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裁判が終わって、屋敷に届く手紙が増えた。
探りを入れるもの、祝うふりをして測るもの、測るふりをして祝うもの。その山からその日は、色の違う封筒が二通出てきた。
一通は封筒からして騒がしかった。隅に描かれた花のマーク。開ける前から誰だか分かる。
『イビ! おめでとう! うちのイビが男爵様になったなんて! すっごくかっこいいじゃん! 今度ぜったいお祝いパーティしようね!』
綴りは自由で、気持ちはそれより自由だった。私はその短い手紙を二度読んだ。解釈するものがなくて良い文章たち。この子の手紙はいつもそうだ。
二通目の封筒は静かだった。きちんとしたカードが一枚。
『お祝いは騒がしいほうから先に受け取ることになるでしょうから、私は静かなほうを用意しておくわ。温室へいらっしゃい。 ― V』
三文だった。私はカードを手にしたまましばらく止まった。
サラが先に祝うだろうと知って書いた文だった。自分の場所は静かなほうだと決めておいた文でもあった。
隠された意味を推し量る癖が頭をもたげようとするのを、たたんだ。
推し量るのはやめよう。お祝いのカードだ。
そういえば、よく会いましょうという温室でのあの言葉は、社交辞令ではなかったらしい。
祝われるために出かけるのは初めてだった。
鏡の前で、私は一度服を着替えた。着替えてから、自分がなぜ着替えたのかをしばらく考えた。
この前の温室は呼び出しだった。馬車の中で場合の数を数えながら行った。今回は数えるものがなかった。数えるもののないままどこかへ行くのは久しぶりで、手が少し手持ち無沙汰だった。
温室はこの前と同じだった。ガラスの向こうで植物が湿って生い茂っていた。
違うのは、扉が開く速さだった。
「来た!」
扉が勢いよく開いてサラが飛び出してきた。私は抱きつかれる前に一歩退いたが、無駄だった。
「うちのイビ! あ、違った、ブレア男爵様!」
「息が詰まる」
「かっこよかった! 裁判で! あの意地悪な父親をやっつけるところ!!」
感嘆符が人の形をして歩き回ったら、サラなのだろう。
奥のテーブルにベスが座っていた。立ち上がらず、代わりにティーポットに手を添えながら笑った。
「いらっしゃい。男爵様」
ベスが茶を注いだ。私の杯に先に、自分の杯に後から。
テーブルにはケーキがあった。サラが選んだに違いない、騒がしいケーキだった。
「さあ、お祝いパーティ開始!!」
サラが宣言し、しばらくは本当にただの祝いの席だった。サラはケーキを私の皿に二度取り分け、裁判の結果を三度訊き直し、三度とも初めて聞く人のように感嘆した。
その騒ぎが一息ついたとき、ベスが言った。
「それでも……家族を切り捨てるというのは、気持ちが楽ではなかったでしょうに」
「そうなのかな……」
サラがフォークをくわえたまましょげた。
「お父さんを……どうしよう……」
「楽でしたけど」
私が言った。サラのフォークが止まり、ベスの目が私を見た。測る目ではなかった。けれど、仕舞っておく目ではあった。
「……さすがイビ。怖いわね」
「褒め言葉をありがとう」
「でも」
ベスがティーカップを持ち上げた。
「立派な男爵様になったこと、おめでとう」
「そうじゃん?! 男爵様!!」
サラが目を見開いた。
「げっ、じゃああたし、これから敬語使わなきゃですか??」
ベスが少し疲れた色でサラを横目に見た。私は首を振った。
「使わないで。鳥肌が立つ」
「ふぅ、よかった!!」
サラは心から安堵してケーキへ戻った。敬語の危機は三秒で終わった。
「それで、裁判はいつ準備したの? どうやってあんなに上手くやったの!」
サラが訊いた。こういう講義はベスのほうが滑らかにこなすだろうに。ベスは何も言わなかった。だから私が答えた。
「大したことはないよ。書類を読んで、書類が準備して、裁判で書類を出した」
「えー、なにそれ、もっとかっこよく言ってよ!!」
「かっこよく言うと――書類をとても上手に出した」
サラが笑いを噴き出した。その笑いの上に、ベスが静かに言葉を置いた。
「受理が一日遅れていたら、どうなっていたのかしら」
判断のない文だった。ただ仮定が一つ、テーブルの上に置かれた。ティーカップの横に、ケーキの横に、何でもないふうに。
私はその文を拾った。
「……負けたでしょうね」
「……」
「父の罪が軽くなるからではなく、私の書類が順番で押し出されて」
