目を見開いて御覧なさい!
シェスカはミネルバの実家であるエグゼド家へ養子入りし、寄宿舎を出てエグゼド領都にある本邸へと身を寄せていた。そこで先代夫人をお手本とし、共に生活をしながら高位貴族のマナーを教え込まれ、エグゼド家として王家に輿入れする事になる。
ミネルバ本人は納得済みとは言え、やはり同じ屋根の下で暮らすというのは今までの経緯から流石に心情穏やかでなかろうという事で、ミネルバは今まで通り家族と共に王都のタウンハウスで暮らし、シェスカは先代エグゼド侯と共に王都から馬車で1時間の本邸での生活が始まる。今までの寄宿舎よりは時間が掛かるが、馬車で1時間程度なので通学するのも全然苦にならない。なにせダライオス領からだと馬車で一日掛かるのである。
忙しいと言っては中々顔を出さない息子家族に寂しく思っていた先代夫妻は、年頃の女の子が居てくれるだけで家内が華やかになると大満足だ。
帰宅後から夕餉までの間がレッスン時間に割り当てられ、先代夫人に付いて回り行儀所作などを覚えて行く。先代夫人は頭2つ大きなシェスカが後ろをチョコチョコ付いてきて何でも素直に受け入れる姿が可愛くて仕方ない。
「どうかしらシェスカ、この邸にも慣れて来たかしら」
「はいお祖母さま、みなさま大変よくして頂いておりますわ」
近頃、何となくシェスカの顔色が悪く元気なさそうに見えたので、先代夫人は使用人に探りを入れてもらっていたのだが分からず、結局自分で探りを入れる事にした。
「夜は眠れているかしら」
「はい、時々実家が恋しくて泣いたりする日もありますけれど充分休めておりますわ」
それはそうだろう。だが、その事を隠さずに言える、という事はまだ良い関係なのだと思った。ならば、直接聞いても答えてくれるのではないだろうか?
「シェスカ、来た時よりも顔色が悪いようだし、元気もなくなっているように見えるの。心当たりがあるなら教えてくれないかしら。心配なのよ」
シェスカは瞠目すると俯いて顔を手で覆った。
「……」
「ねえ、シェスカ。私達を安心させる為に教えてちょうだい」
「……です」
「ごめんなさい、よく聞こえなくて」
「お腹が空いてしまうのです」
先代夫人は即座に悟った。
邸には高齢の先代夫妻とずっと仕えてくれている使用人、つまり年輩の者しかいないのだ。当然、食が細くなっているのでそれに合わせている。勿論、客を招いての社交時はそれなりではあるが、日々の生活となれば今の食事量で適正だったのだ。
そりゃ若い子には足りない。こんな大きな子がこれだけで足りるはずない。来たばかりの女の子が足りないなんて言える訳ない。私はなんて酷なことをこの子に言わせてしまったのだ。
先代夫人は自分の不明を恥じた。
「シェスカ、言いにくい事を言わせてしまってごめんなさい。これは邸の差配をしている私の落ち度です」
「い、いえ」
シェスカは顔を隠したまま耳を真っ赤にしていた。
邸のシェフ達は、シェスカに提供する2倍の量をどうにか違和感なく盛り付ける技術や、見た目は同じで脂を残したり取り除いたりする技術の開発に忽ち忙しくなったが、やればやる程邸のお嬢様が喜んでくれる、それは往年の遣り甲斐を思い起こさせる心地よい忙しさであった。
やがてシェスカは、提供された食事量にどれだけ差があったとしても、マナーを崩さず決して急がず、同じ席に着いた者と同じ食事スピードで食べきる特殊技術を会得したのだった。
歳を経た主が住まう邸特融の、時間の止まったような雰囲気はガラッと変わり、明るく華やかな未来を感じさせるような活力に満ちた雰囲気に僅か数日で変わったのを皆肌で感じてしまったのだから、新たなお嬢様を使用人一同愛さずにはいられなかったのである。
◇
秋も中旬に入り何度か降雪があり、領内は人行く箇所以外は薄っすらと残雪が残ったままだ。暖かく整えられた団らん室で、シェスカと先代夫人が共通の趣味の編み物を嗜んでいた。二人はもともと「マナーだの何だのは最低限OKならそれで良いのだ」という大らかな考えの持ち主であったので、どちらが言うでも無くいつも早々にマナーレッスンを切り上げ、日がな一日のんびりと趣味に明け暮れたりしていた。
「シェスカ、見てごらんなさい」
