33
裁判は公開で開かれた。
爵位詐欺というものは、この国の貴族たちにとって最高の見世物であるらしかった。傍聴席は開廷の一時間前に埋まった。扇と帽子とささやきが半円形の座席をびっしりと満たし、私はそのささやきが撫でていく標的として座っていた。
「あの子がその娘だって」
「病弱だと聞いたのに、平気そうじゃない」
「父親を告発したそうよ。近ごろの子ときたら」
聞かせるつもりなのか、聞こえないと思って言っているのか区別のつかない音量だった。私はどちらでも構わないという姿勢を保った。今日この場の台本を握っているのは、あの人たちではなく書類なのだから。
傍聴席の一方にメリー、そしてサラが座っていた。目が合うと、両の拳をぐっと握ってみせた。応援のつもりだろう。戦闘態勢に見えたけれど。
そしてその数列後ろに、銀髪があった。
ベス・ベクスター。扇も持たず、筆記具を手にしたまま。野次馬たちの中で、ひとりだけ別のものを見に来た顔をして。
被告席の男爵は、十日のあいだに十年は老けていた。自分の娘にはあれほど長く辛く当たっておきながら、たかがこの程度の苦難でやつれるのが、実に滑稽だった。
それからもう一度、もしかしてと。私は最後に周りを見回した。ほんの少しは期待する気持ちで。けれど、橙色の髪はどこにもなかった。
裁判長が開廷を宣言した。
書記が告発状を読み上げた。
ブレア男爵位の由来。継承の系譜。条項番号。先代男爵からその娘エヴァンジェリン・ブレアへ、さらにその血族へと続く順序。
傍聴席で扇を使う音がした。誰かが欠伸をした。
書類とは、もともと誰も聞かないものである。
私は立ち上がった。
「告発状第一項。実の娘に対する加害の情況の件について、物証を提出します」
茶器を入れた箱が書記へ渡った。布を取ると、釉薬がなめらかに流れた、白地に紺の文様のティーポットが姿を現した。買ってきた人間が自慢げにしていた品。
「半月前、被告が病床の私に直接与えた茶器です。私は数年間、同じ出どころのティーポットでのみ薬を飲んでまいりました」
「……それで」
「東方から来た茶器です。商団の帳簿の仕入記録と照合してください」
書記が帳簿をめくった。紙をめくる音がしばらく続いた。
「……照合されます。出どころは同一です」
「そして同じ出どころの茶器は」
私は傍聴席のほうを見ずに言った。
「市中で呪いがついていると言われ、二束三文で出回っている品です。被告はそれを買い集めて売りさばく人間でした。ですから知っていたはずです。自分が何を売っているのかを」
裁判長が私を見た。
「呪いと申したか」
「市中ではそう呼んでおります」
「であれば魔法鑑定を経ているはずだな。書記」
書記が別の綴りをめくった。
「皇室魔法省鑑定書。提出物から魔法的記録および干渉は検出されませんでした。呪い、呪術、刻印の一切なし」
傍聴席から笑いが漏れた。
そうだろうと思っていた。魔法省は自分の仕事を正確にやった。あの器に魔法はない。ただ、魔法でないものが入っているだけ。
「原告は今、器が人を病ませると主張しているのか」
「……」
「それを何をもって立証するつもりだ」
その中に何が入っているのか、私は知っている。どこに溜まるのか、何を崩すのか、なぜ指先から先に震えるのかも。けれど、それを呼ぶ言葉がこの国にはない。
「……立証できません」
「では何を求めるのか」
「記録されることを求めます」
傍聴席がざわついた。
「……呪いが罪になるのか?」
「さあ。迷信じゃないの」
「娘が神経質なのさ。父親がくれた贈り物を呪いだなんて」
「ちっ、その話はもういい。家の話でもしようじゃないか」
生ぬるかった。何年もかけて人を静かに溶かした話が、欠伸と扇の合間を流れていった。
そして被告席で、男爵の顔がぱっと晴れた。
「……ほら、ご覧なさい。呪いだの何だの」
あの人間は笑っていた。今日初めて、心置きなく。
「私が娘に良い器を買ってやったら、どこかで妙な噂でも拾ってきて、それで父親を捕まえようなどと――」
裁判長が手を上げた。
「棄却する。証拠不十分」
予想どおりだった。
「ただし、提出物と照合結果は調書に記載せよ」
書記のペンが動いた。
名前のない毒は罪にならない。分かっていた。
ただ、記録は残る。いつかこの国にその名前が生まれる日、この調書を引き出して読む人がいるかもしれない。
