巨馬は最後に小さく嘶いた
残酷な表現が出てきます。
用法用量を守って正しくお楽しみください。
結局、最後までミネルバは牢屋から出て来ず、打ち合わせも出来ず、婚約者として横で支えさせる事も出来ぬまま処刑時刻を迎える事となり、私と指示人の二人で処刑舞台の端に誂えられた立会席に立つ事となってしまった。
しかも王妃付きの侍従が朝からずっと傍に控えており不愉快極まりない。
等と考えていたら、シェスカが縄で引かれて見物人と処刑台とを隔てる木柵の向こうへと姿を現した。見ると傍らにミネルバも居るがこちらには一瞥も向けない。
木柵の扉が開かれ、シェスカと腰ひもを握った衛士だけが入って来た。
シェスカは階段を登らされ舞台の上に立つと、こちらをチラリと見た。
堪らず目を反らしてしまう。
頼むから私を見るな。私の責任ではないし出来る事はしたのだ。
そのままギロチン台へ連れて行かれ、首置き台にベルトで括りつけられた。
縄一本で見上げる高さまでギロチン刃が吊り上げられており、その重さの全てを支える縄はキンキンに張られた状態で立会席の前に打ち付けてある金具に括られている。
そんな状態の刃の真下にシェスカが首を晒しているのだ!
今シェスカの息が出来ているのは、重い刃を辛うじて一本の縄で吊り上げているだけという現実が時折ギシっと鳴く縄の音で嫌でも痛感してしまう。
息が……苦しい……。
指示人が罪状を読み上げ、群集が呼応する。
「ま、待て、中止だ!中止を提言する!」
「え、中止――」
その言葉に群集が反応する。
舞台に近い群集がザワザワとし出した。
「処刑は執行します!」
その動揺を掻き消すような大声で法務の指示人が被せ、騒ぎを鎮静化させた。
もしかすると、自分が招いたのかもしれない事実に逃げ出したくなる。居てもたっても居られず思わず立ち上がった瞬間、感情が一切読めない王妃付きの侍従に肩を押し掴まれて再び席に着かされる。
「殿下どこへ?」
「い、いや、何でもない」
「見届けさせよと王妃様の命です」
「……」
ギシッギシッと、体型の分からない緩々とした服を纏い、目出しの黒頭巾を被った執行人が階段を登ってきた。
シェスカの方に目を遣れば、恐ろしさのあまりか執行人の方を全く見ようともせず固く目を閉じ、ここからでも分かるほど震えている。
酷く現実味がない。
一日前のこの時間、学院に向かっている最中だった。
半日前は卒業パーティーでシェスカと話をした。白地に濃紺のドレスを纏い聖女と呼んでも可笑しくない装いをしていた。綺麗だとは思ったが言葉には出さなかった。せめて声を掛けてやっておくのだった。
朝スケジュールを聞いた時酷く狼狽したが、時間が立てば何とかなる気がしていた。だが、目の前に広がる光景に、刻は解決してくれなかったのだと悟る。
親睦会はいつも突拍子もなくて楽しかった。
色恋の対象では無かったが、嫌いではなかった。
私はこんな事は望んでいない。望んでいないのだ!
彼女を憎んでなどいない。むしろ助けてやって欲しい!
――何故だ!何故このような苦しい思いをせねばならん!私が何をしたと言うのだ!
やがて隣の指示人が腕を挙げる。それをみて処刑人が頷き、ゆっくりと斧を構えた。
突然、王宮前広場の奥が騒がしくなった。
よく見ると広場の奥の集団の注意はこちらにはなく、大通りを向いて指を差したり叫んだりしている。
それらが急に蜘蛛の子を散らすようにバラバラと逃げ惑い始めたかと思うと、いきなり赤髪の大男が騎乗した巨大な馬が集団を飛び越えて広場に飛び込んできた。
あの男は!?シェスカの実父ダライオス伯だ!
