↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
7/20

格好悪く走る

 出かける前に靴の底を見せてくれと言われる生活にも、栞は慣れてきたらしい。


 翌朝、玄関で待っていた栞は、俺がしゃがむと片足を少し上げた。布靴の底はまだ擦り切れていない。昨夜の夜市で歩いた分を確かめ、今度は袖の留め具に緩みがないか尋ねる。


「大丈夫です。これ、落ちない」


 栞は両腕を振ってみせた。袖の花が揺れる。


 玄関の向こうでは、小柄な女が荷車へ道具箱を積んでいた。俺たちに気づいて会釈をしたので、栞へ紹介した。


「あちらが作った方です。ドワーフのミナ」


「……あ。最初に、靴を置いてくれた人?」


「ええ。洗うときにも預かってくれました」


 栞は自分の袖を示し、少し声を張った。


「これ、ありがとうございます。花、かわいいです」


 ミナは箱を荷台へ置いてから、両手を前掛けで拭った。返ってきたのは小さな会釈と、照れたような笑顔だった。


 栞も頭を下げる。ミナが最後の箱を固定し、荷車を押して出ていくと、栞は袖の花をもう一度見た。


「言えてよかった」


 俺は頷き、戸口へ向かった。


 今日は草原側の集落へ行く。明日の祭りに合わせ、今夜は近くの野営地に泊まる予定だ。寝る場所も着替える場所も別にあると説明したうえで、昨晩、栞に行くかどうか尋ねておいた。


 返事は、外で寝るのはちょっと気になる、だった。続いて、行ってみる、と言ったので、寝具を一組増やした。


 その「気になる」が楽しみなのか不安なのか判断しかねているうちに、戸の外からダリアが顔を出した。


「おはよう。眠れた?」


「はい」


「じゃ、行こうか。疲れたら途中で言って」


 獣人のダリアは肩に長い袋を担いでいた。膝までの丈夫な靴に、動きやすそうな短い上着。栞を部屋へ案内したときよりも、ずっと遠出に向いた格好だ。


 栞はその袋を見上げた。


「それ、何ですか」


「遊ぶ道具。あとは仕事の」


「仕事?」


「祭りの手伝い。栞はやらなくていいよ」


 俺たちは荷物を載せた乗合の荷車へ向かった。客用の席には、日差しを遮る布屋根が掛けられている。ダリアが足掛けを下ろすと、栞は自分で乗り込み、俺のマントが車輪へ近づくのを指さした。


「レオンさん、それ」


「分かっています」


 分かっていたが、足掛けに片足を置いてからでは直しにくい。ダリアが布の端を持ち上げてくれた。


「置いてくりゃよかったのに」


 今日は脱げる機会があれば脱ぐ。俺はそのつもりで、二人の向かいへ腰を下ろした。


 森の陰が途切れるまで、道は緩やかに下っていた。


 枝の隙間から見えていた空が、やがて頭の上いっぱいに広がる。栞は布屋根の端から顔を出した。波のようにうねる草の向こうで、家々の低い屋根が光っている。


「あそこまで行くんですか」


 栞に尋ねられ、ダリアが片膝を立てた。


「そう。明日はあの広場に店が並ぶ」


「今日、何もない?」


「だから走れる」


「走る?」


 ダリアは袋の口を開け、小さな革の輪を取り出した。栞が受け取って両手で曲げる。中に何か詰まっているが、見た目より柔らかい。


「それを棒に掛ける。走っていって、戻ってくる。それだけ」


「体育みたい」


「競争したくなければ、一人ずつでもいい」


 栞は輪を返さず、しばらく膝の上で転がしていた。


 集落に着くと、祭りの準備はもう始まっていた。屋根のない広場へ杭が並び、大きな布が少しずつ日陰を増やしていく。


 荷車を降りた先で、リュカが膝をついていた。揺れる支柱の根元に手を当てると、土から出ていた細い木の根が杭へ絡みつく。横から布を引かれても、支柱は傾かなかった。


 栞は足を止めた。


「リュカさん、ああいうこともできるんだ」


 俺は倒れかけた荷物を直しながら答えた。


「木の根で足元を留めています。土も根もないところでは、あのやり方はできませんが」


 リュカは俺たちへ片手を上げ、また支柱に向き直った。いくらでも話したいことはあるのだろうが、今は布を持って待っている者がいる。


 少し先では、先に着いていたミナが荷車から薄い板を下ろしていた。畳んであった板を広げると、脚が斜めに張り出す。足元の留め金を踏んで固定すれば、人の背ほどある仕切りになる。