それまで、なかったことにしておきたくなかった。それだけだ。
この勢いに乗って弁護人が立ち上がろうとした。
私は手を上げてそれを遮った。
「告発状第二項に移ります」
私は書記のほうを見ずに言った。この部分に書類は要らない。すでに自分の目で見たのだから。
「被告はこの十日間、港に滞在しておりました。商団の業務のためと聞いております。私はそのあいだ病床におり、医者は来ませんでした」
「……」
「そして被告は、港の裏手の家で、ひとりの女と十歳ほどの男児とともに半日を過ごしました。その家には使用人がおり、子どもは坊っちゃまと呼ばれていました」
傍聴席の扇が一斉に止まり、一斉にまた動きだした。今度は速度が速かった。
弁護人が立ち上がった。
「裁判長。私生活に関する事柄は本件と無関係です」
「無関係ではありません」
「原告は今、風聞をもって被告の名誉を――」
「私が直接見ました」
弁護人は口をつぐみ、次の頁をめくった。用意してきたほうへ。
弁護人は今度は私を見ず、傍聴席を見て言った。
「被告には息子がおりませんでした。娘は病弱で、医者すら手を引いてから数年になります」
扇が再び動きはじめた。
「跡の絶えた家の爵位がどこへ行くか、ここにおられる方々はご存じでしょう。官へ戻ります。領地も、収益権も。被告はそれを防ごうとしたのです。方法は誤っておりますが――」
弁護人が少し間を置いた。
「――その意図は、この場におられるどの家であっても抱きうるものです」
今度は誰も私の側につかなかった。
「被告は家を守るために、やむを得なかったのです」
家を守るために。
一人娘が歴然と守っている男爵邸の外で、二重の所帯を構えたのが家を守るためだったとは。
呆れてものも言えない。
だが貴族たちは考えが違うらしかった。
傍聴席を振り返ると、何人かが頷いていた。扇の向こうで目が合ったある紳士は、私を見ているのではなく、自分の家の事情を見ている顔だった。
これは通る。この世界では、本当に通る言葉だ。
「さよう、やむを得なかったのだ!」
男爵が今だとばかりに、得意げに訴えた。
「娘があれほど病弱では、家の跡を思えば――父たる者として、家を守ろうとしただけなのだ!」
家を守ろうとしたもの。
私はその一文を原告席で静かに聞いた。
守ろうとした家の名前はあなたのものではなく、病弱はあなたが茶器に焼き込んだもので、跡を継ぐ息子はその家の血ではない。一文に嘘を三重に折り込むのも、芸といえば芸だ。
裁判長もしばらく言葉がなかった。書類を前後にめくる音だけがした。
「……情状の酌量が、」
「裁判長。まだ私の話は終わっておりません」
私は断固として声を上げた。私が用意した言葉は、ここからだった。
「……申すがよい」
「私が告発しているのは、二重の所帯ではありません」
傍聴席が静かになった。そこでようやく皆、気づいたらしかった。私がなぜあの家の話を持ち出したのかを。
「あの家に誰が住んでいるかを法が問わないことは承知しております。私がその話をしたのは、被告が守ろうとしたものが何であったかを、この場ではっきりさせておくためです」
「……」
「偽造された書類をはじめ、提出物を読み上げてください」
偽造書類を作成した代書人が、先に証人として呼ばれた。夜の治安隊は代書人の通りの地理に明るかったので、彼を逮捕するのに長くはかからなかった。
そうして彼は法廷に立ち、素直に自白した。自分が書類を偽造したと。
男爵の弁護人が幾度か立ち上がろうとしたが、ついに席を守るだけだった。
証人が退場し、書記が偽造文書の目録を読みはじめた。
出生年。出生地。母の名前の欄に記された、十年前に死んだ人の名前。
書記が次の頁へ移ろうとするのを、私が止めた。
「もう一つあります」
「……何かね」
「同じ日に受理された件がもう一つあります。母系継承の申請。申請者は私です」
書記が綴りを探した。紙をめくる音がしばらく続いた。
「……あります。同じ日、同じ窓口」
「読み上げてください」
書記が読んだ。受理日。受理時刻。申請者の名前。そして継承の根拠となる血統。
傍聴席がざわめきはじめた。
「……待て。息子がいるのに娘が継承を申請するのか?」
「どちらが受けるかは父親が決めることではないのか」
「近ごろの子は父親の頭の上に立とうとするな」
私はそのざわめきが一巡するのを待った。そして言った。
