知らなかった……
王城の中庭に面したティールームに二人は居た。
内庭に向かって八角形に張り出したような形状の部屋は、各壁に天井まで届く大きな窓が取り付けられており柔らかな木漏れ日をそのまま室内へ届けていた。
調度品の格式は抑えられているが白と青が基調の部屋は、若い二人がゆっくりするには気取らずに丁度良い雰囲気となっている。
「急な話で驚かせてしまったね」
「ええ、前回のお招きからそう日も経たず、父から話を伺って驚きました」
「その、シェスカ嬢は嫌ではなかったかい?」
「滅相もございません。驚きこそしましたが、お申し出は喜びに堪えません」
初めこそギクシャクした雰囲気であったが、次第に場も解れてきた。
「そういえば、聖女と呼ばれているんだって?」
「一部の領民がそのように呼んでいるという話は聞き及んでおりますが、実際に表立って呼ばれた事はありませんよ」
「力の発現などあるのだろうか?例えば病気治療とか水源の発見とか……」
「何が出来るわけでもありませんし、何故そう呼ばれるのか心当たりもないのです」
「麦の収穫量が上がると聞いたが」
「物心ついた時から領地の畑景色はそれほど変わった風でも無いです。寄宿舎住まいになるまでは領から出たこともないので他所は分かりませんし、どうなのでしょう?」
色々探ってはみたが、シェスカはまるで心当たりが無いようで、ずっと困った顔をしている。
「王家から聖女として認定するという事を言われました。正直自分の才でも家柄でもなく、よく分からない事で担ぎ上げられる事に少々恐れをいだいております」
シェスカは俯いて答えた。
ティールームを彩っていた木漏れ日は輪郭をなくし、ぼんやりとした影を落とすのみだった。
◇
そこからは目まぐるしかった。
社交シーズンが終わるまで残りひと月程しか無い。何せ一旦雪が積もってしまえば春まで溶けることはないので、往来が困難になる前に遠方貴族は自領へと帰ってしまうのだ。それもあってお披露目を間に合わせる必要があった。
王家からの聖女認定の発布。各家門への根回し。市民感情の発揚。
シェスカに限って言えば、家格合わせの為の養子縁組、リチャードとの交流、宣誓式の打ち合わせ。時間が幾らあっても足りないという状況だ。
いきなり王子との婚約者になり順当に行けば王太子妃など、トンデモナイ事態に巻き込まれているのに、そこは貴族の娘だけあって、王家の為、家門の為と愚痴一つ言わずに黙々と熟していった。
おっさん3人の呑み会から僅か3週間、王宮主導の元、怒涛の準備と根回しを経てついにお披露目に漕ぎつけた。元々リチャードは今期中に婚約者決定する予定だったとはいえ、急な決定である事は間違いなく関係各所のしわ寄せは大変なものだった。
◇
その日の朝、伯爵邸の前には馬車が整然と連なっていた。
邸のエントランスに並んだ使用人達と別れをすませたシェスカは、玄関ポーチに出てきて私達と面向かったが、お互い声を発せられずにいた。この会話が今までの親子としての関係の終わりになる事が分かっているのだ。
「お父さま、お母さま、産み育てて頂いた上、永きに渡りお支え下さり誠にありがとうございました」
「……うん」
「本日よりエグゼドに養子入りいたします。どうかお二人とも……いつまでも、お体に……どうか……」
「……うん」
「ブリガンダイン、お父様とお母様のお傍にいつも居てあげて頂戴ね」
「……バゥ」
先ほどから妻エリザは手巾で顔を覆ったまま肩を震わせている。
知らなかった……
イメージトレーニングはしていた。気の利いた言葉も幾つか練習した。ここ何年かの寄宿舎暮らしで、休み明けの出立時の寂しい感覚も多少は慣れていたと思っていた。
何もかも役に立たない。
準備していた言葉を言える気がしない。
この馬車が出た後、息ができる気がしない。
