第15話 嘘で塗り固められた霊薬なんて、まさに毒というほかないでしょう?
革具屋のまわりは、すでに人でいっぱいになっていた。
「――そう、奇跡などではありません。すべて霊薬の力です。息子さんを目覚めさせたこの一瓶こそが、必ずや皆さんのご家族を守ってくれることでしょう」
バルナベの声は、建物の外にまで漏れ聞こえてきた。眠り病への恐怖がまだ残る下町では、さぞ住人の心に響いたことだろう。
人だかりを抜けて革具屋の二階に駆け上がると、見知った下町の住人が数名、そろって銀貨三枚を手に取っているところだった。その中には、なぜかトマさんのお母さんまでいる。トマさんはすでに目覚めてはいるから霊薬なんて必要ないはずだけど……。
……しかし、銀貨が三枚、か――かつて手切れ金として渡された革袋のことを思い出す。人の命で金勘定をする人間というのは、どうして同じような値をつけようとするのだろうか。
「――お待ちください」
その場の視線が一斉にこちらへと向けられる。
バルナベは侍女の服を着た私を見て、一瞬首を傾げ、それから顔を強張らせた。
私は臆することなく、皆に向けて言い放つ。
「その霊薬がトマさんを目覚めさせたとは言いますが――あの方は、いつそれを飲んだというのでしょう?」
「なっ……誰かと思えばさっき伯爵家にいた侍女ではないか! なぜこんなところに!?」
「いいから答えてください」
「そ、それは……は、発症して三日目に、使いの者がここに来て、試供品として数滴ほど飲ませて――」
「――なんだいそりゃ」
トマさんのお母さんが、顔を上げて言った。
「あの日は朝から晩まであたしがあの子についてたけど、そのあいだ誰も薬なんて持ってこなかったよ」
「ぐぬっ、え、えーっと……ああそうだ! 三日目じゃなくて確か四日目だった――ような気が……」
「――母ちゃん、そんなやつの言うことなんて、信じちゃ駄目だ」
そう言いながら部屋に入ってきたのは――他でもない、トマさんだった。
トマさんはお母さんの近くに駆け寄ると、その袖を掴みながら、バルナベを睨みつけた。
「こいつ、さっきから言ってることコロコロ変わってるじゃねえか」
「……そうだね」
銀貨を握っていたその手から、力が抜けていく。
「薬のおかげであんたが助かったってこの人が言うから、ちゃんと金は払わなきゃと思ったんだ。……でも、それも全部――でっち上げだったっていうのかい」
部屋の空気が、一気に張り詰めた。
バルナベの額に汗が浮かぶ。それでもなお、その口は止まらなかった。
「た、確かに今回の件はこちらの勘違いだったかもしれない! だが霊薬そのものは間違いなく本物だ!」
「では、その霊薬を確かめさせてください。今、この場で」
私は、バルナベが抱えている薬箱を見た。
「皆さんに売るものなのでしょう? ならば一滴だけ、味見させていただいても問題ありませんよね?」
「な、なぜお前なんかに……」
「本当にその霊薬が本物であるならば、何も困ることはないはずですが」
まわりの視線が、一斉にバルナベに向いた。
「くっ……か、勝手にしろ!」
バルナベが渋々取り出した小瓶を受け取り、私は早速スプーンに一滴落として舌先で味わった。
やはり、先ほどエルミール邸で味見したものと、全く同じ味と感触がした。
――ここはひとつ、引っかけてみるか。
私はいつの間にか隣にいたピノに目をやり、侍女服の隠しから銅貨を三枚取り出して、皆に見えるようにテーブルへ置いた。
「ピノ、店から砂糖と焦がし香草、それにお湯と橙の白皮を持ってきて」
「おう、任せとけ!」
ピノはすぐさま階段を駆け下り、言われたとおりの材料を抱えて戻ってくる。
私は皆の見ている前で、湯に砂糖を溶かし、焦がし香草で色をつけ、橙の白皮で苦味を加えた。材料はわずか銅貨三枚分。できたものを別の小瓶へ注ぎ、バルナベの霊薬と並べる。
