顔なのか?違うよな?違うと言って欲しい
気が付くと額の冷や汗が垂れ落ちる寸前にまでなっていた。
「今日は汗をおかきになるほど暑いようですが、セーターはとても暖かいですから部屋着にお使い頂けるとお風邪など召しませんわ」
そういった穏やかな交流を続けながらも季節が移り変わり、やがて麦の収穫時期がやってきた。
後半の小話は特に時系列を設定していません。交流期間通してこんな雰囲気といった感じです。