 ダリアが横を通るついでに板を押したが、動かなかった。ミナが留め金を外すと、今度は一人で向きを変えられる。


 栞が俺の横から覗いた。


「お風呂の囲いみたい」


「今日は風よけです。夜は着替える場所にも使います」


「あ、助かる」


 ミナは荷台に残した一組へ布を掛け、道具箱を仕切りの陰へ運び始めた。俺たちも作業の邪魔にならないよう、広場を抜ける。


 ダリアが案内したのは、集落の外れにある短く刈った草地だった。低い棒が間隔を空けて立っている。小さな者も大きな者も、輪を抱えてその間を走っていた。


 栞は鞄の鳥を指で包んだ。


「私、速くないですよ」


「輪が掛かればいい。速いのはその後」


 ダリアは荷物を日陰へ置き、地面の線を靴先でなぞった。


「まず、あそこの棒まで。輪を掛けて戻る」


「外したら?」


「拾って、掛ける」


「遠くに飛んだら」


「遠くまで拾いに行く」


 栞が俺を見た。俺は鞄を預かろうと手を差し出した。


「そこは、そうなるようです」


 昨日ダリアへ頼んだのは、人間の足でもできる遊びにしてほしい、ということだけだ。わざと負けろとは言っていないし、言ったところで聞く相手でもない。


 栞は輪をいったんダリアへ返し、俺に鞄を渡して髪を結び直した。


「一回だけ」


 ダリアは輪を栞へ返し、出発の線から離れた。


 最初の数歩は慎重だった。栞は棒の手前で速度を落とし、輪を両手で持ち上げる。投げる必要はないのだが、少し離れたところから掛けようとしたため、輪は棒の先へ当たって跳ね返った。


「あっ」


 栞が追いかける。輪は傾斜を見つけ、思いのほかよく転がった。


 ダリアが笑いながら後を追ったが、手は出さない。栞はようやく輪を拾い、今度は棒の目の前まで戻って、上からすっぽり通した。


 帰りは走らず、早足だった。


「……余計に走った」


 俺は水を差し出した。


「行きより帰りが短くてよかったですね」


「レオンさんもやってください」


「私は荷物を」


 ダリアが俺の腕から鞄を取った。


「持ってるよ」


 準備がいい。頼んだときには、俺も走るとは言わなかったはずだ。


 マントを外して荷物へ重ねると、栞は初めて俺の服全体を見たという顔をした。


「脱げるんですね、それ」


「服ですので」


「でも、ずっと着てたから」


 俺は輪を受け取り、話を打ち切るためにも出発した。


 棒までは問題なかった。輪も一度で掛かった。帰りに栞とダリアが並んでこちらを見ているのに気づき、つい速度を上げたのが悪かった。


 線の手前で足がもつれ、止まるつもりが三歩余計に進んだ。転びはしなかったが、二人の目の前で膝に手をつくことになった。


 栞が水を差し出してくる。


「行きより帰り、長かったですね」


 俺は受け取った。覚えなくていいことだけは、すぐ覚える。


 ダリアは腹を抱えていたが、自分の番になると俺たちから遠い棒を選んだ。そこまではよかった。輪を掛けて戻る途中、草へ足を滑らせ、尻もちをついたのだ。


 栞が立ち上がりかける。


 ダリアは片手を上げて無事を示すと、座ったまま靴の裏を見た。草がべったりついている。


「欲張った」


 それを聞いた栞が、とうとう声を出して笑った。


 ダリアも笑い、尻についた草を払いながら戻ってくる。栞はまだ笑っていたが、相手の服へ手を伸ばしかけて止めた。


「背中にもついてる。取っていいですか」


「頼む。そこは届かない」


 栞が草を取る間、俺は水の瓶を開けた。さっきから日陰の位置が動いている。荷物を寄せ直すと、栞もそこへ座り、片足を投げ出した。


「顔、赤くないですか」


 ダリアは栞の顔を覗いた。


「赤い。暑い?」


「それは、そう。変じゃない?」


「あたしも赤いよ」


「毛で分かんない」


 ダリアは耳の付け根を指で押さえた。


「この辺、熱い」


 栞はそれを見て笑い、濡らした布を頬へ当てた。俺はもう少し休んだほうがいいと思ったが、その必要を口にする前に、二人とも日陰へ足を伸ばしていた。


 その間に、祭りの世話役が俺を呼びに来た。栞をダリアに任せ、声の届かないところまで少し離れる。


 明日、魔王を迎えることに抗議する者が来るという。毎回ではないが、以前にもあった話だ。いつ帰るか分からない者を、国をまとめる象徴にするべきではない。意見は分かる。


 抗議をする場所は広場の外に取り、来客の道とは分ける。橋と入口には警備がつく。世話役から渡された配置図にも、その印があった。


 武器を持ち出すという話はない。俺は配置と連絡役を確かめ、何か変わればすぐ知らせてくれと頼んだ。


 日陰へ戻ると、栞が布を畳んでいた。


「何かありました?」


「明日の案内の確認です」


 間違いではないが、全部でもなかった。まだ起きてもいない抗議の話で、せっかくの午後を曇らせることはないと思った。ダリアには配置図を渡し、俺は水の残りを確かめた。


 栞は俺たちを交互に見てから、草地の棒へ顔を向けた。


「あれ、今度は転がさずにできそう」


 ダリアが輪を差し出す。


「今日はここまででもいいよ。明日、脚に来るから」


「筋肉痛?」


「たぶん」


 栞は一度、自分のふくらはぎを揉んだ。それでも輪を受け取ると、線の前へ戻っていく。


「もう一回やる」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。