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扉が勢いよく開いた。
「イビー・ブレア!」
男爵は旅の疲れと怒りを半分ずつ混ぜた顔で戸口を塞いでいた。十日ぶりに見る顔なのに、少しも痩せていなかった。船の上でもよく召し上がったらしい。
「体が悪いと言っておきながら、お茶会に行っただと?」
「行ってまいりました」
「外出を禁じたはずだが!」
「禁じた方がいらっしゃらなかったので」
私がはっきりと受け返すと、男爵の顔が赤らみはじめた。以前ならここで病人らしく縮こまらなければならなかった。頭を下げて、肩をすぼめて、申し訳ありませんと。
私はベッドから立ち上がって、まっすぐに立った。
「航海はいかがでしたか」
「……なんだと?」
「十日もかかったんですね。ご商売がずいぶんお忙しいようで。家にはこうしてお帰りにならないのに」
私は心配する娘の顔を作って貼りつけた。目だけを除いて。目は、あの人間が見舞いのときにしていたのと同じに――笑わないまま。
「あまりにお帰りにならないので、私、お父様が外に所帯でも持たれたのかと思いましたよ」
男爵の顔から赤みが一瞬引いた。
ごく短い、しかし確かな静止だった。瞳がわずかに揺れ、唇が半分開いて閉じ。盗人が自分の足音に怯える、規格通りの反応。よし、記録完了。
「な、なんという口の利き方だ!」
「冗談ですよ。まさかそんなこと」
「こ、これはどこで――やはりあのお茶会だか何だかに出歩いて、悪いことばかり覚えてきて!」
狼狽はすばやく怒りに両替された。もともと元手が怒りしかない人間は、両替が早い。男爵はずかずかと近づいてきた。その足取り、その角度、その上がる右腕。フォークを投げた日の拡張版。
手のひらが飛んできた。
私はマナを巻いた。腕に、手首に、指に。夜の街で体に覚え込ませたとおり――空気を破裂させて跳ぶときに使う力を、破裂させずに筋肉だけにまとわせること。
そして飛んでくる手首を、宙で掴んだ。
「……なに」
男爵の目が見開かれた。彼は腕を引こうとした。抜けなかった。もう一度、今度は体重を乗せて。びくともしなかった。十六の病弱な娘の握力の中で、商人上がりの太い手首が釘で打たれたように固定されていた。
「こ、これを離せ――」
私は手首を捻った。折る方向ではなく、関節が『ここから先へ行けば折れる』と悲鳴を上げる、ちょうどその地点まで。
「ぐっ……!」
男爵の膝が半分折れた。私はその姿勢のまま、彼の目線まで顔を下げた。
そして、ごくゆっくりと、一言ずつはっきりと言った。
「二度と、私に手を上げないでください」
「お、お前、これは何の――」
「それと、これからは」
私は手首をもう一握り分捻った。男爵の口から空気の抜ける音が出た。
「私の目を、まっすぐ見ないで」
男爵が私を見上げた。その目にあるものを、私は一つひとつ読んだ。痛み、混乱、そしてその底から初めて頭をもたげる――恐怖。
そう。それが正しい順序だ。あなたが娘に何年もかけて教えようとしていたものを、私が三秒で教えてあげる。
私は手を離した。
男爵はよろめきながら退がって、自分の手首を抱え込んだ。折れたところはない。痣も一日で引くだろう。残るのは体が覚えるものだけ――この部屋で誰に手を伸ばしてはいけないのか。
「お前……お前、いったい……」
「療養の効き目が良かったんです」
私はベッドの端に腰かけて、何事もなかったように姿勢を楽に崩した。男爵は戸口のほうへ二歩退がったまま、私を見ていた。正確には、見ていて、目が合うたびに慌てて視線を折った。学習がお早いこと。
沈黙が部屋を満たした。この沈黙の持ち主が誰なのかはもう明白だったので、私はそれをたっぷり使うことにした。
「お父様」
「……」
「うちのお母様のこと、覚えていらっしゃいますか」
男爵の肩がびくりとした。手を止めたときとは別の種類のびくりだった。
「……急に、それがどうした」
「ただ、なんとなく。私は病のせいか記憶が曖昧で。お父様なら覚えていらっしゃるかと思って」
男爵は答えを探す顔をした。その顔を私は見ていた。十数年を夫婦として暮らした人の記憶を漁るのに、どれだけかかるかを計りながら。
長くかかった。
「……静かな人だったな」
それだけだった。私は待った。男爵は何かもう少し足さねばと感じたのか、視線を壁に置いたまま付け加えた。
「……小言がなかった。お前の母親は」
静かな人。小言のない人。
十数年の決算が、形容詞ひとつと不在ひとつだった。良かった記憶すら、『あの人がいてくれたから』ではなく『あの人が私を煩わせなかったから』の形で残っていた。
サラの母は彼女を『穏やかで優しい人』として覚えている。友人は彼女がどんな人『だったか』を覚えていて、夫は彼女が何を『しなかったか』を覚えている。
その落差が、この家で彼女の生きていた場所の大きさだった。
悪意ですらなかっただろう。この人間はそこまで精緻ではない。男爵令嬢をたらし込んで一つ身の上を良くしてみよう――始まりはその程度の薄っぺらい計算ではなかったか。そうして女とともに爵位が手に入ったのだろう。爵位を背負った商いで富を築き、面白みのない女は無関心のあいだに病んで死んだのだろう。
大層な黒幕などない。ただこの程度の人間が、この程度の重さで人ひとりを消しただけだ。
そして同じやり方で娘も消していた。放置という、いちばん安い消しゴムで。イビー・ブレアはこの空き家のような屋敷で静かに薄れていって――そこで私が目を開けたのだ。すっかり消された家に。
この家には請求書が二枚積まれている。母娘それぞれに一枚ずつ。
「……縁談はそのまま進める」
男爵が戸口で、私の目を避けたまま言った。最後の自尊心をかき集めた声だった。
「プリチャード家がお前を望んでいる。日取りを前倒しにする」
「どうぞ」
「……なんだと?」
「進めてくださいと申し上げたんです。うまくいくか、見てみたいので」
男爵は何か言い返そうとして、私と目が合い、視線を折り、そのまま部屋を出ていった。扉が閉まる音は、入ってきたときの四分の一ほどだった。
私はベッドに背を横たえた。天井を見ながら、マナを解いた。指先が少し震えていた。力を使ったからではなく、力を正確に加減したせいで。
メリーがそっと扉を開けて入ってきたのは、それからしばらく後だった。
「お嬢様……男爵様が書斎に入られたんですが、様子が」
「どう」
「……おかしいんです。お怒りになるんじゃなくて、何かをひたすら書いていらっしゃって。手紙のようなものを何枚も。使用人の話では、明日の朝早くに伝令を三人も呼べとおっしゃったそうです」
三人。
私は天井を見ながら笑った。
怯えた人間は計画を前倒しにする。縁談であれ、書類であれ。そして急いだ書類は、必ずどこかが粗くなる。
「メリー。今日から、伝令がどの方向へ出ていくかだけ見ていて」
「……始まりですね」
「うん。始まりだよ」
受理される瞬間を捕まえろ――夜の講義はそう言った。その瞬間が、向こうから自分の足で近づいてきていた。




