お義姉さまと……呼んで良いわよ
「はいこれ、靴脱げていたわよ」
「取ってくれていたのですね。ありがとうございます」
ミネルバは昨夜持って帰った靴を手渡した。
「お湯を貰ってきたから綺麗にするわ」
絞った手巾で優しく顔を拭いて行くと、シェスカがピクリとした。
「ごめん、痛かったね」
女の顔に傷を付けるなんて最低な行為に腹が立って視界がぼやける。
「はい、綺麗になった。次は後ろを向いて」
シェスカは牢の柵に背中をもたらせるように座りなおす。
ミネルバはシェスカの髪を一旦解き、丁寧にブラシで梳いていく。
「あのね……」
「うん」
「あ、あのね……」
「うん」
「私、リチャード殿下と結婚したかったの……」
「うん」
「それで――」
ミネルバは今までの経緯を話し出した。
―リチャードと婚約しようかと話し合っていた事
―陛下が国を安定化させるのに聖女に縋ろうとした事
―リチャードは王太子になる為に聖女を娶らねばならないと考えていた事
―リチャードがミネルバを聖女としようとした事
―ミネルバも聖女となり王家とエグゼド家とで話し合いをしようとしていた事
―リチャードが宣言すると言い、必死で止めた事
―約束とは違い、卒業パーティーでリチャードが暴走した事
詰られても仕方ない内容をポツリポツリと話した。
親兄妹の前で全てを晒した。
「もう、嫌だ!何でこんな事に……私は自分が嫌い、大嫌い!あの男が嫌い!私からシェスカを奪うあの男が大嫌い」
「ミネルバは止めようとしてくれていたわ。昨夜傍に居てくれてとても心強かったんですよ。それに、普通なら何てことない交渉事だったのですから」
シェスカは振り返り、私の目を見た。
「ミネルバは悪くない。全然悪くない。自分の幸せの為に行動した、それは当たり前の話よ。私はたぶん鈍感だけれど、ミネルバの感情は多少理解出来るつもり。それでもミネルバは誰も傷つけなかった、少なくとも私は傷つけられていないわ」
「お義父さまやお義兄さまの前で言うのは本当に勇気が要ったわよね。それでもきちんと話してくれてありがとう。私ね、ミネルバの事大好きなの。私はミネルバと姉妹になれて本当に良かった。嬉しかったのよ。だから自分が大嫌いとか言って欲しくない。何度でも言うわ、私はあなたの事が大好きだわ」
目の前のシェスカの顔がぼやけて過ぎて、もう全く見えなくなっていた。
仕方ないので、シェスカの肩を掴んで後ろを向かせる。
牢屋内に髪を漉く音だけが響く時間が流れた。
「髪留め欠けてしまっているわ」
「あ、髪留めはこれを使って下さい」
シェスカは懐から普段使いの髪留めを取出し渡してきた。
「これって……」
「生まれて初めてお義姉さまからもらった物です。私の宝物なのですよ」
「だからお義姉さまと……呼んで良いわよ」
「やった」
「お義姉さまと、ケーキ食べられませんでしたね」
「うん」
「お義姉さまと、お酒も飲めませんでしたね」
「うん」
「お義姉さま、夜のお喋り楽しかったですね」
「うん」
「他にもお義姉さまと、一緒にやりたい事がたくさんあったんですよ」
「うん」
再び牢屋内では、髪を梳く音だけしか流れなくなっていた。
「お義姉さま、私……死にたくない。お父様、お母様に会いたい。ブリガンダインに会いたい」
「……うん」
「「う、うくっ」」
二人牢越しに抱き合いどちらともなく嗚咽を上げる。
エクゼスはユノーに肩を貸してもらい静かに牢の外へと出た。
◇
牢前の木陰に身を潜め、中に入るのを躊躇っていた人影が現れた。
「ミネルバは中か?」
「殿下、どうして、こ、こちらに?」
「婚約者を連れに来たのだが」
「婚約者とはミネルバの事ですか?」
ユノーは親の仇のような目でリチャードを睨みつけている。
「そうだ、早く連れて来て欲しい」
「お断り、し、します」
「何?」
「娘は義妹との別れを、お、惜しんでおります。邪魔をして下さいますな」
「絶縁したと聞いた。もう貴様の義娘でもミネルバの義妹でもあるまい」
「それは手続き上でしかありません。シェスカは最後までエグゼドの義娘として扱いますよ」
「御託は良いから、さっさと私の婚約者を連れて来い!」
