第43話 その音は三人にだけ聞こえた
鈴が聞こえても追いかけず、時刻と方角を対策室へ伝える――四日前の話し合いで決めたとおり、駆け込んできた隊員のひとりが、トマさんとユスティーヌさんの報告を伝えてくれた。
「トマさんは市場の入口から祭壇のほうを指したそうです。ユスティーヌさんも、トマさんと同じ方角から聞こえたと」
隊員が続けて説明する。
「音はリン、と一度だけ。すぐ近くで鳴ったように聞こえたそうです」
そこへ、リュカ様も隊員に付き添われてやってきた。
「おれにも聞こえました。坂のふもとから見て、通りの中ほどの方角から……一度だけ、はっきりと」
ピノが場所割り図を広げ、三人の持ち場から、報告されたそれぞれの方角へ麻糸を伸ばした。
――三本の麻糸は、祭壇の近くで交わった。
ただし、音が反響しているかもしれないし、どの報告にも多少のズレはあるだろうから、交わった点が正解とは限らない。
「……うちの屋台の、すぐ近くだね」
ピノの声が小さくなった。
リュカ様は報告を終えると、隊員と一緒に坂の持ち場へ戻っていった。
もちろん、私は鈴の音など聞いていない。ピノもオディルさんも、何も気づかなかったという。すぐそばで食事をしていた人たちも、音に反応した様子はなかった。
鈴の音が聞こえたのは、眠り病から目覚めた三人だけ。しかも、三人が示した方角は、祭壇の周辺で重なっている。
以前集めた情報によれば、音が鳴ったと思われる場所は市場と橙通りの間に集中していた。そして今回も、その条件にしっかり合致している。
もし鈴が何者かによって鳴らされているものだとすれば、その何者かは、今夜はこの人混みの中にいるのかもしれない。
「あなたはここを離れるな。あとは対策室が調べる」
ジェラルド様は食べかけのお椀を台に置き、隊員たちに指示を出した。短い笛の音が二度響き、客に紛れていた隊員たちがそれぞれの持ち場へ動き出す。
けれど、通りには大勢の人が行き交っていた。鈴を手にしている人物を探そうにも、誰が怪しいのか見当もつかない。
しばらくして戻ってきたジェラルド様は、厳しい顔のまま言った。
「通りの出入口にはあらかじめ人を置いていた。だが、鈴の音を聞いた三人も含めて、鈴を鳴らしている者の姿など誰も見ていないそうだ」
「見張りの三人によれば、鈴は近くで鳴ったとのことでした。であれば、付近にそれらしい人影を見かけても不思議ではないはずなのですが……」
「鳴った場所は現時点ではまだ推測に過ぎん。決めつけるな。引き続き探らせる」
◇◇◇
「結局、誰も見つからなかったんだね」
ピノは残念そうに言いながらも、すぐに帳面を開いた。〈聖印祭〉初日の夜、三人がほぼ同じ時刻に、鈴の音を一回だけ聞いた――その事実と、それぞれの持ち場、そして方角を記し、地図にも印をつける。
「三人が聞いたって音は、やっぱ同じ音だったのかな……」
「その可能性は高いでしょうね。でも、まだわからないことだらけだわ」
私は鍋の前に戻り、お客さんに煮込みをよそい始める。
と、そのとき、背後からふっと甘い匂いが漂ってきた。
……花の蜜を、少し焦がしたような匂い。
振り返っても、そこにはお祭りのお客さんたちが行き交うばかりで、匂いの正体まではわからなかった。
「……ジェラルド様」
近くに戻っていた彼を呼び止め、小声で伝える。
「今、後ろから妙な甘い匂いがしました。花の蜜を焦がしたような匂いです」
瞬間、ジェラルド様の表情が変わった。
「どこからだ」
「すぐ後ろだと思います。でも、誰かの匂いなのか、それともどこかから流れてきた匂いなのか……そこまではなんとも」
彼は私と通りの間に立ち、周囲へ視線を走らせた。けれど、もうその匂いはしなかった。
◇◇◇
「今わかっていることを確認しよう」
大鍋の脇で、ジェラルド様が声を落とした。
「三人が、ほぼ同じ時刻に一度だけ鈴の音を聞いた。方角からすると祭壇の周辺が怪しいが、場所は特定できていない。それから、あなたの背後で甘い匂いがした」
「ええ。けれど、その匂いが今回の件に関係しているかまではわかりません。それに、人の体の匂いというより、何か身につけたものから漂ってきたような……なんとなく、そんな匂いだったように思います」
「この際、推測でもなんでもいい。気づいたことがあったらなんでも言ってくれ」
私は周囲の客に目を向けた。
「今のところ、倒れた人はいないようです。でも、何も起きていないからといって、安全だとは限りませんよね」
「ああ。二十年前と同じように、誰かを選んでいる最中なのかもしれん。このまま警戒を続けよう」
「〈聖印祭〉は、あと二日あります。中止にはしないんですか?」
「今すぐ止めれば、客が一斉に動いて混乱する。今夜は見回りを増やし、残り二日も対策室で警戒を続ける。無論、見張りの三人には無理をさせないようにしながらな」
うちの店の屋台は、今夜だけの出店となっている。明日からは自分の目で状況を見守れないと思うと不安だったけれど、今はできることを続けるしかないのだ。
◇◇◇
やがて、通りに不穏な噂が広まり始めた。対策室の隊員が慌ただしく動いたため、二十年前と同じ事件が起きるのではないかと心配する人が出てきたのだ。
さっきまで煮込みを食べていた年配の人たちも、落ち着かない様子で周囲を見回している。
私は屋台の前に出て、できるだけ大きな声で呼びかけた。
「皆さん、対策室の方々が見回ってくださっています。うちの鍋は私が一杯ずつよそい、ここで食べていただく決まりです。交換するのは空のお椀だけで、戻ったお椀は洗って確かめていますので、皆さんの安全は保証します。それでも不安な方は、どうぞよそうところを見ていってください」
もちろん、それだけでその場の全員が安心できたわけではない。それでも、何人かがうなずいてくれた。
「ほら、うちの腸詰もまだあるよ! 食べたい人はこっちにおいで!」
隣からオディルさんの声が響く。
その声に背中を押されたように、お客さんが少しずつ戻ってきた。桶屋の老主人も、お代わりを頼みに来てくれた。
しばらくすると、見張りを終えたトマさんが隊員の方と一緒に屋台へ立ち寄ってくれた。
「なあ、姉さん。俺の耳、役に立ったよな?」
「もちろんです。トマさんが知らせてくれたおかげで、対策室もすぐに動けました」
「そっか……よかった」
トマさんはホッとしたように笑い、隊員の方とともに帰っていった。
◇◇◇
夜が更けても、〈聖印祭〉はまだ続く。
私も目の前のお客さんに、最後まで温かい煮込みを出し続けた。
やがてジェラルド様が戻ってきたころには、大鍋の底が見え始めていた。
「まだ少し残っています。お代わり、いかがですか?」
「……もらおう」
私は、新しいお椀に煮込みをよそう。
ジェラルド様はひと口食べると、ようやく少しだけ表情を緩めた。
「やはり、うまいな」
「そう言っていただけて何よりです」
煮込みを食べ終えて見回りへと戻った彼を見送ると、私も屋台の片づけを始めた。
――少なくとも、私の屋台では誰も倒れなかった……それだけでも、今夜は安堵せずにはいられなかった。
◇◇◇
同じころ、お祭りの灯りが届かない路地を、ひとつの人影が歩いていた。
その手の中で、小さな鈴が布に包まれる。
「……見つけた」