「あなた、お言葉を……」
時間が止まったかのような錯覚の中、エリザが声を掛けてきた。
呆然としながら横を向き、顔を見合わせるとグシャグシャになったエリザの顔があった。その目は真っ赤で頬は涙の跡に化粧が剥がれ、手にする手巾は重たく濡れていた。
仮にも貴族たるもの、ましてや淑女たるもの、安易に感情を表に出すものではないと娘に常日頃から諭している本人がこれである。
「あなた……お顔がグシャグシャですわよ。もう……あなたと居るとすぐもらい泣きしてしまうから、本当に困ったものだわ」
そうか……私の顔はグシャグシャになっているのか。
見ると娘の顔もグシャグシャになっていた。
もう、誰も何も取り繕う事すらできそうになかった。
二人を抱き寄せ、とめどなく続く嗚咽を抑えながらどうにか言葉を絞り出す。
「気の利いた言葉の一つでも贈ろうと思って練習していたのだが……すまない、お前が居なくなると実感した瞬間、全て忘れてしまった。元気でやるんだぞ」
――我ながら情けない言葉が出てしまった。用意していた言葉はもう飛んでしまった。だがこれは駄目だ、口下手な俺でも駄目なのは分かる。娘の門出にこれからの娘に支えとなるような言葉を紡げ!俺!
正面向かってシェスカの両肩をガッと掴んで真正面から目を合わす。娘とはいえ年頃の、ましてや貴族令嬢へとって良い態度ではないのは分かっているが、もう知らん。口を開けば何か言葉が出るだろう。後は頼むぞ!俺!
「違う、今のは無しだ!取り消しだ!
シェスカ、これだけは覚えておいて欲しい。
君は俺達の大切な……大切な娘だ。君が産まれた時、嬉しさの余り天にも昇る思いだった。本当に嬉しかったのだ。ずっと大事にしようと思った。もちろん今でもこれからもずっとだ。
必ず会いに行く。困った事があれば何を差し置いてでも必ず助けに行く。俺たちの娘に産まれてきてくれてありがとう!本当に……ありがとう……ありがとう」
「お父さま……」
「結婚への準備なのだから笑って送り出したかったのだけれど、いけないわね、私たち心の準備が足りなかったようだわ。
シェスカ、どうか……どうか幸せになって頂戴。それだけが私の……」
「お母さま……」
「……お二人の娘に産まれて……本当に……幸せでした」
しばらくの間3人抱き合ったまま泣いた後、エグゼド家の使いが馬車へのエスコートを申し出たが断った。恐らく最後のエスコートになるだろうこの役目だけは誰にも譲れない。
差し出した左手にシェスカはそっと手を乗せてきた。ほんの少し前まで強く握ったら壊れてしまいそうだった君の小さな手は、今はもうこんなにも大きいのだな。
「「お嬢様!」」
「お元気で!」
「お幸せに!」
「行ってらっしゃい!」
今まで家族の別れの邪魔をしないよう両脇に控えていた使用人達が思い思いに声を掛けてくる、中には嗚咽で声を上げられない者もいたり手巾で涙を拭ったりと様々だ。
そんな間を二人で歩んで、ついに馬車のステップに到着してしまった。
「シェスカ、家がどうとか関係ない。帰りたくなれば何時でも帰っておいで、ここは何時までも君の家だ」
小さく呟くと、シェスカはコクリと頷いてステップを上がり座席へと腰を下ろした。
邸の車寄せから馬車が廻り出て、正面門へとゆっくりと進んで行く。
ブリガンダインが馬車に並走している。車窓から名残惜しそうにこちらを見る娘とずっと視線が合ったままだった。
今見ている娘の全てを目に焼き付いてくれと願った。永久に忘れないと心に刻んだ。
エリザの肩を抱いたまま、馬車が見えなくなっても二人ともその場を動くことが出来なかった。
知らなかった……
一人娘が家から出るという事が、これ程までに心抉られる事だということを。
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