あの男が役に立たないのなら
暴力的な表現が出てきます。
用法用量を守って正しくお楽しみください。
「取り押さえろ」
突如感情のない、冷たくしわがれた声がホールに響き、あからさまに同級生では無い声に皆が辺りを見渡す。
扉に立っていた騎士が駆け寄って来て、私は腕を乱暴に掴まれ押し退かされ、シェスカを床にドンと組み伏せた。
不快で重たい振動が足元から伝わり、目の前で繰り広げられる暴力に恐怖で慄いて動けない。
「っ……」
シェスカは腕を捻り上げられ、床にうつ伏せに倒されていた。ドレスで開いた背中に、鎧を着込んだ堅い膝で体重をかけられて痛みと驚きで声が出せないようだ。騎士は懐から縄を取出し両腕を後ろ手に縛った後、縄を力任せに引っ張り立ち上がらせ、正面扉に向かって歩き出そうとした。
立場ある人物の居ないこの状況で、事態を止められそうなのは殿下しかいない。
「殿下!」
殿下に向かって叫ぶも、呆然として耳に入らないようだ。
駆け寄って両腕を掴みこちらに目線を合わさせた。
「殿下!お止め下さいませ!」
リチャードはハタと我に返ったが、未だ呆然としながらもコクリと頷いてくれる。
「き、貴様ら、なにを」
状況を把握できないリチャードは小声で囁くが、誰の耳にも届かない。
駄目だ、こんな事ではシェスカが連れて行かれてしまう。
「お待ちなさい!」
「黙れ!」
シェスカが声を張り上げたが、苛ついた騎士が後髪を引っ張り下げ顔を上に向かせる。
――女の髪を引っ張るなど何たる非常識な!
「お待ちなさいと申しております」
「黙れと言っている!偽聖女風情が」
シェスカは頭を振って引っ張られたままの髪を緩くし、騎士を正面に捉えて凛と言い放った。
「偽聖女であろうが、エグゼド家の人間です。私は今エグゼド家至宝の宝飾品を身に着けています。この乱暴な扱いによりそれが汚損されれば、貴方と貴方の家門に弁済できるとお思いですか!」
侯爵家の至宝と名が出された以上、その価値はとんでもない物と容易に想像できる。もし弁済となれば家門にも被害が及ぶと言われた騎士はたじろぎ目を反らした。
「乱暴に扱わずとも罪だというのなら出向きます。ですが、汚損させてはならない宝飾品を外すまで少しお待ち下さい」
シェスカは領主の跡継ぎ娘として育ってきたのだ。普段はぼんやりしているが腹を括った時の胆力は領主のものなのだと再認識させられた。
「ミネルバ様、ネックレスとイヤリングを外すのを手伝って頂けますか?私はこの通り手が自由になりませんので」
シェスカに名を呼ばれ慌てて駆け寄った。
「お祖母さまからお借りしている大切なお品です。どうかミネルバ様の手で必ずお祖母さまへお返し下さいませ」
シェスカへのあまりの仕打ちに涙が止まらないが、コクリと頷きシェスカの首からじゃらりとネックレスを外し、イヤリングを外しながら耳打ちした。
「必ず何とかするから」
その言葉にシェスカは泣き笑い顔でコクリと頷く。
「ま、待て、誰の命でそのような事をしているのか!」
やっと我に返ったらしいリチャードが騎士を制止する声を出した。
その問いに答えるように、神経質そうな初老の男がリチャードとシェスカの間を遮るようにゆっくりと歩き出てきた。銀髪をオールバックに撫でつけ、全体的に筋張って冷えついた雰囲気を纏う。トレードマークのモノクルを掛け、初老に見えるが大きな体は引き締まっており騎士と見紛うばかりである。王国の重鎮の一人、法務卿その人だ。
「殿下、命ではなく法です。こちらのシェスカ嬢に容疑が掛かりましたので、取り調べを行う為、捕縛致しました」
「な、何を、何の容疑だと言うのだ」
「聖女に関するものですが、その事情を聞く為取り調べを行います」
「そ、そこまでする必要はなかろう」
法務卿は聞き分けの無い子を諭すかのような口調で続ける。
「今は下がられておられるとは言え、この会は王妃様もお出ましになられた正式な謁見に準じる扱いです。そこで殿下が宣誓された以上、正式発効となります。よもや殿下が虚偽を申された訳ではありますまい」
「っ……」
「ご安心なさい、ただの取り調べです」
法務卿の冷たい無表情な顔にリチャードは言葉を続けられずにいた。
やがて正面扉は重たく閉じ、置いて行かれた私達からシェスカと法務卿達の姿は見えなくなった。
床に目をやると、編みぐるみの付いた折れた扇と、申し訳程度にしかヒールの無いキトゥンヒールが片方脱げていた。それを見てまた涙が溢れ出してきたが、どうにかそれらを拾ってホールの袖扉から廊下へまろび出た。
後ろであの男が私を呼ぶ声が聞こえたが、振り向く事さえしなかった。それどころではない。あの男が役に立たないのならお父様に頼るしかない。
◇
中央宮殿からお父様の執務室のある西棟までは、渡り廊下だとすぐに行けるが許可が無い私は一度中央宮殿から外に出て西棟に入りなおさなければならない。
袖廊下から大回廊への2段しかない階段で派手に転んで手に持っていた物を投げ落としてしまった。夜会ドレスの膨らんだフレアと何時もより高いハイヒールのせいで、階段の縁が分かり辛いのだ。こんな有り様では、エスコートの居ない中央宮殿の大階段は、きっと亀のような歩みになるだろう。
ハイヒールを脱いで、スカートの前を袋にし、持ち物を全て放り込むと随分速く歩けるようになった。おかげで大階段の縁を素足で確認しながら素早く下る事が出来た。
ここから西棟入り口までは外となるが、素足での石畳は1歩進む度にビクリビクリと得も言われぬ痛みが襲ってくる。しかも、残雪の残る石畳は刺すような冷たさで足先は痺れる。それ程進んでいないにも関わらず息が上がってきて少し休みたいが、シェスカは今頃もっと辛い目にあっているのだと思うと、また泣けてきて無理矢理にでも歩を進めた。
降りて出て昇ってと、フラフラになりながらもお父様の執務室に何とか辿り着いた。
ノッカーを叩いて名を告げると、お兄様が扉を開けて下さった。
「おや、早かっ……何があった?」
「シェスカが、シェスカを助け、う、うくっ、うえぇぇ~ん」
早く報告しなければならないのに、お兄様の顔をみて口を開いた瞬間、先ほどの酷い光景を思い出し、恐怖がぶり返して手足が震え上手く息が吐き出せず喋れなくなり、持って来た色々な物と共に床に手をついてしゃがみ込んで、子供のように泣き出しボロボロと涙が止まらなくなってしまいました。
お父様も傍まで来てくださり、お兄様が暫く背中を擦ってくれてようやく感情が落ち着いて口を開ける状態になりました。