「ま、まぁ~何ですの?この可愛らしいお人形は!お祖母さま!ぜひ作り方を教えてくださいませ」
シェスカはバンっとテーブルに両手を付き、鼻息荒く先代夫人に詰め寄った。
狙った通りのシェスカの食いつきに、先代夫人は淑女のどや顔を扇で隠すことも無くドングリに顔が付いた編みぐるみをプラプラさせている。
ハタと気が付いた先代夫人は扇をパッと開き口元を隠してアドバイスする。
「シェスカさん、今のはお行儀がわるくてよ」
シェスカはハッとして扇を取出しパッと広げ口元を隠して言い直す。
「お祖母さま、大変可愛いらしいお人形ですこと。是非ともわたくしに作り方をご教授頂きたいですわ」
「ええ、よろしくてよ」
二人は顔を見合わせて笑い合った後、ここはこう、こうかしら?と指導を受け、夕餉を伝えに来た侍女に言われるまで二人夢中になっていた。おかげでシェスカは夕食前には見本に近いドングリ状の編みぐるみを完成させることができたのだった。
二人で廊下を歩きながら先代夫人はふと先ほどの遣り取りを思い返す。
——あまりの反応の良さに、淑女のどや顔を扇で隠すのを忘れてしまったけれど、あれをお手本だと思わせてしまっていたらどうしましょう……いいえ、時には心のままに振舞う。そう、それが大事なのよ!
王国女性の中でもかなりの上位に位置する先代夫人は、心のモヤモヤを自分に都合の良いよう上書きし、二人仲良く食堂へ向かうのであった。
◇
今日はお互いの新作披露の日である。
シェスカは編みぐるみのコツを掴んでからは元からの技術も相まって、さらには同好の士との日々の切磋琢磨により、今ではかなり高度な編みぐるみを完成させられるまでに至っていた。
集大成とも言うべき今回の新作披露は、相手が何を仕上げてくるかを内緒にしあっている。ドキドキと感動を味わうコンセプトなのである。
「まずは私から、さぁシェスカ!目を見開いて御覧なさい!」
カッと目を見開いた先代夫人は縫物籠に隠していた編みぐるみを机の上にポンっと載せた。
「きゃ~可愛い~、お祖母さま!犬です!これ犬ですね、凄く可愛らしいですわ~」
シェスカは頬を上気させ目をキラキラさせながら机の上の犬と先代夫人の顔を交互に見た後、机に置かれたそれを少しでも近くでじっくり見ようと、しゃがんで机の縁に手を乗せ目線を編みぐるみと同じ高さにして食い入るように見入っている。もはや先代夫人は淑女のどや顔を隠す事無く、むふんっと鼻孔を膨らませた。
「さあ、次はシェスカの番よ」
「これです、お祖母さま」
シェスカは編みぐるみを机の上にポンっと載せた。
一瞬先代夫人の顔が引き攣る。
——ひっ!こ、これって、虫よね?部屋に入って来たら私が大騒ぎして侍女が潰してくれるあれよね?え?だけどこんな形だったかしら?何だか色も違うわね……
机の上の編みぐるみは、頭と思しき部分が大きく、体と思しき部分からはぴょろんと短い足らしきものが4つ出ている。更には背中には触手のようなものが生えている。よく見れば頭からも生えている。それは一見しておどろおどろしい編みぐるみであったが、仕事は細やかで編み技術は申し分無く、全体的な印象としてはとても美しいのだ。
先代夫人はシェスカの編みぐるみを恐る恐る手に取り、検分を始める。
モチーフは不明だが、何とも言えない気持ち悪さとコミカルな可愛いらしさに、病みつきになる何かを感じ取った。
同好の士とはいえセンスは違う。短い付き合いではあるが、濃密な時間を過ごしている。だからこそ分かる。これは虫ではないと。
だが、当てずっぽうで外してしまうと師匠の沽券に関わる。
「シェスカこれって、あれよね。あら、私としたことが名前をど忘れしてしまったわ」
「まぁ、お祖母さま、見ての通り馬でございますのよ」
「ええ、とっても上手だわ。ずっと見ていると可愛いみが出てくるわね」
「うふふふ、そうでございましょう」
そんな遣り取りをキャイキャイ言いながら過ごすのが最近の二人のお気に入りであった。そう、二人揃って可愛いい物に目が無かったのである。
さらに言えば、先代夫人の「気持ち悪いが可愛い」という新たな扉がシェスカにより無理やりこじ開けられた瞬間でもあった。
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