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詰所に着くと、どういうわけかロビン卿が隊長の席に座っていた。


「こんばんは」


私の挨拶に、ロビン卿と向かい合って立っていたヘンリーがこちらを振り返った。


「エヴァン。来たか」


副官が上官の席に座っていていいのか、という考えは、ロビン卿が素早く立ち上がったせいで半分に折れ

た。節度のある動作だったが、明らかに急いで立った。


「いらっしゃいました、エヴァン。ちょうどよく来てくださいました」


ロビン卿とは、まともに言葉を交わしたことがない。


彼はいつも私の脇を通り過ぎて、ヘンリーに直接報告しに現れた。私はそのやり取りを、傍で眺めている

だけだった。黒髪に青い目をした彼は、おとぎ話に出てくる騎士そのものだった。口数が少なく、動きに

無駄がなく、報告は三文を超えない人。私の前で言葉を控えているのか、そもそも口数の少ない人なの

か。


ともあれ、今日にかぎってヘンリーの顔がおかしかった。


クマがいつもの倍の深さまで落ちていて、口元には笑みがかかっているものの、取り繕った笑みの下から

疲れの色が歴然としていた。


「隊長、昼間、何かありました?」


言葉が先に出た。


ほんの短い沈黙が流れたあと、ヘンリーとロビン卿がほとんど同時に私を見た。


「……それはどういう意味だ?」


「どういうことでしょうか」


しらばっくれるのも息が合ってるな。私は肩をすくめて流すことにした。詮索するのは私の役目じゃな

い。


「じゃなければいいんです。それで、ちょうどよく来た、っていうのは」


「ああ。そうだ、本題」


ヘンリーが机の上の紙一枚を、指でとんとんと叩いた。昼間に入った垂れ込みだという。


「今夜、川の下流の古い船着き場へ荷が動く。問題は荷の中身だ」


「中身は何なんですか」


「人だ」


詰所の空気が重くなった。


「借金で縛られた者、売られてきた者。夜のうちに船で移して、どこかへ引き渡すという情報だ。今夜が

移送日で、今夜だけ。船が出たら終わりだ」


「治安隊をつければ?」


「それが問題なんです」


ロビン卿が初めて一文を足した。


「使える人員がいません。巡回組は全員配置済みで、休暇者が重なりました。今この詰所に残っている戦

力は――」


ロビン卿はヘンリーと私を順に見た。計算の速い人だから、計算はもう終わっていた。


「これで全部です」


「というわけで」


ヘンリーが私を見た。目は笑わないまま、口だけにやりと笑って。


「きみというカードはな、あとで大きく使う予定が決まっていて、取っておきたかったんだが。適材適所

というものがあるからな」


「……」


「今日は駆り出しだ。ロビン卿は詰所を守れ。指揮系統の中心は空けちゃならん」


「承知しました」


ロビン卿は異を唱えなかった。ただ、ヘンリーが外套を羽織るあいだ、その無表情な視線が自分の上官の

背中に長くとどまるのを、私は見た。



***



船着き場までの道中、ヘンリーはいつもの四分の一も話さなかった。


無口なヘンリーは初めてで、隣が物足りないほどだった。指示は正確だが短く、短いのが問題ではなく、

刃が立っていた。足音を殺せ。フードをもっと深くかぶれ。いつもなら「この俺の隠密術の講義は金を積

まれても――」うんぬんが付いたはずの箇所が、ことごとく沈黙だった。

今日この人、何かあったな。それもかなり大きく。


昼のヘンリーを私は知らない。昼に何をしているのか、どこに住んでいるのか、誰とぶつかっているの

か。詮索しないと決めたのは私のほうだから、訊くこともできない。ただ、


「最近、ひどく疲れてるんです。家族のごたごたが少々ありまして」


歩きながら、私はただ、そっと漏らした。扉を開けてやるやり方で。あんたが開けなくてもいい扉を、私

が先に開けておくやり方で。


ヘンリーは半拍遅れて答えた。


「……そうか。家族のごたごたのない家はないさ」


それだけだった。扉は開かなかった。ただ、閉じる手つきがほんの少し、柔らかくなった気はした。


***


古い船着き場は、ちらつく灯りの下で静かに慌ただしかった。


古ぼけた倉庫の前に、布で覆った馬車が二台、人が九人いた。うち三人は武装して周囲を囲むように立っ