「シェスカ一!!!!!!!」
その咆哮のような野太い声を聞いた瞬間、固く目を閉じて震えていたシェスカが目を見開いた。父親の姿を捉えたシェスカの顔からは一切の怯えは消えており、むしろ安堵の表情が見て取れた。
そして、潤ませた目で父の咆哮に答えた。
「お父様!!!!」
◇
広場は一気に騒然とした雰囲気となった。
人が大勢集まっている広場に、しかも王宮前広場では禁止されている騎乗での乗り入れだ。それが騎乗どころか人を頭越しに飛び越えて突入してきたのだ。あんな大きな馬に跳ね飛ばされれば只では済まない。
巨馬は人だかりを飛び越えた後、王宮前広場の磨かれた石畳に後ろ脚を取られながらも速度を落とさないよう、懸命に体を捻じり無茶な態勢ながら強引にこちらへ頭を振って正面を向ききり、さらに速度を乗せた。
「シェスカ一!!!!!!!」
「お父様!!!!」
群集は向かってくる馬に跳ねられないよう左右に飛び退きギリギリのところで何とか交わし、その真ん中をシェスカしか見ておらず他の一切を考慮していないであろう口の両側から白煙を噴きながら騎士の突撃すら凌駕した速さで巨馬が突進して来るのだ。王宮前広場に集まった群集は処刑観覧どころではなく大パニックに陥った。
――口実が出来た!処刑は中止だ!
「待っ――」
指示人に伝えるべく横を向くと、先ほど挙げていた手が水平になっていた。
―は?
執行人に目をやると、まるで時間が遅くなったのかと錯覚するような速度でゆっくりと執行人の斧が振り下ろされた。
キンキンに張られた縄は、執行人の振るった斧が床板にガッと咬み込んだ瞬間に姿を消した。
世界から音が消えた。
―ダゴンッ!!!―
重たい木と木がぶつかった鈍い音が耳に入り、重量物が衝突した重たい振動が高舞台全体に伝わり、更に振動は足元から椅子を伝って脳に届く。
視線をギロチン台に向ける事が出来ない。不快な汗が吹き出し全身を震えが襲った。
―ゴトリー
続いたその音が何か分かった途端視界は狭く暗くなり、もう何をどうやっても指一本動かすことも首を振ることもできず、息が出来ず、瞬きすら出来ず、強烈な吐き気だけが襲ってきた。
「うああああああああ!!シェスカー!!!!!!!!!」
耳をつんざく慟哭に金縛りのような状況が解け、呆然としながら声の方を向くと、ダライオス伯が木柵の扉を揺さぶりこじ開けようとしている。
太い閂で閉じられ頑丈に作られている扉だが、扉の揺さぶりは木柵全体に及び、木柵を縛っている縄からはギシッギシッと揺れる度に土埃が上がる。
「シェスカ!シェスカ!シェスカ!シェスカ!シェスカー!!!」
「「おやめ下さい」」
「お下がりください」
木柵の内側高舞台の下に控えていた衛士達が集まり、穂先にカバーを嵌めたままの槍を構え制止の声を上げるがダライオス伯の耳には全く入っていない。
主人と並んで巨馬も後ろ脚で立ち上がり、前脚で全体重を扉に掛け揺すりだした。扉はもう何とか斜めに付いているだけの状態となり、外側の1人と1頭に対して内側の衛士10人での扉の押し合いとなっているが衛士の分が悪い。
外側の衛士も急いで集まってきてダライオス伯を地に付けようと槍の柄の部分で押さえつけるが全くビクともしない。
均衡が崩され、扉はほぼ水平に押し倒され、その下には衛士が支えているのか潰されているのか分からない状態の中、巨馬は扉をぬるりと越えて柵内に入って来た。
馬本来の大きな黒い瞳は鳴りを潜め、黒目が見当たらない白眼の様相を呈してこちらを睨みつけており、たてがみは荒々しく逆立って呼気だか怒気だか分からない白い煙を全身に纏っている。
目が合った瞬間分かった。