リチャードは苛つき、爪を噛みながら叫んだ。
「あれは殿下との婚約を拒んでいます。それに私も許可していない」
「王命であるぞ!」
「王命?殿下はいつ王になられたのか?」
「馬鹿が!王が不在の折りは王太子が王命を発行できるのだ!そんな事も知らぬのか!」
――この小僧が!貴様のせいでシェスカがあわなくて良い目にあっているのだろうが!こいつの顔を見てから怒りで頭に血が上っているせいか、先ほどから調子が戻っているようだ
ユノーの肩から体を離し、怒鳴りつけた。
「殿下こそどうなされた?陛下は王宮に不在なだけで、案件は遠征先で判断し、その場から命を飛ばしておられる。殿下の名前だけで王命など下せる訳があるまい!」
「くっ……」
「これ以上訳の分からない事を言うのなら、王位簒奪の疑いを掛けるがよろしいか」
リチャードは俯いて握りしめた拳を小さく震わせている。
「……けろ」
「は?」
「助けろ!」
「助けてくれ!シェスカを助けてやれ!お前なら、内務卿のお前ならできるだろう!」
「……」
「助けて……やれ」
「殿下、昨晩から王妃様と共に手を尽くしましたが、反逆罪覚悟で救い出すか、陛下の帰還を待つ以外手が無いのです」
リチャードは踵を返しフラフラとした足取りで去って行った。
その直後激しい頭痛に襲われ片膝を付きかけたが、ユノーに支えて貰って事なきを得た。
◇
シェスカの髪を整え終えた後も、ミネルバはずっと牢の前で話込んでいた。
差し入れた絨毯に一緒に座り、柵越しに背中合わせでお互いの体温を感じながら、後ろ手に指を絡めて色々話をした。それは、お泊まりでの夜更かしの延長のようなとりとめのない話だった。子供の頃の話やお菓子の話、昔飼っていたウサギの話もしてくれた。
「プリミーという名前でした」
「あら、もしかしてお花の名前が由来なのかしら」
「家に来た時から右耳が齧られて半分無くて、左目は爪でやられて大きな傷が付いていて、やたらと喧嘩っ早い子だったのです。家に来て男の子だと分かったので、プリミーという格好良い名前を付けてあげたのです。最後は狐から兎小屋を護る為に戦って……」
「そ、そう、名前の通り格好良い最後だったのね」
不意に牢屋の扉が騒がしく開け放たれ、衛士達が入ってきた。
「立て、時間だ」
シェスカは既に肚を括っていたのか、諦めの浮かんだ顔で黙って立ち上がった。
牢の鍵が開けられ、警戒のなか外に出された。
「え、嫌だ!」
言っても意味が無いのは分かっているが、そんな言葉しか出てこない。
シェスカに腰ひもが結ばれ、片方を衛士が持つ。
「少しだけ良いかね」
牢屋入口からお祖父様とお祖母様が歩んでこられた。
何か言おうとした衛士達に小袋を渡すと、衛士達は半歩下がった。
「シェスカ間に合って良かった」
「お祖父さま、お祖母さま、来てくださったのですね。お腰は大丈夫ですか」
「私はね、悔しいの、悔しいのよ」
お祖父様が、シェスカとお祖母様を優しく抱きしめた。
私は所在なさげにしていたが、シェスカに手を引かれ私も輪の中に入る。
「お義姉さまにも助けられたのですが、及びませんでした。ご迷惑をおかけしました」
「迷惑だなんて、あるわけない」
「私達はね、死に装束をあなたに贈った訳じゃないのよ。なのに、こんな……こんなのって……」
お祖母様が両手を上げたので、シェスカは少しだけ屈んだ。両手で頬を優しく包み、それに答えるかのようにシェスカは背中を抱きしめ、互いに目を潤ませながらじっと見つめあう。
「お祖母さま、私お祖母さまとの団らん室で過ごす時間が大好きでしたのよ」
お祖母様は声にならなくてシェスカに顔を押し付けて頷く。
「私のもう一つの故郷はあのお部屋にさせて貰ってよいですか?」
「当たり前じゃないの!あなたの居るべき場所はあの部屋よ」
「うふふ、ありがとうございます。安心しました」
「シェスカ、この後の事は年寄りには刺激が強すぎるのでな、すまないが、これで失礼させてもらうよ」
「ええ、どうかお二人共、末永くお元気でいらして下さいませ」
牢屋の入り口扉が開かれ、こんな日に限って晴れた日差しが牢内に届き、牢屋から表へ出て行くシェスカ達の影を残していた。




