第12話 毒消しにとって、嘘の味とは忌むべきもの
「助けてほしい、とおっしゃいますと?」
聞き返した私に、老婦人はゆっくりと息を吸った。長い話を始める前に、覚悟を決めているような様子だった。
「……孫が、目を覚まさないの。寝たきりになって、もう十日になるわ」
私は閉店の札を出し、戸を閉めて、蝋燭を一本増やした。
夜の店には、煮込みの残り香と薪の匂いが漂っている。この匂いの中で温かいものでも飲めば、少しは気持ちも落ち着くだろう。生前の祖母が、困っている人の話を聞くときにも、よくこうしてその人が落ち着ける環境を作っていた。
奥の洗い場から聞こえていた水音が、いつの間にか止んでいる。聞き耳を立ててもいいけど皿は割らないでね、と洗い場の戸口からこちらを窺うピノに目配せしたけど、果たして通じただろうか。
「名乗るのが遅れたわね。わたくしはコンスタンス・エルミール。エルミール伯爵家の……今は隠居の身よ」
エルミール伯爵家といえば、北の丘でも古い家柄だ。派手さはないけれど、王家への忠勤で知られている。
……ああなるほど、それでお忍びで……。きっと家の評判を何より大切にする人たちなのだろう。
「寝たきりのお孫さんというのは?」
「息子の三男、リュカ。二十歳よ。……出来は悪いけれど、可愛い子なの」
コンスタンス様は、白湯の入ったお椀に視線を落とした。
「あの子はね、月に何度か屋敷を抜け出していたの。行き先は東三区。安い酒場と、賭場と……ええ、分かっているわ、褒められた遊びでないということは」
「――つまり、寝たきりになる直前にも、そういった場所で遊び歩いていたと?」
「ええ。帰ってきて次の日の朝、侍女が離れのベッドで眠っているのを見つけたのだけれど……息はしているのに、どれだけ揺すっても目を覚まさなかったの」
医者には何と説明したのか尋ねると、老婦人は乾いた声で笑った。
「下町で遊んでいたなんて、口が裂けても言えるわけがない。だから、『外には出ていない。屋敷で急に具合が悪くなった』とだけ説明したわ」
老婦人は、お椀の中の白湯をじっと見つめた。
「お医者様は原因も分からないまま、いろいろとお薬を出してくださったわ。でも、どれも効かなかった。……わたくしが本当のことを話さなかったのが悪いのだけれど」
「薬師や祈祷師にはご相談を?」
「ひと通り話はしたわ。皆、首を横に振るか、必ず治せると言って法外なお金を要求するか、どちらかだった。……体面を守ろうとしたばかりに、ずいぶん時間を無駄にしてしまったわ」
その声は、後悔の念に満ちていた。きっとこの十日間、ずっと自分を責め続けてきたのだろう。
私は白湯を注ぎ足してから、老婦人の目をまっすぐ見て言った。
「最初に申し上げます。……私は、その毒を消す方法を知りません」
すると、彼女の灰色の目が、スッと細くなった。
「先日目覚めた革具屋のご子息のトマさんも、口にした毒の量が少なかったから持ちこたえられたのだろうと私は見ていますが、確かなことはわかっていません。私が作った料理で、あの方の体が弱ってしまわないよう支えてあげることはできましたが、毒そのものを消せたわけではないのです」
私の舌で異常を感じ取ることはできても、それを取り除く方法はわからない。そのことを、まずは伝えておかなければならなかった。
「ですから、私にできるのはお孫さん――リュカ様のお体がこれ以上衰弱してしまわないよう、お手伝いさせていただくことだけです」
「……食事で、ということ?」
「はい。ただ、眠っている方に無理に食べさせるわけにはいきません。お医者様とも相談しながら、食事や看病でお体の調子を維持できる方法を考えます。時間もかかるでしょうし、必ず目覚めるとはお約束できませんが……それでもよろしければ、お引き受けします」
「……治す、とは言ってくれないのね」
「申し訳ございません。今の私には、毒を取り除く方法がわかっておりませんので」
しばし、沈黙に包まれる。
それから老婦人は、ふっ、と声を出さずに笑った。
「これまで、わたくしに『必ず治る』と言ってきた者が五人はいたわ。でも、『治せない』と言ったのは、あなたが初めて」
「毒消しにとって、嘘の味とは忌むべきものですので」
「……お代は?」
「普段お客様にお出ししている煮込みひと皿分と同じ――お伺いするごとに銅貨二十枚です。お持ちする食事の代金もお届けの手間賃も、すべて込みで」
老婦人は、しばらく不服そうな表情で黙り込んでしまった。
「……あなたには、エルミール家がお金に困っているように見えるのかしら?」
「とんでもない。うちの店の仕事を正しく値付けするとこうなるというだけです」
一拍おいて、コンスタンス様は声を上げて笑った。
「あなた、気に入ったわ。これからよろしくね」
……なんてことだ、よりによって貴族サマに気に入られてしまった。
まあでも、この老婦人は不思議と嫌な感じはしない。
まったく……持ち上げられて喜ぶなんて、我ながら現金な女である。
◇◇◇
「では明朝、お屋敷へ伺います。その前に、ひとつ確かめておきたいことがあるのですが」
「――これ、でしょう?」
老婦人は外套の内側から、絹の包みを取り出した。
中には、銀のスプーンがひとつ。
「今朝、あの子に白湯を飲ませようとして、唇に触れたスプーンよ。……革具屋の坊やのときも、唇に触れたスプーンをあなたが調べていたと聞いて、念のため持ってきたの」
そこまで調べてあるのか。この人は、ただ噂を頼りに訪ねてきたのではない。できる限り調査を進めたうえで、私のところへやって来たのだ。
私は一礼してスプーンを受け取り、目を閉じて、その縁に口をつけた。
――冷たい。
あった。あの、味そのものが抜け落ちたような冷たさだ。トマさんのスプーンから感じたものと、同じ――
「……いえ」
同じでは……ない。
トマさんのスプーンでは、普通の味と冷たい無味の境目が、はっきりと感じられた。けれど、このスプーンでは、その境目がぼやけている。冷たいという感覚も、あのときより弱い。
これはいったい、何を意味しているのだろう。
「どうしたの?」
コンスタンス様の呼びかけに応じる前に、もう一度スプーンの縁に口をつける。
……間違いない。
「感覚が……薄れている?」
トマさんのときは、眠ってから三日目にスプーンを確かめた。それに対し、今回は眠ってから十日経っている……時間が経った分、毒が薄くなったとでもいうのだろうか。
――それとも、他に何か理由があるのか。
「……よくわからないけれど、それは悪いことなの? それとも――」
身を乗り出して聞いてきたコンスタンス様に、私は首を横に振った。
「わかりません。明日の朝、お孫さんの様子も、他の手がかりも確かめさせてください。今の私の言葉は、どうかお気になさらず」
――毒が薄れている。
それが良いことなのか悪いことなのか、今の私にはまだわからなかった。




