第17話 潰れた屋敷の地下で
翌朝、対策室への連絡はピノに任せ、私はガストンさんと現場へ向かった。
ガストンさんが言う「例の空き屋敷」は、丘の裾――貴族街と商業区の境にあった。塀は蔦に覆われ、庭は膝丈まで草が伸びている。人が住まなくなって、もう十年以上は放置されているとのことだ。
「今の持ち主がどなたかはわからないんですか?」
「それが、土地の管理人に聞いても『代替わりを重ねてわからなくなった』としか言わなくてよ。金の出どころも妙でな。解体の依頼主は、代理人を三人も挟んでて辿れねえんだとよ」
「そういえばガストンさんの古傷も、この屋敷で負ったものでしたね」
「おうよ、三年前にな。あんときは途中で出資者が急に降りて、工事も止まっちまった。……それが今になって、どこのどいつかもわからねえやつが金を出してきたから再開ときたもんだ。妙な話だぜまったく」
「下町で、このお屋敷について何かご存知の方はいらっしゃらないのですか?」
「いや、『出る』って噂があったくらいだな。夜中に灯りが見えただの、荷車の音がしただの……それだってもう十年も前の話だ。今じゃみんな飽きちまって、ガキの肝試しにも使われやしないくらい、古い噂よ」
夜中の空き屋敷で荷車の音……? それはまた、ずいぶん働き者の幽霊もいたものだ。
他の解体職人たちはというと、地下の貯蔵庫の入口から逃げるようにして部屋の隅に退避していた。その中のひとり――昨日壺に素手で触ってしまったという若い職人は、両手をお湯に浸したまま、青ざめた顔をしている。
「壺に触ったのはこちらの手ですね。これは……あとでうちの店にいらしてください。ひとまず骨の髄まで煮出した熱いスープをお出ししますので」
「な、治せるのか?」
「これが呪いによるものならば、和らげることはできるはずです」
若い職人の顔に、少しだけ血の気が戻った。今まで何が起きているのかわからず、気が気ではなかったのだろう。
それから、私はガストンさんと一緒に地下の貯蔵庫へと足を踏み入れた。
中は思ったよりも深くて広い。
ガストンさんが灯りを掲げると、光の先に七つの壺が並んでいるのが見えた。どれも膝ほどの高さがあり、口は蝋で固く封じられていた。積もった埃を見るだけでも、長いあいだ放置されていたことがわかる。
壺に近づいた瞬間、異変を感じた。
空気は特に冷たくはない。なのに、呼吸をするたび、舌の奥にかすかな冷たさが残る。空気そのものに、呪いの気配が混じっているのだ。ここに沈んでいるものは、トマさんやリュカ様のスプーンから感じたものとは比べものにならないほど濃い。
「お、おい嬢ちゃん、大丈夫なのか?」
「ご安心を。とりあえず壺の表面を調べるだけなので」
持参した銀のスプーンで、封蝋の縁にこびりついた黒い粉をほんの少し削り、水を張った小椀に落とす。十分に薄めてから、一滴だけ舌に乗せた。
――冷たい。
刺すような呪いの冷たさ。その奥から、毒の苦味まで滲んでくる。呪いと毒が別々に存在しているのではなく、両者は重なってひとつになっていた。
呪いと毒が一体化したもの――呪毒、とでも呼ぶべきだろうか。
すぐに口をすすいだ。何度すすいでも、舌の奥の痺れがなかなか取れなかった。こうなることはある程度覚悟はしていたものの、それでも手の甲には鳥肌が立っていた。
けれど、気になったのはそれだけではない。
強い冷たさの中に、味が途切れかける場所があるのだ。トマさんやリュカ様のときにも感じた、あの「冷たい無味」に似ていた。ただし、こちらは完全に味が無いわけではなく、かすかに苦味が残っている。
もし、あの無味と同じものだとしたら……これは完成前のものなのか、それとも、もっと昔に作られた別のものなのか。
「下がってくれ」
低い声とともに、地下に灯りが増えた。
ジェラルド様と、対策室の騎士がふたり、階段を下りてくる。
「おはようございます、ジェラルド様。ピノからお話は聞いているかと思いますが、改めて――壺はこの七つ。封にはまだ手をつけていません。若い職人さんがひとり、素手で触ってしまい、呪いのような症状が出ているようです。それから私も、封蝋の縁に付着していた粉を薄めて一滴だけ味見してみたところ、舌が痺れてしまいました」
「…………」
「あ、私のほうは全然なんともありませんよ。ご覧のとおり、いつもと変わらず喋れていますので」
「……舌は大丈夫なのか」
「少し痺れが残っていますね。でも、大したことはありません」
ジェラルド様は何か言いかけたようだったけど、すぐに口をつぐむと、部下のほうへと顔を向けた。
「医官を呼べ。先に彼女を診せろ」
う……そうきたか。
思っていたよりも気を遣われて、怒鳴られるよりもかえって堪えてしまった。
程なくして駆けつけた医官は、私の舌を診て眉をひそめた。
「まだ痺れが残っているとのことですが、腫れていたり、変色していたりといった症状はないようですね。しかしまあ……無茶をなさる」
「それが仕事ですので」
ジェラルド様はそのまま私を貯蔵庫の隅に座らせ、湯冷ましを渡したところで、壺の前に膝をついた。
「それで――何がわかった」
「封蝋の縁に付着していたのは、毒と呪いが混ざった何かです。それから……ここからは推測ですけれど」
「構わん」
「あの『冷たい無味』に似た反応もありました。でも、完全に味が無いというわけではありません。……今、王都を騒がせている毒と、何か関係があるのかもしれません」
ジェラルド様の表情が、一気に引き締まる。
「つまり、この屋敷で同じようなものを作っていた可能性がある、と」
「はい。それも、ずいぶん昔に」
◇◇◇
昼になると、ピノが荷車に大鍋を載せて現場へやってきた。
不気味な壺に気を呑まれて縮こまっていた解体現場では、温かいスープだけでもありがたい。骨出汁のスープが職人たちに配られ、昨日壺に触れた若い職人も、両手でお椀を包みながらスープをすする。強張っていた指に、少しずつ血の色が戻っていくのがわかった。
「……生き返った気分だ」
「今夜、改めてうちの店に来てください。そのときにまた、同じものを召し上がるとよろしいかと。そうして冷えを少しずつ追い出していきましょう」
その間も、対策室の調べは続いていた。七つの壺は封を切らないまま運び出され、屋敷の所有記録を調べに行った騎士も、昼過ぎには戻ってきた。
「二十年以上前の記録は存在しないそうです。なんでも、当時の火事で帳簿ごと焼けてしまったんだとか」
「……ずいぶんと都合の良い火事だな」
ジェラルド様は壺のひとつに屈み込み、封蝋の刻印に紙を当て、炭で形を写し取っていた。円の中に花のような紋があるが、半分ほど崩れていて何の印かわからない。
「壺の作りと封蝋の傷み具合から見ても……二十年前後は経っていそうだな」
その言葉を口にした直後、ジェラルド様の表情がわずかに変化したように見えた。
「――? ジェラルド様、何か心当たりでも?」
彼はすぐには答えず、刻印を写した紙を丁寧に折り、静かに胸元へと仕舞う。
その手つきが、いつもより妙に慎重に見えたのは、気のせいだろうか。
「……いや、なんでもない」
地下の暗がりの中で、ジェラルド様はしばらく、何か遠い記憶を見ているような顔をしていた。




