嫌な予感
「ダンスの前に皆に聞いて欲しい。ミネルバ嬢、前へ」
リチャード殿下の声が響き、ホールはしんと静まった。
静かに人垣が割れ、殿下の前に歩み出た。
「皆に聞いて欲しい。特に領地貴族の子息方よ、君たちが物心がついて以降、領地の収穫量が上がった覚えはあるだろうか?多少の増減はあれども、年々下がっていく一方であるかと思う。だが、エグゼド領は昨秋の収穫量は5割増しとなった。それは何故か?それはミネルバ嬢が行動を起こしたからだ。ミネルバ嬢が収穫量を増加させる技術を編み出したのだ。もちろんミネルバ嬢に倣えばどこの領地でも同じように期待できるであろう」
「え、ならうちの領でも――」
ホール内でちらほら驚嘆の声が上がる。きっと領地貴族の子達なのだろう。
「きちんと結果を出した。聖なる力というものが有るのか無いのか証明しようもないが、そのような物に頼らずともミネルバ嬢が試行と錯誤により収穫量を増大させたのだ。この事は王国にとっての希望であり福音である。間違いなく彼女は聖女と呼ぶに相応しい偉業を成し遂げたのだ」
リチャードは段下のミネルバを壇上へと誘い、横に立たせ両手を広げて声高らかに宣言した。
「よって、リチャード=ハドンソの名において、ミネルバ=フォン=エグゼドを聖女と認定したいと思う」
ホールは万雷の拍手に包まれた。
長く続いていた拍手がやがて静まりかけた時、再度リチャードが声を上げる。
「シェスカ嬢、前へ」
人垣が割れ、満面の笑みでまだ拍手をしていたシェスカが真ん中にポツンと現れた。
シェスカは急に周りが開いたことに困惑して拍手を止め、辺りをキョロキョロと見渡している。
「聞こえなかっただろうか?シェスカ嬢、前へ」
「はい」
言われるまま前へ歩み出て、婚約者の位置へ移動しようと壇上に足をかけるが小声で止められる。
「いや、壇下のままで」
「リチャード殿下!」
その瞬間、嫌な予感がして思わず隣のリチャード殿下に思わず声を掛けた。
だが、リチャードは頬を紅潮させ、こちらを見る事も無くホールの皆に聞かせるような声量でシェスカとの遣り取りを続ける。
「シェスカ嬢に問う」
ホール内は聞き漏らすまいと静まり返った。
「貴方は聖女認定された後、ミネルバのように自ら行動を起こした事があるか?」
「いえ」
「今まで聖女として何を成したのか?」
「…何も成しておりません」
リチャードはコクリと頷く。
「自分の事を聖女だと思っているか?」
「……いいえ」
シェスカが俯いて答えると、回りから驚嘆の声が上がった。
「リチャード殿下、お止め下さい!」
耐えかねて、リチャード殿下の腕を引っ張ったが止まらない。
先ほどの遣り取りで、引っかかった物を感じていたのはこれだったのだ。彼は婚約破棄すると言った。私は婚約破棄をする理由など無いと言った。
「どうかお願いします、それ以上はお止め下さい!」
絶叫に近い懇願を無視し、リチャードは掴んだ腕を振り払い、右手を大げさに上げ言い放った。
「シェスカよ、そなたは自らを聖女ではないと認めながらも聖女と偽った!よって、リチャード=ハドンソの名において、シェスカ=フォン=エグゼドの聖女認定を剥奪し、新たに偽聖女と認定する」
「従って、偽りの上に成約された私との婚約は破棄とする!新たに同家門より聖女ミネルバを婚約者として迎え入れる事を宣言する!」
聖女というのは概念的な旗印だと言っていた。功績を口実に聖女が2人になったからと言って問題はない。だけど王太子の都合で剥奪したり偽聖女と認定したりは話が違う。
こんな人前で偽聖女なんてレッテルを貼ればどうなるかなんて考えなくても分かる。この男はそんな事も分からないのか。
この際、婚約どうのは関係ない。シェスカの名誉の為にここで引くわけには行かない。
「ふざけないで!」
無意識に扇を手に叩きつけていた。
シェスカを見ると、困った顔をしてツーっと涙を溢している。
タウンハウスで何度も話したから分かる。
聖女とか王太子妃とかに執着はないけれど、情の深いこの子は人との縁が切れる事を嫌がる。リチャード個人との縁が切れる事に泣いているのだ。それは縁を繋いだ相手が王太子だろうが使用人だろうが病人だろうが気にしない。
この子はそういう子なのだ。だから皆好きになるのだ。そんな心優しき義妹をこの男は衆前で平然と傷つけた。
それでも婚約者交代が成った暁には泣かせる事になるのは分かっていた。けれど、泣かせるのはそれを最初で最後にして明るい未来を示したかった。
だから、こんな晒し者のようなことをして良い訳無い。断じて無い。
怒りのあまり頭がどうにかなりそうだ。
「殿下、シェスカに言った事を撤回して下さい」
突然の剣幕にリチャードは、たじたじとしている。
「聖女というのは概念だと聞き及んでおります。それを引き受けてくれたシェスカに対して剥奪、偽聖女の認定とは余りにも横暴で到底承服致しかねます。撤回して下さい!」
「いや、しかし、そうすれば……」
目を泳がせていたリチャードだが、突如何かを思い付いたかのように目を据えた。
「これは王命である」
それを聞いた途端、言葉を継げなくなった。貴族として生まれ育った私達にその言葉に抗う術は持っていない。
手に持つ扇がミシミシ鳴く。
先ほどした約束は何だったのよ!最初から守る気は無かったということ?そう思うと怒りと悔しさとやるせなさで涙がポロポロ溢れ出し、ついには膝の力が入らなくなりその場にへたり込んでしまった。
「嘘だろ――」
「俺たち騙されて――」
ホールはガヤガヤと慌ただしくなり、周囲から口さがない誹りが聞こえる。
そんな中リチャードは一歩前に歩み出し、シェスカの耳元で3人がようやく聞こえる程度の声量で話した。
「シェスカ、済まない。私はどうしてもミネルバと添い遂げたかったのだ。シェスカにはダライオスへ帰る手立てを尽くす。入り婿もどうにかするので親子水入らずダライオス領を盛り立てて行くが良い」
本当にいやらしい、腹立たしい。今さらどのような顔をしてこのような言葉を吐くのか。シェスカは頬に涙の筋を残したままでいたが、何とかコクリと頷いた。
「……シェスカ」
消え入りそうな涙声で名前を呼ぶことしかできなかった。
「皆、騒がせてしまった。どうか引き続き卒業パーティーを楽しんでくれ」
そうは言われてもだ。
本でしか見た事ない婚約破棄を目の当たりにし、ホールの中心で泣いている同級生の女性2人、しかも1人は力が抜けてうずくまってしまっている。助け起こすでもなく『楽しんでくれ』と言われてもと皆が困惑していた。
そんな空気が流れる中、私は何とか立ち上がり涙でグシャグシャの顔のままシェスカの元へ歩んで行った。
「ミネルバ!」
リチャードの制止の声を聞かず、そっとシェスカの隣へ寄り添った。
「ごめん、ごめんねシェスカ、ごめん」
「いえ、ミネルバ様は止めようとして下さっていました。私こそ、ありがとうございます」
「一緒に帰ろう」
「はい」
シェスカの背中にすっと手を回し、二人踵を返した。
「取り押さえろ」
突如感情のない、冷たくしわがれた声がホールに響いた。
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