言ってから気づいた。これは裁判が終わったあと、私が一人で飲み込んだ文だった。勝っても喉に引っかかっていた部分。それをベスが、正確にその一点だけを突いて訊いたのだ。
「ん? イビが勝ったのに、なんで負ける話が出てくるの??」
サラが首をかしげた。
「そう」
ベスが言った。サラへの答えのようでいて、目は私にあった。
「おかしいでしょう」
そして半歩、踏み込んできた。
「あらゆる状況に当てはまる完璧な法というものが、存在しうるのかしら」
「ないでしょうね」
私はケーキを一口食べて答えた。この話がケーキと一緒に消化できる容積だとでもいうように。
「法はその時代の人が作るもので、時代は変わり続けますから。完璧でいる隙がありません」
「……」
「私はその隙間で自分の生き延びる道を見つけただけですし。不整合には不整合の使い道があるものですね」
ベスがティーカップを下ろした。音はしなかった。音を立てずに下ろすのも技術だ。
「……では、あなたは今のままで安住するつもりだという話に聞こえるけれど」
ティーカップとケーキの間に置くには、重さの違う文だった。
「いいえ。私も変わるべきだと思っています。ただ――」
私はそこで少し言葉を選んだ。
「ただ、順序があると思うんです。法が変わるより先に変わるべきものがあって」
「……順序」
ベスがその単語を受け取った。続けろという意味だった。
「極端な例ですが、明日すぐ貴族制を廃止したと仮定して『みな平等です』と宣言しても、平民のほうから受け入れないと思いますよ。受け入れるどころか、進んで反発するでしょう」
思い切った発言に、ベスの眉がほんの少し動いた気がした。
ケーキを飲み込んでから、私は付け足した。
「自分が安全だと感じるまでは」
「?」
サラがフォークを持ったまま首をかしげた。
「平等? いいことなの!」
ベスはすぐ何でもないふうに茶を一口飲んで杯を下ろした。けれどサラの問いに答えが出るまでに、ごく短い止まりがあった。
「……いいことよ」
ベスが言った。
「いいものを、良いかたちで受け取らせるのが難しいという話」
「何を言ってるのか分かんない〜」
サラは潔く諦めてケーキへ戻った。私もそのあたりで口を閉じた。
言ってから少し決まりが悪かった。この世の常識では、口に出すのは少し危うかったかもしれない。
「あ、そうだ!!」
サラがフォークをさっと掲げた。
「男爵になったらパーティするんじゃないの?! あたしを招待して!! いちばん最初に!!」
「パーティって。そんな余力ないよ」
「男爵様のけちんぼ!」
「そのお金で美味しいもの奢ってあげる。三人で」
「……それはいいね。許した!」
サラの原則はいつも明快でいい。ベスが笑った。さっきの止まりがどこにも残っていない笑いだった。
そのあとはただの祝いの席だった。サラは裁判の結果を四度目に訊き直し、四度目も初めて聞く人のように感嘆し、ケーキは結局サラがいちばん多く食べた。
帰るとき、ベスが扉まで出てきた。
「来てくれてありがとう」
「お茶をごちそうさまでした」
「言ったでしょう」
ベスがガラス扉にもたれて言った。
「よく会いましょう、って」
私は頷いて温室を出た。背中のほうでサラが「次は美味しいものだからね!!」と叫ぶ声が、ガラスに押されて丸く聞こえた。
帰り道で、今日を一度たたんでみた。
おかしな日だった。サラとベス、あまりにも違う二人が、私を祝うために並んでいた。二人の祝いは本物だった。けれどベスには、もう一つの主題があった。
ベスは驚くほど熱心だった。一生を同じ世界で生きてきた人とは信じられないほど進歩的な発想、その考えに答えられる私に、そっと教えを請うた。サラには分からない程度にだけ遠回しに。
ときおり訪れた沈黙。ティーカップが宙で止まったあの一瞬が、しきりに引っかかった。
不安なのだろうか。そうらしい。ベスは別の世界から来た知識を飲み込み、その思想は思ったより速く体を大きくしていた。
そういえば今日、私は喋りすぎた。
私はもともと聞く側だ。言葉は値をつけて売るものであって、皿に載せて差し出すものではない。それなのに今日は、訊かれてもいないことまで出した。ケーキのせいだろうか。
ベスの前では計算が遅くなる。なぜだか分からないけれど。
『次からは少し言葉を控えるようにしようか。』
家に帰ると手紙がまた何通か届いていた。今度は全部、同じ色のものばかりだった。