「いいえ」
法廷が私を見た。
「あの人には決める権限がありません。爵位がないのですから」
「……」
「ブレアは私の母の家です。エヴァンジェリン・ブレア」
名前を発音するのに、思ったより力が入った。この体のものなのか私のものなのか分からない力だった。
「あの人は婚姻でその名前を借りて使った人です。借りた名前は譲れません」
傍聴席がひっくり返ったのは、その瞬間だった。
「エヴァンジェリン・ブレア……?」
「聞いたことがあるような」
「そうだ。昔のブレア家の娘だ。社交界にはまるで出てこなかったが」
「では、あの男は婿入りした格好だということか?」
「他家の名前を自分の私生児に譲ろうというわけじゃないか!」
「なぜ偽造したのかと思えば、私生児を本妻にくっつけるためか!」
「なんてことだ。名前泥棒じゃないか」
ついさっきまで娘の数年を欠伸で聞き流していた座席が、十年前に死んだ女の名前の前では一斉に立ち上がらんばかりになった。
娘を溶かしたものには欠伸をし、名前を盗んだものには激怒する。
これがこの世界の天秤だった。私はその天秤を原告席ではっきりと見たし、傍聴席の銀髪が筆記する羽根ペンの音が、ここまで聞こえてくるようだった。あの人は今、私と同じものを見ている。そしておそらく、私よりずっと前から見てきたのだろう。
判決はすぐに下された。
「被告ブレア男爵――前男爵――に、継承書類の偽造および行使の罪を問い、次のとおり判決する。一、婚姻により取得した男爵位およびそれに伴う一切の権利を剥奪する。一、爵位に帰属する財産――邸宅、領地収益権、商団のうち爵位名義の持分――を没収する。一――」
槌の音が三度鳴った。
男爵、いや、もはやただのブレア氏ですらない、元の姓に戻った男が、無念を訴えた。
「こ、これは不当だ! これまでブレアを守ってきたのは誰だと思っている! 財産まで没収とは!」
傍聴人たちは、その興奮した声に冷ややかな反応を返した。
「貴族の名前を奪おうとしておいて、どの口が大きな声を出す!」
「平民風情が、ずいぶんと肝が据わったものだ!」
弁護士も静かに書類をまとめて退場した。
結局、彼の行き場を失った叫びは誰にも届かないまま、執行官の手に引きずられていった。
退廷のために引き立てられて立つとき、ただ一度だけ、こちらへ顔を向けた。恨みを込めて睨むつもりだったのだろう。
私は避けずに、その目を待った。
視線が届く前に、向こうが先に折れた。
最後まで、教えたとおりだった。
法廷を出ると、階段の踊り場で銀髪が待っていた。
「イビ」
「……ベス」
「面白い見物だったわ」
ベスは筆記具をたたみながら笑った。社交の微笑みではなかった。
「いいえ、訂正するわ。有益な見物だった。法というものがどれほど優れた武器か、よく見られたから。持つ者の側にしか取っ手がついていないのが難点だけれど」
「……」
「そしてあなたは今日、取っ手を握った側だった。おめでとう。本心よ」
「……ありがとうございます。たぶん」
「それと、一つだけ」
ベスは半歩近づいて、声を、ちょうど私にだけ届く大きさに落とした。
「さっき加害の情況が読み上げられたとき。傍聴席、静かだったでしょう」
「……はい」
「私は静かじゃなかった。心の中では」
その言葉だけを残して、ベスは階段を下りていった。銀髪が午後の陽に砕けながら遠ざかった。
私はその場にしばらく立っていた。
あの人は今日、裁判から制度の欠陥を採集していった。けれど最後の一言は採集ではなかった。あれはただ――イビーの数年を欠伸の合間に流さなかった、唯一の傍聴人の、弔いだった。
ベス・ベクスター。知るほどに分からなくなる人。
「お嬢様!」
階段の下からメリーが駆け上がってきた。目の縁が赤かった。サラがその後ろから、ハンカチを丸ごと濡らしたままついてきていた。
「勝ちました。勝ったんですよね? 私、傍聴席で全部聞きました。勝ったんですよね?」
「うん」
私は二人に、初めて完全な文で言ってやった。
「勝ったよ」
ただ、家へ帰る馬車の中で、私は窓の外を見ながら帳簿の続きをめくった。爵位に帰属する財産は没収された。けれどあの人間には、まだ法の手が届いていない懐がある。二つ目の名義の白い家。個人持分の商団資金。隠された夜の金。
法は自分の分をやった。残りの分は――
法の外の取立人が受け取る番だった。