「ガストンさん、マルタさん、それから他の皆さんも。どちらが霊薬か、味だけで当ててみてください」
その場にいる全員に、ふたつの瓶の中身をスプーンで一滴ずつ味見してもらった。
答えは見事に割れた。ガストンさんに至っては「どっちも同じ味にしか思えねえが……なんとなくこっちのほうが体に良さそうな気がするな」と、私が作ったほうを選んでいた。
「ば、馬鹿な! 素人の舌など当てになるものか!」
「ええ、おっしゃるとおり。素人には判別できないくらい、このふたつはほとんど同じ味なのです。そしてこの味は――なんと、たった銅貨三枚で作れてしまうんですよ」
私は二本の小瓶を改めてテーブルに並べた。
「薬師様。この霊薬の値段は、確か銀貨三枚だそうですね。伯爵家には五十枚で売っておいて、ここでは三枚――ずいぶんと気ままな値の付け方です。それはともかく、銅貨三枚分の材料の他に、いったい何が入っていたら、銀貨三枚にまで価値が上がるのでしょうか?」
「そ、それは、その……あれだ、ほら、ノルデン直伝の霊素が――」
「では、その霊素となる材料を提示してください。私が味を確かめますので。もし今手元にないのであれば、どうやって入手したのかを教えてください。至急、手配させていただきます」
「ぐ、ぐぬぅ……ええいうるさい! これ以上商売の邪魔をするようなら訴えてやるぞ! 私はノルデン薬事ギルドの免状を持つ身なんだ! たかが侍女ごとき――」
バルナベが大声を上げた瞬間、地響きのような複数の足音が階段から聞こえてきた。
「その免状、検めさせてもらう」
ジェラルド様が、衛兵を二人連れて部屋に駆け込んできた。
私を置いて先に行ってしまったあと、どこで何をしているのかと思っていたけれど……なるほど、衛兵を呼びに行っていたのか。まったく……抜かりのない人だ。
バルナベは突然現れた大男の威圧感に圧倒され、思わず免状を差し出してしまった。
ジェラルド様はその免状を一目見た直後、眉ひとつ動かさずに言った。
「ノルデンの薬事免状に使われる印章とは似ても似つかぬな。これは騎士団で預かり、後ほどギルドに照会させねばな」
「なっ……」
「では、衛兵の詰所まで同行願おうか」
両脇を衛兵に固められ、バルナベはとうとう取り繕うのをやめた。
「く、侍女ごときが……! 何が味だ! そんなもので薬を語るなァ!」
「薬を語ったつもりはありませんよ。それと、実は私は侍女ではなく――毒消しの食堂の主ですので……嘘で塗り固められた霊薬なんて、まさに毒というほかないでしょう? だから私は、その毒を消してあげたまでです」
バルナベはその後も何事かを喚きながら、衛兵に連れられて階段を下りていった。
やがてその後ろ姿が見えなくなったところで……私は心底、安堵していた。
――彼がもう少し冷静で弁の立つ男であったなら、今ごろは偽の免状が表に出てくることもないまま、逃げ切られていたかもしれない。
思い付きで博打に出るのも考えものだなと、反省するばかりだった。
◇◇◇
トマさんのお母さんは、銀貨三枚を胸に当てたまま、しばらく動かなかった。
「……危なかった。あたし、あと少しで」
「助けたい人がいれば、何にでもすがりたくなるのは当然のことです。何も恥じることはありません」
彼女は私に何度も頭を下げてから、ようやく銀貨を懐に仕舞った。
落ち着いたところで階段を下りると、外の人垣の端から、低い声が聞こえた。
「……食堂風情が、毒を語るか」
声がしたほうを振り返ると、外套をまとった人物が人混みの向こうへ消えていくのが見えた。
仕立てのいい旅装のような外套。その肩には「薬草を巻いた杖」を模した紋。
見覚えがある。あれは確か――。
薬事ギルドの紋だ。
それも、上位の者だけが身につける印だった。
先ほどの言葉……バルナベの捨て台詞とはわけが違う。
そこには、私に向けられた「敵意」が、はっきりと感じられた。




