↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
17/20

譲られると選べない

「そう信じています」


 俺が答えると、栞は自分の端末を見た。


 その端末を、俺のほうへ少し寄せかける。途中で止まり、卓の縁と平行になるよう置き直した。


「帰りたいって、私に言ってくれればよかったのに」


「隠していました。すみません」


「謝ってほしいっていうか」


 栞は額へ手を当てた。


「昨日は、帰れるか知りたかっただけなのに」


 俺は頷いた。


 昨日、帰れると答えていれば、この話をしなくて済んだだろうか。そう考えかけて、やめた。俺が黙って期待していることは同じだ。栞が帰ると言うまで、まだ間に合うと思い続けただろう。


 リュカが卓の水差しを取った。


「少し、休みませんか」


 栞は顔を上げ、頷いた。


 俺も椅子を引きかけたが、栞がこちらを見たので座り直した。リュカは空いている器を寄せ、栞の分だけ先に注いだ。


 廊下では食器を運ぶ音がしている。昼が近かった。リュカが扉の外へ声をかけ、食事はもう少しあとにと頼んで戻ってきた。


 栞は水を飲んでいた。俺にも器を寄せてくれたが、その手つきはどこかぎこちなかった。


「本当に、何人も見送ったんですか」


 栞はリュカへ尋ねた。


「はい。私も、そのうちの何人かには会っています」


「レオンさんは、その人たちが帰ったあとも?」


 リュカは頷き、俺を見た。


「残った記録をまとめていましたね。いつも」


「片づけるものは、ありますから」


 俺が答えると、リュカはまた栞へ向いた。


「食事を運んでも、気づかないことがありました。机で一人、同じ頁を読んでいて」


 栞は水の器を下ろした。


「そのときも、次を待ってたのかな」


 俺は否定しなかった。


 栞は指を膝へ戻し、しばらく黙った。リュカもそれ以上は言わず、水差しを卓の中央へ置いた。


「残ってくれるなら、私はうれしいです」


 リュカが言った。


「でも、それを栞さんの返事にしたくはありません」


「皆、そう言うんだ」


 栞は困ったように笑った。


「帰ってって言われるのも、嫌だけど」


 ミナが、畳んでいた布を手元へ置いた。


「また工房へ来てほしいです。まだ、使ってもらっていない物もあります」


「うん」


「でも、帰ったら、友達じゃなかったことになるわけではないので」


 栞がミナを見た。


「会えなくても?」


「会えなくなるのは、嫌です」


 ミナはそこで言葉を探した。前掛けの紐をつまみ、離す。


「それでも、あの菓子を一緒に食べたことまで、なくならないです」


 栞は小さく頷いた。鞄の留め具を触り、開けずに手を離した。


「私、そういうふうに言えなかった」


 ミナは顔を上げたまま待った。


「友達に。どうしたいか、聞けばよかったんだと思う」


 俺は器から手を離した。


 栞は卓の木目を見ていた。誰か一人へ向けるでもなく、少しずつ話した。


「学校で、班の発表があって。その子、前で話す役になったんです。いつも頼まれるから、また断れなかったって」


 ミナが頷く。


「私に、嫌だって言った。みんなの前だと、そういう顔しない子だから、そんなに嫌だったんだって思って」


 栞は袖の縁を押さえた。


「私、先生に話したんです。本人には聞かないで」


「代わってもらおうとした?」


 ダリアが尋ねると、栞は頷いた。


「言いにくいなら、私が言えばいいかなって。あと、同じ班の子にも。頼まれたら断れないんだから、ほかの人がやってあげたらって」


 栞は一度口を閉じた。水を飲もうとして、器を持たずに戻す。


「それで、先生がその子を呼んで。班の子からも、嫌なら最初に言ってよって言われたみたいで」


「その子から、聞いたんですか」


 俺が尋ねると、栞はこちらを見た。


「うん。どうして言ったの、って」


 栞の手が、卓の縁をつかんだ。


「私に話しただけだったのに、誰がどこまで知ってるのか分かんなくなったって。自分で決めたかったって」


 窓の外で、枝が揺れた。


 栞は顔を伏せたが、話を止めなかった。


「その場で、ごめんって言えばよかったんです。でも、困ってると思ったからって、私、先に言っちゃった」


「そのあとは?」


 ダリアの問いに、栞は首を振った。


「ちゃんと聞いてない。助けようとしたんだよって、私が何回も言ったから」


 俺は何も挟めなかった。


 昨日、俺の返事を待っていた栞の顔が浮かんだ。


「謝ろうとは、したの?」


 ダリアが尋ねた。


 栞は頷いた。


「謝ろうとして。でも、また言い訳みたいになって。消して、書いて」


「まだ、返事は聞いていないんですね」


 俺が言うと、栞はこちらを見た。


「送ってないから。向こうも、何も」


 栞は自分の親指を擦った。


「そのあと家から電話が来て、何かあったのって聞かれたんです。ちゃんと話さなきゃいけないのかなって思ったら、また怒られる気がして」


「それで、切った?」


 ダリアへ、栞は小さく頷いた。


「何もない、あとで帰るって。ちゃんと聞かないで切って。そうしたら、何時ごろ帰るって連絡が来て」


 卓の端末へ目が下りた。


「歩きながら見てたんです。帰りたくないなって思ってたら、ここにいた」


 ミナが栞の器へ目をやった。水は残っている。注ぎ足す代わりに、自分の手を膝へ置いた。


 栞は顔を上げた。


「家の人も、怒るつもりだったかは、分かんない。私が、そう思っただけで」


 俺は頷いた。


「まだ、話の続きがあるんですね」


「うん」


 栞はそう答えてから、俺の襟元を見た。


「でも、レオンさんも」


 俺は動かなかった。


「ずっと、待ってたんですよね。私より、ずっと」


 ダリアが椅子の上で体を起こした。


「栞」


 栞はダリアを見た。


「その長さで決めるつもり?」


「だって、子供もいるって」


「聞いたよ。あたしも」


 ダリアは言葉を切り、俺を一度見た。


「でも、あんたが帰りたかったと分かったら、こいつはそれを忘れて帰れると思う?」


 栞は答えなかった。


「帰したいって思うだけじゃ、駄目なの」


「それは、こいつにも聞きな」


 ダリアはそこで黙った。


 栞の目が、ダリアの左腕へ下りる。傷の跡を見て、それから自分の手を見た。


「また勝手に決めてるのかな」


 誰もすぐには答えなかった。


 栞は鞄の鳥を握り、手を開いた。木の腹が、指の間から覗いている。


「でも、私、ここで暮らせると思う。工房も、書庫もあるし。皆にも会えるし」


「暮らせます」


 俺は答えた。


 その返事へ、栞が顔を上げた。俺も目を逸らさなかった。


「帰ると決めなくても、ここにはいられます。今、どちらかへ決めてほしいとは言いません」


「そうじゃなくて」


 栞は鞄から手を離した。


「私なら、大丈夫だと思う」


 納屋の壁の前でも、似た声を聞いた。


 俺は続きを待った。


「私が残る。だからあなたが帰って」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。