↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
種蒔きの聖女 【第一部完結】  作者: 遠見じゅん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/34

しがない男爵家の息女

エグゼド本邸にシェスカを訪ねてから暫く後のお話です。

 私はダライオス伯夫人エリザ様の側仕えをしておりますマリーと申します。


 伯爵様ご夫妻は元々大変仲の良いご夫婦であられますが、シェスカお嬢様が家をお出になられてから、旦那様はさらに奥様べったりになってしまっておられます。

 背筋を伸ばして美しい姿勢で颯爽と邸内を歩き回り奥向きの仕事をテキパキとこなしている奥様に、倍ほども背の高い旦那様が背を丸めて追い縋るように後を付いて回っているのです。


 奥様の回りで細々と動く私にとっては、熊のような旦那様が仕事範囲に嵩張っているのが控えめに申し上げて邪魔なのでございます。本当に。

 うろうろしている旦那様から落ちた髭を集めて捨てて綺麗にしているのは一体誰だと思っているのかと問い詰めたいのでございます。申しませんけど。


 奥様はと言いますと、夜自室に戻ると寝るまでの間お嬢様から届いたカーデガンを常に羽織っておられます。着心地が良く暖かく、とても気に入っておられるのだとか。


 大変ようございました。


 最近はラフな装いに慣れたのかして、邸内でも肌寒い日は常にカーデガンを着て歩かれるようになっておられます。旦那様も羽織っておいでなのでペアルックでございますね。


 背中には芸術的な何かが描かれています。何がモチーフなのか私ごときでは分かり兼ねますが、お気に入りのカーデガンはお嬢様がプレゼントされた物だという事は分かってございます。

 私含め、邸使用人達もお嬢様が小さい時から接しておりますが、今までお嬢様が作られた数々の品物を正確に当てられた者は居りません。見た目は美しく仕上げられ、細部まで緻密で誰が見ても思わずホゥと口に出てしまう程良い仕事だとは判るにも関わらずです。

 ですので、それが何かと申し上げる野暮な事は決して致さない。というのが、邸使用人一同の共通認識でございます。 

 と言うのは建前で、皆一度は痛い目にあった事からの経験則として弁えている次第なのでございます。


 今日は邸消費材の契約更新日で、昼食後に出入り御用商人さんが邸に訪れています。邸の運営に欠かせない燃料や食材調達を一手に引き受けている御用商人さんです。

 邸に上がり、何かが消費されていれば勝手に追加して後から纏めて清算するようなお仕事となるので、信用が何よりも大事なのでございます。

 こちら様は、先々代から続く付き合いに胡坐をかくこと無く、我々使用人に対しても礼を失せず、余計な事は言わない。まさに誠心誠意という言葉がピッタリくる御用商人さんなのでございます。


 応接室のソファーに向かい合って座り、来年1年分の納入契約が纏まったようで奥様は複数ある契約書にサラサラと署名を終えられました。


「また1年間お願いしますわね」

「はい、いつもご贔屓にして頂き感謝の念に堪えません。ダライオス様の為でございましたら、どのようなご要望にもお応え致しますので、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします」


 御用商人さんはお礼を述べて軽く会釈をされ、最後に丸眼鏡のブリッジを中指でくいっと上げました。これにて商談終了のようです。お二人はにこやかに世間話をしながら机の上の書類を片付け始めましたので、そのタイミングで私はお出しする紅茶の用意に入りました。


「ところで素敵なカーデガンを羽織っておいででございますね」

「ええ、娘から贈られた品ですの。着心地も良いしとても暖かいのよ」

「そうでございますか、お嬢様からの贈り物とは、これはまた大変よろしゅうございますね」


 ワゴンでお茶の用意をしている私にも、当然お二人の会話は耳に入ります。


「入室した際にチラリとお背中の意匠が見えたのですが、何か特別なものなのでございましょうか?」


『あ』私は心の中で思わず言ってしまいました。


「ええ、何だかお分かりになりましょうか?」


 奥様は背中の絵が見えるように、お体を少し捻られました。私はこの後の展開を予想して思わず体が強張ってしまい、不用意にも茶器をカチャリと鳴らしてしまいました。仮にも私は奥様付きの侍女でございますのに。

『この質問への答えは、「分かりません」しかないのでございますよ』と心の中で言ってあげました。


「これは、また素晴らしい!夏野菜の入った籠でしょうか?野菜の瑞々しさが溢れんばかりでございますね」


 何故いらない事を仰るのでございますか?大きな契約が終わり緊張の糸が解れてしまったのでございましょうか?ですが口に出した以上、引っ込める事はもうできないのでございます。


