そういうものだから
一定のリズムを刻む拍動が、カウントダウンらしかった。
こういうとき、つい考えてしまう。
私には妹がいた。それを私は母の病床で聞いた。その時まで知らなかった。
我々が生まれて半年経った頃、2人で川に落ち、助かったのは私だけだった。
母から聞いたのはそれだけだった。名前すら教えてくれなかった。何を思ってそれを私に伝えたのかは知る由もない。
当時の記憶はない。だが、死を意識すると、想像してしまう。
妹が生きていたら、どんな人生を送っていただろう。こんな死に方はしなかっただろうか。
近くで羽ばたく音がした。
【調子はどうだ?主殿】
私には、声にしか聞こえなかった。だが音ではないのはたしかだった。
目を開けると、ぼやけかけた視界の中に緑があった。
「いいように見えるか?」
【死にかけの割に、苦しんでいるようには見えないな】
「そうだな。苦しくはない。これは…擬態語で言うならふわふわが近いかな。ふわふわした痛みだ」
【つまり痛くないんだな】
「ああ、今はどこにも痛みがない。気分も悪くない。あとは一人で静かに死を待つだけだった」
【邪魔して悪かったな】
「君は何をしに来たんだ?カラット」
【前から訊こうと思っていたが、その名前はどういう意味なんだ?】
「特に意味はない。頭に浮かんだ」
【なるほどな。意味はなくても名前が必要なんだな】
「それを聞きに来たのか」
【私には使命がある】
「ほう?」
【君は死にたいか?】
「…どういう意味だ?」
【君はここから助かることができる】
「なぜ?」
【私が君のものだからだ】
「…死にぞこないの頭にも理解できるように説明してくれ」
【それは命令か?】
「そういうことにしておこう」
【了解した。ただ、これから話すことは誰にも言わないことが条件だ。本来秘密だからな】
「…その機会があるかはともかく、わかった、約束しよう」
【私はゼルドだ。ゼルドという生き物は生まれながらに、使命を背負っている。その生涯の中で必ず誰かに助けられ、その者を主とする】
「なぜそんな使命が?」
【知らない。これに関しては私は本当に知らない。私は、幸か不幸か、人間に助けられた。その瞬間に、誰かに教えてもらったわけでもないのに、自分のすべきことが分かった】
カラットと初めて会った時のことを思い出した。
【だから私は君の物なんだ】
「…なるほど。私である必要はなかったわけだ」
【まあそうなるが。私は今の話をしているつもりだったのだが】
「悪かった」
【主の命令には決して逆らわず、そして全てを捧げて主を助ける。我々はその為に生まれてきた。私には、今君は助けを必要としているように思える】
「放っておけば私は死ぬだろうな」
【ゼルドは主が望むなら奇跡を起こせる。代償はその命だけだから、規模はたかが知れているが、瀕死の君を救うくらいはできる】
「今の私がどういう状態なのか、わかっているのか?」
【知らないが、関係ない。君の命を脅かしている原因を、即座に完全に取り除くことができる。主が望みさえすれば】
「仮にそれが世界の仕組みに反するものであっても?」
【私も世界の要素の一つだよ。説明が難しいが、できないことはできないとわかるものなんだ】
少しだけ考える。
「君の意思は?」
【私の?】
「君は私を助けたいのか?」
【…君は単純な話をややこしくするのが好きだな。今、私の意思が関係あるか?】
「聞かせてくれ」
【…これは説明すべきだと思ったから説明したまでだ。選ぶのは君だ】
「そうか。なら私はこのままおとなしく死のう」
【…そうか】
「止めないのか」
【君の意思を尊重する。それとも、止めてほしいのか?】
「いや」
【…人間はよくわからない】
「思い知ったよ。前から薄々わかっていたことではあるが。この戦いで、ただの人間である私に出来ることはない。もはや私は、いてもいなくても変わらない。生き返ったところで、寧ろ皆の足を引っ張りかねない」
【だろうな】
「…これはこれ以上向き合っていたくない感情だな」
【逃げるのか】
「他の皆の為でもある」
【後悔しているか?】
「分を弁えずに出しゃばってきたことをか?当然だ。だが使命を放棄してここに来てすらいなかったら、その後悔の深さは、今の比ではなかっただろうな」
【そんなものだろうか】
「別の選択をした結果は知ることが出来ないが、自分のことならよくわかっているから、想像できる」
カラットには表情がないから、納得したのかはわからない。していないだろう。それでもいい。
「それに」
言いかけて、思わず口角が上がる。
【…何が面白い】
「いや。こんなに穏やかに死ねる機会は、もう二度とないかもしれない」
【卑怯者】
「痛いのは嫌いなんだ」
【誰だってそうだよ】
「なら私は恵まれたな。皆にもお裾分けしたいくらいだ。どうせならもっと早く教えてほしかった」
【静かになる気配がないな】
「まだな。しかし、せっかく来てくれたわけだ。少し話さないか」
【君が死ぬまでか】
「そうだな。もう二度と誰とも話せないのかと思っていたところだったから、嬉しいんだ」
【いいだろう。付き合ってやる】
「思えば、こうして話すのは初めてだったな」
【今更か。まともに頭が働いていないらしいな】