巨馬は、ただ私を殺す為だけにそこに立ったのだ。
逃げ場はない。
衛士は全て扉にいる。
私と巨馬との間には6段の階段と執行人がいるが、それらは巨馬にとって無いに等しく一足飛びで殺しに来るだろう。
巨馬は一切私との視線を外さないまま前脚で2度3度土を掻くと、覆っていた白い煙がシュッと消え去り、ぐうっと体を沈めた。
この場からどう動いたとて殺されることを覚悟した瞬間、金属同士が激しくぶつかる音が鳴り響いた。
巨馬は音のしたダライオス伯の方に視線を向けたかと思うと、入って来た時とは異なり、するりと扉の外へ出て行った。
カラカラに乾いた喉に無理やり唾を押し込みつつダライオス伯に目を向けると、広場への騎乗侵入を止めようと追いかけて来ていたであろうプレートメイルの騎士が6人、ダライオス伯にしがみ付き体に飛び乗り地に押し倒した所だった。
地にうつ伏せに倒されたダライオス伯の上には騎士6人と衛士5人が山のように重なり、動きを封じている。「牢へ――」「捕縛の縄――」という声が連呼される。
強烈な殺気を当てられたせいか、ズボンが濡れてしまっていた。今のうちに高舞台から降りて喧噪にまみれていない王宮側扉から逃げようと階段に向かった、
その瞬間。
階段に何かが飛んで来て、激しい金属音を立てながら激突した。
「ひぃっ!」
騎士が真っすぐ飛んで来て階段に激しく打ち付けられ、体が階段にへばりつく様な角度で捻じれたまま動かなくなっていた。突然の出来事に階段上で尻もちをついて動けなくなってしまった。
恐る恐る騎士の飛んできた方向を見ると、またしても巨馬と目が合った。
――巨馬だ!そこを動くなと言っているのだ
ダライオス伯を押さえつける騎士達の山を、荒ぶる巨馬が両の後ろ脚で苛烈に蹴り飛ばしている。
「トインビー!もう良い!お前は帰れ!」
ダライオス伯の叫ぶ声が聞こえるが、巨馬は命令を聞く気は全く無いようだ。
口から息をする度に沸騰した蒸気のような怒気を放って騎士達と相対している。
金属音と共に騎士が飛ばされたかと思えば、鈍い打撲音と共に衛士が動かなくなる。じわじわとダライオス伯の上に積もる山は取り除かれていく。
避けるとダライオス伯が立ち上がる。抑えていると巨馬に蹴り殺される。
怯える衛士の目からはそんな葛藤が見て取れるが、王太子である私がここに居る以上彼らは引くことができない。
山の何人かが蹴り飛ばされた頃、倒された扉の下から次々と這い出て来た衛士が槍先からカバーを外し巨馬を取り囲んだ。
「トインビー!もういい!もう良いんだ!!!!!」
正面から胸に突き入れた衛士は頭を噛まれて上空に放り投げられ動かなくなった。
真後ろに立った衛士は尻に突き入れる前に蹴られ、両腕があらぬ角度に曲がって喚き散らした。
横から腹に突き入れた衛士は、体当たりで倒され念入りに踏み潰された。
見れば巨馬の体には槍が4,5本刺さっているが未だ雄々しく立っている。
もう巨馬を囲む衛士は4人しか立っていない。
伏していた衛士が体の斜め下から心臓に槍を突き入れた。
「トインビー!!!!!」
心臓に刺さったままの槍からは血がボダボダと滴り落ち、口からゴブリと血を吐いた。
巨馬は一瞬よろけたが踏ん張り、ダライオス伯の際まで跳ぶと両後ろ脚で山の衛士二人を蹴り飛ばした。そして崩れるようにガクリと前脚を折った。それでも小刻みに体を震わせつつ何とか立ち上がろうとするがやはり立ち上がれずドオッと倒れた。
「トインビー!!!!!」
「ぶひん」
巨馬は最後に小さく嘶いた。
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