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「それで、手首を捻ってやった」
明け方の公園のベンチで昨日の戦況を報告すると、アンは菓子を噛みかけたまま私をじっと見た。
「折ったの?」
「ううん。折れる直前まで」
「……惜しい」
「アン?」
「……冗談」
冗談ではない顔でアンが言った。お月がその膝の上であくびをした。私は報告を続けた。序列の整理は完了、縁談の脅しは空回り、そして伝令三人。
「動きはじめた。書類のほうへ」
「……じゃあ、もう」
「うん。腹は決めた」
私は残りの菓子を放り込んで手を払った。
「法でぶっ潰す。法廷で。偽造書類が受理される瞬間を捕まえて、あの人間がいちばん大事にしてるもの。爵位、財産、体面、全部を法の名前で剥ぎ取る。私の手は一つも汚さずに」
「……」
「なに。つまらない?」
「ううん」
アンは首を振った。
「イビは何でもできるんだな、と思って」
これが何か『できる』という言葉の入る出来事なのか少し考えたが、やめた。
「それで、その次の話なんだけど」
「……次?」
「男爵が潰れたら、あの家の金も終わりでしょ。私はメリーを雇い続けたいの。あの子、弟妹が三人いるんだよ。だからお金を稼がなきゃ」
「……お金」
「あんたも見たでしょ、男爵がやってた商団は違法の匂いがするから、どうにも使えそうにないし。だから」
「だから?」
「だから、店を出す」
アンが目を瞬いた。予想外の展開だという顔だった。貴族令嬢の復讐譚の次の章が『起業』なのは、この世界の基準だと少し変だろうけど。
「……何の店」
「この前あげたの覚えてる? 片手に収まるパン。間にいろいろ挟んだやつ」
「……うん。おいしかった」
「あれ、サンドイッチっていうの」
「……サンドイッチ」
アンが馴染みのない言葉を口の中で転がした。そりゃ馴染みがないだろう。この世界にない物だから。パンの間に何かを挟んで食べるという発想自体がなくて、数か月前の私が厨房で発明しなければならなかった物。
「私が作ったの。名前も」
「……名前も?」
この世界に初めて出したのは私なんだから、少なくともここでは私がオリジナルだ。
「うん。語感いいでしょ?」
「……」
アンはしばらく私を見てから、問い詰めるのを諦めた顔で頷いた。賢明な判断だ。
「サンドイッチの店。それをやるの。手に持ってすぐ食べられるから、市場の人とか、人夫とか、忙しい人に売れるはず。材料の原価計算もしてみた。最近の私、相場に詳しいんだよ」
「……売れそう」
「でしょ?」
「うん。僕でも買う」
「あんたは買う必要ない」
私は指を一本立てた。
「あんたはうちの店に来たらタダであげる」
アンの目が見開かれた。エメラルド色が明け方の光にきらりとした。
「……タダ?」
「うん。一生」
「……」
「でも十個ずつ持っていくのはなしだからね?」
「……十個も食べない」
「お月の分まで持っていくでしょ、あんた」
アンは反論しようと口を開いて、膝の上のお月を見下ろして、また口を閉じた。有罪。
「……九個ならいい?」
「……」
こいつ、今、冗談を言った。初めて、自分のほうから。
私は笑いが噴き出し、アンは何で笑うんだという顔をして、お月は騒ぎに抗議して場所を移した。明け方の公園の空気が少しのあいだ、何事もない世界のもののようだった。
「店の場所は決めたの?」
「まだ。男爵の処理が先だから。でも条件は決めてある。市場の近く、朝の客が多い角、それと――」
私は指で方向を指した。
「公園から歩いてこられる距離に」
アンはその方向と私を交互に見てから、ごく小さく頷いた。返事はなかったが、あるのと同じだった。
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メリーの状況報告は、その夜までに三筋とも揃った。
伝令の一人は港の方角、商団。一人はプリチャード家、縁談。そして最後の一人は首都の中心街、法律代書人の通りへ入っていった。
代書人。書類を代わりに書く者たち。主に公文書を書いたり、関連書類の相談に乗ったりする業者が集まっているが、その中には『どんな書類でも』書く者たちも混ざっている一帯。
「三つとも予想どおりだね」
商売の整理、縁談の加速、そして書類の製作。怯えた人間の三点セット。私は窓の外の闇を見ながら順序を計算した。代書人が偽造書類を作るのに数日。男爵がそれを検討して判の代金を払うのに数日。そして内務省への受理まで――
その夜、詰所にも同じ報告が上がった。