 私はお二人を視界に捉える事無く、無心で目の前の紅茶を蒸らす事に専念いたしました。私の世界には湯気しかございません。他の一切合切は私には関係ないのでございます。


「お色も紫ですし、これはナスでございましょうか。ダライオス領の名産でございますものね」


 どうやら御用商人さんは傷口をグイグイ広げていかれる界隈のお人のようでございます。


 奥様は正面に向き直り無音で扇子を開いた後、バシン!と手に叩きつけながら一気に扇子をお閉じになられました。見えてはおりませんが長年お仕えしている手前、気配で分かるのでございます。


「お黙りなさい!」


 凄い気迫でございます。思わず私の肩がピクリと跳ねました。御用商人さんは気迫を真正面から受けてしまい、体は椅子からずり落ちそうになり、丸眼鏡も何故か斜めにずり落ちそうになっています。重ねて気配で分かるのでございます。


「先ほどの契約は破棄します。お前の所との契約は金輪際行いません」

「え、な、奥様!?」

「もう結構、お下がりなさい」


 最近のご夫妻は、特にお嬢様案件ではセンシティブなのでございます。これはもう一体どうなるのやらとワクワク、失礼、ハラハラしながら聞き耳を立てます。もちろん視界にはお二人を入れてございません。

 丁度奥様の好きな蒸らし時間2分20秒がきましたので、温めていたカップにゆっくりと回し淹れます


 バッと御用商人さんはソファーから横にずれ床に膝を付いて頭を垂れました。


「奥様、失礼を致しまして誠に申し訳ございません。しがない男爵家の子息であります私には審美眼を鍛える機会を得られず、素晴らしい物にはただ良いとの感覚しか持ちえず、称賛する為の語彙力を身につけられなかったのでございます。私の語彙力の無さに恥じ入るばかりでございますが、この度は私めの出自に免じて何卒お許し頂きとうございます」


『私もしがない男爵家の息女ですけどね~』と心の中で言いながら、トレイにカップを乗せテーブルに向け歩み出します。


「許します」

「あ、ありがとうございます!ありがとうございます!」


『早っ!許すの早っ!』と思わず心の中で突っ込んでしまいました。ですが、思った事を顔に出すことはございません。私は奥様付きの侍女でございますからね。

 何事も無かったかのようにすっとテーブルの上にカップを並べ、ワゴン横の待機場所へと戻りました。

 奥様は香りを確かめられた後、紅茶を口に含まれました。目を一瞬細められましたので大変ようございました。今日の室温からして、蒸らし時間を5秒追加したのは正しい判断でございました。


 その後、御用商人さんは終始恐縮しまくりで退室していかれ、私はテーブルの片づけを始めました。


「やっぱりナスに見えるわよね」


 奥様がポソリと呟きました。


『奥様もナスだと思ってたんか~い、だから許すの早かったんか~い』と思わず心の中で突っ込んでしまいましたが、もちろん顔には一切だしません。何せ奥様付きの侍女でございますから。しかし、室内には二人しか居りませんし独り言にしては大きすぎます。ギギギとゆっくりと振り返ると奥様と目が合ってしまいました。


「ん?」


 奥様は笑顔で小首を傾げて仰いました。


『ん?って何ですか、ん?って』と私は心の中で突っ込みました。

 笑顔でプレッシャーをかけるのは止めて頂きとうございます。


「私はしがない男爵家の息女でございますので、素晴らしいお品だという事までは判るのですがそれを表す語彙力がございません」


 パクってやりました。

 ええ、奥様の右後方30度を凝視したままパクってやりましたよ。


「そう……マリーは真面目で、いつも勤務中は口数が少ないのよね。それでは下がるから、後はよろしくね」

「畏まりました、奥様」


 扉の前には侍従見習いが控えておりましたが、前方上45度を凝視したまま奥様と全く目を合わそうとしておりません。


「あなたはこれ何に見えるかしら」


 先ほどまでは他人事ような涼しげな顔をしていたくせに、言葉を掛けられた瞬間、汗をダラダラと滴らせているではないですか。全く、綺麗にするのは誰だと思っているのかしら。


「ご、語彙力がしがないので私はしがないです!」

「ちょっと何を言っているのか分からないわ」


 私には分かりました。パクろうとしたけれど、プレッシャーに負けて飛んだのです。私にも経験があるので分かりました。


 奥様が彼の顔を覗き込むように前に立たれましたが、彼は視線を下げる事無く前方上45度を凝視したままです。


「ん?」


 奥様は笑顔で小首を傾げて仰いました。


「見えません」


 どうやら、長い言葉での回避は諦めたようです。


「見えませんって、目の前に居るのよ」

「見えませんでしたっ!」


「……そう」


 部屋から出る際に彼とちらりと目が合いました。何故か頷いてきたので、何となく頷き返しておきました。

お楽しみ頂けましたでしょうか。

面白いと感じたら、ページ下部の【☆☆☆☆☆】から評価やブックマークをいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。