ており、残る六人は手を鉄格子で縛られて馬車に座っていた。

縛られた六人が荷だった。


彼らは荷らしく、荷台に身じろぎもせず静かに収まっていた。静かにならざるをえなかった。顔に麻袋が

かぶせられていたからだ。


「船が来る前に討つ」


倉庫の陰でヘンリーが囁いた。


「俺が正面。武装した奴らの目が全部俺に来るようにする。きみはそのあいだに裏へ回って、縛られた人

たちを裏道から抜く。戦うな。抜くことだけだ」


「隊長ひとりで三人を?」


「この俺を何だと思ってる」


軽口がほんの一瞬戻って、また刃の立った目になった。


「合図は最初の灯りが消えたとき」


私たちは息を殺して、彼らの動きを見張った。暗い灯りの下で退屈そうにあくびをし、きょろきょろする

動作を見つめた。


ちらり。


最初の灯りが消えると、私たちはただちに行動を開始した。


ヘンリーは闇から歩み出て、素早く見張りひとりを斬った。


「うわっ!」


「何者だ?」


仲間が倒れたのを見た二人が、勝手に集まってきた。


私は裏へ回って、布で覆った馬車に近づいた。ヘンリーと見張りが斬り合って騒ぎを起こしていても、人

質たちは身じろぎもしなかった。


何かおかしいと感づきながら、顔にかぶせてあった麻袋を外すと、うら若い青年の顔が現れた。ところ

が、


『これ、薬物を注入したのか。』


目の瞳孔は開ききっていて、口には涎の跡があった。手を顔の前で振ってみたが、焦点のない目は虚空を

見つめるばかりだった。


ほかの人たちのほうへ目を向けると、麻袋の下から屈強な体が見えた。子どものように小さくもなく、老

人のように皺だらけでもない。若者たちだった。だが抵抗の跡はない。こんなに力なく荷台に載せられて

いるということは、みなこの男と同じく薬に酔っているということだった。


考えている最中に、金属のぶつかる音のなかに不吉な音が耳に入った。


「キン」という音が「よろっ」と聞こえた。


そちらを見ると、ヘンリーがさっきと同じく一人を斬っていた。


だが二人目を片づけて三人目へ移る、その継ぎ目で――いつもの彼なら必ず余裕をもって流れたはずの箇

所を、今日の彼はそのまま踏み込んでいった。焦った人間のリズムだった。


相手はその焦りで崩れた流れを見て微笑んだ。待っていたとでもいうように。ヘンリーの背後には、垂れ

込みになかった頭数、四人目の見張りが鉄鉤を手に、その背中を狙っていたのだから。


私は考えるより先に空気を踏んだ。


跳躍。鉄鉤との距離を一気に詰めた。振り下ろされる手首を肩で押し上げながら、残った手で歪曲を撒き

散らした。精密なものでもない、ただ視界にインクを溶かす程度の歪曲。それでも十分だった。


ヘンリーはその隙間から確実に回避しただけでなく、隙を突いて拳を放った。


ドン。


四人目が倒れた。


三人目は、ロビン卿ふうに言えば「すでに片づいて」いた。


「……」


静寂のなかで水音が聞こえた。


ヘンリーは倒れた四人目の見張りを見下ろしてから、私を見た。何か言おうと口を開いて、閉じた。その

顔に浮かんでいるものを、私は初めて見た。笑みでも刃でもない、ただ――くしゃりと歪んだもの。


「撤収しましょう、隊長。船が来る前に」


私は何も見なかった顔で言った。それが今夜、私にできる精一杯の礼儀だった。


***


縛られていた六人の人質は、私の丹精込めた刺激療法でどうにか正気を取り戻した。


誰にでもできることではない。薬に酔った人間を起こすには、正確な箇所を、正確な強さで叩かねばなら

ない。少しでも外れれば反応がなく、やりすぎればかえって害になる。傍目には、ただ頬を張って体を揺

すっているのと見分けがつかないだけで。


ヘンリーと私の手では、見張りを縛って運ぶのが限界だったので、若い人質たちは自分の足で歩いて詰所

へ引き渡された。


詰所にはロビン卿のほかにも、巡回を終えた隊員が何人か戻っていた。


「実に悪辣な奴らですね! 人質をこんなにも殴るとは!」


「……」


「どうやって! 薬で正気を失った人を! こんなに殴るんですか?」


「……」


「実にお見事です、助手殿! こうして人を殴る奴らは、こってり絞られなきゃ――」


「やめろ」


「え?」


