↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
19/20

私の帰還

 帰る日は、栞が決めた。


 今夜は一度部屋で休み、明日の朝、支度をして帰る。そう言ってから、残してあったパンを食べた。茶はまだ温かかった。


 俺は帰還に使う建物の場所と、明日することを説明した。名前と時刻を登録すれば、帰る人は変えられなくなる。端末を台座から戻しても同じだと、もう一度伝えた。


 栞は聞き終えてから、三人を見た。


「明日、いてもらっていいですか」


 リュカが頷いた。ダリアも、ミナも。


 夜、俺は保管棚から制服の包みを取り出した。


 洗って畳んだ服に、皺がつかないよう紙を挟んである。リボンは別の小さな包みにしてあった。ローファーの布も開き、左右が揃っているのを確かめる。


 その確認に、間違えるところはなかった。


 籠へ入れてから、俺はしばらく蓋を閉めずにいた。初めて預かったときには、いつ返すのか決まっていなかった。捨てないと約束した。栞も、取っておいてほしいと言った。


 明日の朝には、返す。


 俺は籠を戸口へ置いた。


 翌朝、栞は約束した時刻より少し早く来た。


 借りた上着に花の留め具をつけ、新しい靴を履いている。鞄はいつもより膨らんでいた。持ち物を自分で確かめたあと、借りていた本をリュカへ返してきたという。


「最後まで、読めなかった」


 栞は鞄の口を一度開き、閉じた。


「でも、どこまで読んだかは覚えてる」


 俺は制服の籠を持ち上げた。


 歩き始めると、栞は俺の隣へ来た。庭を横切る間、何度か窓を振り返る。誰かを探しているのかと思ったが、栞は何も言わず前へ向き直った。


 初めに現れた広場の奥に、帰還のための小さな建物がある。


 扉は開けておいた。中は広い一室で、脇に着替えのできる控えの間がついている。正面の床には石の枠があり、その手前へ、腰ほどの高さの台座が据えられていた。


 リュカたちは窓側で待っていた。


 栞が入ると、ミナが鞄を置くための台を寄せた。ダリアは椅子を一脚引く。栞は礼を言ったが、立ったまま、床の石の枠を見た。


「あそこから?」


「はい」


 俺は台座の脇へ籠を置いた。


 灰色の石の上面は滑らかで、中央だけ浅く窪んでいる。その手前には細い金属の縁で囲まれた白い面があり、名前と日時を書き入れる欄が分かれていた。


 栞は指を出しかけ、途中で止めた。


「触っても、大丈夫ですか」


「まだ何も始まっていません」


 栞は石へ手を置いた。すぐに離して、掌を見る。


「冷たい」


 俺は記録用紙を台座の脇へ広げた。栞が来た日に書いた名前と、日本の日時。数字の読み違いがないことを、二人で確かめた。


「合ってます」


 栞が言った。


 俺は用紙を押さえたまま、栞へ目を戻した。


 栞は鞄から端末を取り出した。画面を点け、昨日まで何度も見た写真を開く。リュカたちのほうへ向けてから、自分でも見た。


「ここにいても、楽しく暮らせると思います」


 三人はその言葉を聞いていた。


「皆のことが嫌になったからじゃないです。本も、工房も、また行きたいところはあるし」


 栞は画面を消した。


「でも、友達が言いたかったことを、聞きたいです。私がどうしてそうしたかばかり、話すんじゃなくて」


 ダリアが頷いた。


「家の電話も、途中で切ったままだから。自分から、話したい」


 栞は俺へ向き直った。


「帰りたい。でも、それじゃあなたは――」


 俺は襟元の上から、指輪へ一度触れた。


 布越しに細い輪の硬さを確かめ、手を離した。


 栞へ手を差し出した。


 栞は俺の手を見た。端末を持ち直し、掌へ載せる。俺は受け取り、画面を伏せて台座の窪みへ置いた。


 白い欄へ、細い石筆で名前を書いた。


 雨宮栞。


 その下に、用紙と同じ日付と時刻を書き入れる。一つ記すごとに、線が淡く光った。栞は台座の向こうから、その文字を見ていた。


 俺は最後の数字を確かめた。


 金属の縁を倒すと、欄の端にある留め金へ重なった。そこを押し込む。


 小さな音がした。


 名前と数字の光が、一本につながった。白い面の上で字が動かなくなり、台座から床の石の枠へ、細い光が伸びた。


 登録が終わった。


 これで、今回帰るのは栞だ。


 俺は石筆を置いた。置く場所を外し、指で少し寄せ直す。栞が俺の手を見ていたが、何も言わなかった。


 床の枠の内側が明るくなった。


 光は足元からゆっくり持ち上がり、人が通れる高さまで伸びる。向こうの景色は見えない。白く、奥行きの測れない明るさだけがある。


 俺は籠の蓋を開け、制服の包みを取り出した。


 栞が両手で受け取る。リボンの包みを上へ重ねると、少し指で押さえてから、控えの間へ向かった。


 扉が閉まった。


 俺は台座の脇で待った。リュカたちも窓側にいた。誰も光の前を塞いでいない。


 ローファーを包んだ布を開くと、甲の曲がった跡が見えた。俺は両方を持ち、帰還口の前へ運んだ。踵を手前に、つま先を光のほうへ向けて置く。


 右を少し寄せ、揃えた。


 控えの間の扉が開いた。


 栞は制服を着ていた。肩に馴染んだ形の上着と、胸元のリボン。借りていた服は畳んで持ち、足にはまだ現地の靴を履いている。


 栞は畳んだ服から花の留め具だけ外し、鞄の小袋へ入れた。それから、服をミナへ渡した。


「これは、持っていきます」


 ミナは頷いた。


 栞が光の前へ来た。


 俺はローファーの横から退き、道を空けた。


 栞は揃えた靴を見て、俺を見た。それから自分で椅子を寄せ、腰を下ろす。


 現地の靴の紐をほどき、片方ずつ脱いだ。ミナが渡した薄い袋へ収め、鞄の底へ入れる。爪先をローファーへ差し込み、踵を指で直した。


 立ち上がると、靴底が石の床を鳴らした。


「こっち、こんな音だった」


 栞は足元を見て、小さく言った。


 俺は台座から端末を持ち上げた。白い欄の光の文字は、そのまま残っている。手渡すと、栞は両手で受け取った。


 画面を一度だけ確かめ、鞄へしまう。内袋を開いて、葉の包みと充電具も確かめた。木の鳥と草の飾りを外側へ戻すと、膨らんだ鞄の留め具を合わせた。


 小さく音がした。


 栞は鞄を提げ、三人へ向き直った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。