「いくつか訊いていいか。主を喪ったゼルドはどうなる?」
【そんな質問をあといくつする気だ。…さあな】
「訊き方を変えよう。私が死んだら、君はどうするんだ?」
【さてな。生きる目的はなくなるが】
「本当に不思議な生き物だな」
【変だよ。何の為にいるのかわからない、おかしな生き物だ】
「他の者は知っていてはいけないんだな」
【秘密だからな。知られてはいけないということだけはわかるんだ】
「では話を変えようか」
【今の君の場合、気にする必要はないと思うが】
「その奇跡で、君を犠牲に蘇ったとして、私の命は誰の物になるんだ?」
【?君の物だよ】
「そういうことではなくてだな」
【哲学の話がしたいなら他を当たれ。私の価値観は、人間である君とは絶対に重ならない】
「…そうか。残念だ」
【もともと私は君の物だというのもあるが。生き返ったとしても、死ぬときは死ぬし、寿命も変わらない。その場に迫っている死から逃れるだけ。その場しのぎではあるが、とりあえずは生き延びることができた。君の体、君の魂、君の心臓で。今までと何一つ変わらない、君の命だ。別に特別な何かを得ることもない。私は他に何も与えない。君が望むなら別だが】
「そうか。…」
【なんだ?】
「言い残すことを思いついた」
表情は変わらないが、カラットが首を傾けた。なんとなく、呆れたのがわかった。
「向こうにまだ息のある敵がいたら、とどめを刺しておいてくれ」
【無茶を言う】
「大丈夫だ。もう虫の息のはずだ」
【私をなんだと思っている。一応はただの鳥だぞ】
「頼んだぞ。生きている限り忘れてくれないらしいからな」
【時間の問題だろう】
「それから」
【まだあるのか】
「レタに伝えておいてくれ。竜には気をつけろと」
一瞬の沈黙。
【伝えはするが…どういう意味だ?それとも、本人には伝わるのか?】
「伝わらなければそれまでだ」
【それでいいのか】
「これはただの推測だからな。違っていたら恥ずかしい」
【これから死ぬ人間が気にするようなことか。私に人間の伝言を任せると、どうしても通訳を介することになるが?】
「それもそうだな…。まあ仕方ない」
【…そもそも君は、そういう他人の評価を気にする人間だったか?】
「言われてみれば…なぜだろうな?死を目前に【話は終わりだ】
付き合ってくれる気があるのか、いまいちわからない。
「そういえば、頼みごとをしてしまったが、これは私が死んだ後も聞いてくれるのか?」
【さあな】
「さあ?」
【この状況から、他にどうしろと言うんだ】
「それもそうか」
【まったく、だから全てを捧げてでも主を支えるべきなんだな】
「というと?」
【主に先立たれたゼルドなど聞いたことがない。私はこの先どう生きていけばいいのだろう】
「主を間違えたな」
【恨むよ】
カラットが遠ざかる音がする。
「主を置いて行くのか」
【君がまた新しい命令を思いつく前に】
「一人で死にたくないよ」
【知るか。心配しなくても、もうすぐだよ】
「ああ、最後にもう一つ頼みたい」
***
隣でスーダが顔を上げる。
紫の影が飛んで来た。
【カラット】
【副長殿】
呼びかけると返事があった。上手く通じたらしい。力が戻っている。
【あなたの主は死にました】
【知ってますけど】
答えながら、カラットは静かに着地する。
【言い方どうにかなりませんか?立場上、あなたの主でもあるでしょう?人間ってそういうこと拘らないんですか?】
【ならここで何をしてるんですか?】
我ながら質問がおかしい。
【仕方なく、最期の命令を果たすために人を探してるところです】
わたしの訊きたいことを察してくれる程度に、カラットは賢い。
【なるほど】
【伝言があります】
【今ですか】
【私は死んでも君達を忘れたりしない、だそうです】
わたしは黙り込む。
【何か言ってください】
【…以上?】
【それだけです】
【だから何ですか?】
【わたしに訊かないでください。そのまま伝えたまでです】
【忘れないから何の意味があるというんでしょう】
【気色悪いですね。やっぱり人間ってよくわかりませんね】
【偏見です。もっと全体を見てください】
【わたしの人間に対する認識は偏ってます。身近にいる人たちが多分全員変人なので】
【でしょうね。ある意味仕方ないんでしょうけど】
【それにしても、こんな言葉を遺して、何がしたかったんでしょうね。ほかに言うことなかったんでしょうか。それとも単に思いつかなかっただけか。わざわざ伝えるほうの身にもなってほしいものですね】
ふと、自分が死んだ後のことを考えてみた。どうでもよかった。マホは違ったのだろうか。
【お葬式はどうしましょう】
【今気にすることですか。まずは生きて帰ることを考えるべきでは?】
ミヤとスーダが来た。
「なにを」
「意味のあることは話してません」
「じゃあいこうよ」
「たしかに。こんなところで無駄話をしてる場合ではないですね」
歩き出そうとして、動きを止める。
「あ」
【今度はなんですか?】
わたしはカラットを見る。
【どうしよう。遺影がない】
【今気にすることですか】
なくていいんじゃない?
首の後ろはどうせ見えないし。自分でも見えないか