「被害者たちに毛布でも持っていけ」


「はいっ」


初日、私を見て「幼い平民の女の子」うんぬん言っていた隊員もいた。相変わらず余計な言葉が多かっ

た。


後始末はロビン卿がやった。隊員たちに何かを指示し、引っ立ててきた見張りたちを処理した。そのあい

だヘンリーは隅で黙って座っていた。


移送役のうち正気に戻った一人が、取り調べで漏らしたのはたった一行だった。


「俺たちは運ぶだけだ。どこへ行くのかは……組合が知ってる、俺たちが知るかよ」


組合。ヘンリーがその言葉で一瞬顔を上げるのを、私は見た。書類をめくっていたあの夜と同じ目だっ

た。


ある程度、事が一段落してから、私は詰所を出た。


後ろからヘンリーがついて出てきた。


「エヴァン」


「はい」


「今日は……醜態を見せたな。すまない」


街の灯りの下で、ヘンリーはクマごと笑っていた。疲れが滲み出ながらも、嘲笑のような小さな笑みを漏

らすその表情は、なぜか本物に見えた。まるでひびの入った仮面のあいだから、本当の顔が覗いたよう

に。


「人は誰でも失敗します」


私は答えた。慰めではなかった。ただの事実だから。


「今日は半拍速かったですね。昨日まではそうじゃなかったし、明日もまたそうじゃないでしょうし。そ

れに、」


言葉を選ぼうかと思ったが、そのまま言うことにした。これも事実だから。


「全体的に、ヘンリーはいい隊長です」


彼はしばらく黙っていた。


灯りがぼうっと揺れる音が聞こえるくらいのあいだ。それから彼はふっと笑ったが、いつものあの笑みと

はどこか質が違った。誇張が抜けた場所に、別のものが座り込んだ笑み。


「……助手の分際で勤務評定か」


「はい。昇進はないと承知していますが」


「生意気な」


ヘンリーはしばらく黙っていた。それから、いつもと違う平板な声で訊いた。


「……昼の俺を知っても、その評価は変わらないのか?」


「昼の隊長は私の管轄外です」


「……」


「私は夜の隊長の助手なので」


「そうか」


ヘンリーは私の答えを噛みしめると、顔を変えて陽気に言った。


「それはそうと、今日も活躍したんだから、褒美をやらんとな」


いつもの声だった。


「さあ、手を出せ」


私が素直に手を差し出すと、ヘンリーは私の手から指輪を取り上げた。


「大事な助手に、こんな危ないものをずっと預けておくわけにはいかんからな」


「これ、こんなに簡単に外れるものだったんですか?」


指輪を初めて受け取ってからの数日、油もさしてみたし、力ずくでもやってみたし、魔法でもやってみた

が駄目だったことが、あまりにもあっさり叶った。


「誰にでも解けるなら契約じゃない」


「わあ。ああ、隊長のおかげで安全になりました」


指輪で気苦労したのを思い出して、皮肉る調子で言った。私たちのあいだに残った最後のわだかまりを払

い落とす、決算だった。


ヘンリーははは、と笑うと、また沈んだ声で言った。


「契約がなくても来るだろう?」


「うーん。どうでしょうねえ、どうしようかな」


私はわざと間を置いた。ヘンリーは心から不満げに見えた。


「よくしてやる」


「それは信じられますね」


「給金も出すじゃないか」


「その点は本当に気に入ってます」


「おまけに、俺みたいないい男もいるしな」


「え? 聞こえませんでした?」


私がとぼけると、ヘンリーはもういいというように私の肩をぽんと叩いた。部下を励ますとき、決まって

やる仕草だ。そしてすぐに手をひらひら振りながら詰所へ戻っていった。入る直前、戸口で振り返らない

まま、一言が飛んできた。


「明日も出るのか」


「はい」


「……そうか」


扉が閉まった。


私はフードをかぶり直して、明け方のほうへ歩いた。数時間後には公園で、アンで、あいつが見せたいと

言っていた場所だ。今日は夜も明け方もぎっしり詰まった日だな、と思っていて、ふと、さっきのあのく

しゃりと歪んだ顔がもう一度浮かんだ。


昼のヘンリーに何があったのか、私は知らない。たぶんずっと知らないままだろう。


ただ、明日も出るのかと訊いた声は、今夜聞いたなかで一番、疲れの薄い音だった


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