第24話 来たる査察に向けて
書面は、最初の一行から最後の署名に至るまで、堅苦しい言葉で埋め尽くされていた。
翌朝、店を開けていつものように集まってきた常連さんたちの前で、私は書面の内容を読み上げた。本当は皆に明かすつもりはなかったのだけれど、ピノが変に騒いだせいで打ち明けざるを得なかったのだ。
『飲食物の衛生管理、および無許可の薬事行為の疑いについて、十日後、食堂アメリーを査察する。なお、本査察では立会人の同席を許可する。薬事ギルド査察官・セヴラン』
読み上げた直後、店全体が沸騰するかのように大騒ぎになった。
「難癖だよ、こんなもん!」
「嬢ちゃんの作る飯の何が悪いってんだ! 飯を作るのに免状がいるってのか!」
「ガストンさん、これはそういう話ではなくてですね……」
私が一から説明しようとしていたところ、それを遮るようにして、マルタさんが腕まくりをしながら前に出てきた。
「ご丁寧に立会人の同席を許可してくれたんだ。それなら、あたしら全員で立ち会おうじゃないか」
「えーっと、さすがに全員は店に入りきらないかと」
「なら入れるだけ入りゃいいさ。溢れた分は表で待機だ。途中で交代しながらってのもいいかもね」
気づけば、誰が立会人になるかで席の取り合いが始まっていた。
トマさんは「証人なら任せろ、なんたって生き証人だからな」と胸を叩き、桶屋のご隠居と口論になっている。その気持ちはありがたいけれど、生き証人という言い回しにはちょっと笑ってしまった。
「皆さん。査察は喧嘩ではありませんから、拳は今のうちに下ろしておいてくださいね。――別にやましいことは何もありませんので、私としては堂々と店の中をお見せするだけですよ」
その言葉に、嘘偽りは一切ない。厨房も、鍋も、樽も、帳簿も、なんだってありのままを見せてやればいいのだ。怖いのは査察そのものより、「店が危ない」などという噂が先に広がってしまうことなので、査察なんてさっさと終わらせてしまうに限る。
同じことを考えたらしいマルタさんが、ぱんと手を打った。
「よし。この話が変な噂になって広がらないよう、あたしがしっかり目を光らせておくよ。だからリゼットちゃんは、安心して査察の準備を進めな」
「マルタさん……ありがとうございます」
他の常連さんたちも一緒になって「任せろ」と言ってくれて、私はどれだけ止められようと、皆に向かって何度も頭を下げ続けた。
◇◇◇
昼下がり、私はピノに帳簿の束をまとめて渡した。
「店を開けてからの仕入れと売上を、全部確かめてもらえるかしら。少しでも抜けがあったら、そこを突かれるかもしれない。だから、お願いね」
「いいぜ! ……なあ姉ちゃん、これってつまり、もうおれに店の管理を任せてもいいっていうことなのか?」
「それは、これがちゃんとできたら考えましょう」
「よし! 全部任せとけ!」
ずっしり重い帳簿を抱えて、ピノは窓際に陣取った。
――あの雨の日、帳面に載っていなかった銅貨二枚を言い当てて以来、この子はすっかり自信をつけている。
その自信は形だけではなく、「先月の麦の仕入れ、受け取りの署名がねえ」と言って実際に帳簿の抜けを見つけ出し、すぐに仕入れ先まで走っていったのだから、頼もしいことこの上なかった。
◇◇◇
夜になると、ジェラルド様が店にやって来て、眉間にしわを寄せながら薬事ギルドからの書面に目を通していた。
「すまんがギルドの管轄に対策室が口を出すことはできん」
「はい、承知しています」
今日の煮込みは、鶏と白豆だった。骨ごと煮た鶏の出汁を、豆がたっぷり吸っている。
ジェラルド様はお椀を空にしてから、低い声で言った。
「……悔しいが、この件についてはあまり役に立てそうにないな。とりあえず、俺から言えるのは――」
そう言って、彼は指を三本立てた。
「査察官からの質問には、簡潔に答えろ、ということだ。おそらく今回の査察では、帳簿に厨房、そして……店主の受け答えに不審な点はないか――この三つが主に見られるだろう。だから、余計なことは口にせず、聞かれたことにだけ答えることだ」
「さすが、尋問はお手のものなのですね」
「俺は尋問『する』側だからな」
それから彼は、お代わりの合図に、空になったお椀を静かに押し出した。
「まあ、査察の日は念のため俺も店に来る。客として飯を食いに来るのはなんの問題もあるまい」
「それはなんというか……心強いお守りになってくれそうですね」
「? お守りは飯を食わんだろう」
大真面目に返されて、私は思わず吹き出しそうになってしまった。
◇◇◇
ジェラルド様が帰り、閉店間際になった頃、店の外に上等な馬車が停まった。
降りてきたのはコンスタンス様だった。査察の話はギルド経由で丘の上へ伝わってしまったようで、どうしても今日じゅうに私と話をしたかったらしい。
「ギルドの王都支部長なら、うちの先代と古い付き合いがあったわ。わたくしからひと言、添えましょうか?」
「ありがたい申し出ですが……お断りしておきます」
「あらそう――なんてね。あなたならそう言うと思ったわ」
「コンスタンス様のお力添えは、もっと困ったときのために取っておきます。それに――」
私は、磨き上げたカウンターをそっと撫でた。
「この店のことは、店主である私自身の力でなんとかしなければいけないと思うのです。でないと、看板に傷がついてしまいますから」
「……あなたのそういうところ、わたくし、とっても好きよ」
コンスタンス様は薄く笑うと、差し入れだと言って蜂蜜の壺を置いていった。
私はその壺を眺めながら、頂き物であっても帳簿はつけておかないとな、なんてぼんやりと思った。もっとも、今はピノが言われなくても几帳面に記録してくれるだろうけど。
◇◇◇
その夜、灯りを落としかけた店の戸が、乱暴に叩かれた。
転がり込んできたのは、頭に布を巻いた中年の男性で――その顔には見覚えがあった。
市場の外れの安酒場『よろけ燕』の親父さんだ。
「店仕舞いってときにすまねえ。だが……頼む、うちの酒を見てくれ!」
肩で息をしながら、親父さんは絞り出すように言った。
「うちの客が、三人も腹を壊しやがった。医者は食あたりだって言うが、ひとりは手まで痺れてる。……うちの酒が、何かおかしいんだ」
「どうか落ち着いてください。三人に症状が出たのは、いつからですか?」
「ここ半月だ。どいつも毎晩うちに来てる常連なんだが……その日はみんなまったく別のもんを食ってた。酒だけが、みんな同じもんを飲んでた」
親父さんの興奮はとても収まりそうになく、その目は血走っていた。
――お酒、市場の外れ。それに、痺れ。
どれも、聞き覚えと身に覚えのある……嫌な言葉だった。
私はエプロンを締め直し、鍋の火を落とした。
「詳しく聞かせてください。歩きながらで結構ですので」




