15
日付が知りたかった。
ベスの招待状は男爵の手で灰になった。招待されたという事実だけは知っているが、いつどこへ来いという話なのかは知らない。灰の山に尋ねるわけにもいかないし。
ヘンリーなら一日で調べてくるだろう。間違いなく。だが「エヴァンがベス・ベクスターのお茶会の日程を気にしている」という情報が、ヘンリーの頭の中に保存されることになる。あの男はナプキンの畳み方一つから人の来歴を掘り起こす人間だ。餌を余計に与える必要はなかった。
かといってメリーに聞き回らせようにも、侍女が招待状の日付を尋ねて歩くこと自体、妙な絵ではないか。
静かに突き止める方法が要る。
頬杖をついて思案していた、そのときだった。
階段の方で物音がした。
「あら、メリー! 元気にしてた? アイビー、部屋にいるでしょ? いるわね! 顔見ればわかる!」
「サ、サラお嬢様、あの、その、今は――」
「大丈夫大丈夫、すぐ済むから!」
まったく大丈夫ではない速さで足音が近づいてきた。あまりに騒がしくて、扉の外の光景が扉の内側からもありありと見えた。
バン。
「アイビー!! 来たよ!」
赤い髪が視界に雪崩れ込んできた。二度目だからか、今回はティーカップを手にしていない自分が誇らしかった。
「……いらっしゃい、サラ」
「いらっしゃい、じゃないでしょ! どれだけぶりよ、手紙でしか話せなくて! あたしがどんなに――」
サラの言葉がぴたりと止まった。
真っ黄色の瞳が見開かれた。視線が私の顔から少し上、正確には肩のあたりで途切れる髪に突き刺さっていた。
「か……」
「うん」
「髪!!! 髪どこ行ったの!?」
「切った」
「なんで!?」
「うっとうしくて」
「うわあああ、あの長い髪を! あのきれいな髪を!」
サラは自分の頭を抱えてよろめいた。自分の髪を切られたわけでもないのに、そこまで悼むことか。扉のそばで、メリーが深く共感する表情で頷いているのが見えた。あの二人、案外気が合う。
「でも……」
ひとしきり嘆き終えたサラは、首をかしげると、私を上から下まで眺めた。
「似合ってる?」
「ありがと」
「ううん、ほんとに。なんか、えっと、なんて言えばいいんだろ。すっきり? アイビーの顔がよく見える!」
サラは自分の発見が満足だったのか、へへっと笑って、ベッドにどさりと腰を下ろした。我が家のように振る舞うのも二度目だから、もう驚きもしなかった。
「ていうかアイビー、あんたのお父さん、ほんっと最低。外出禁止って何よ、外出禁止って。うちのお父さんに全部言いつけたんだから!」
「……言いつけた?」
「うん! そしたらお父さん、『よそ様の家のことだ』って。大人ってみんなグルよ」
サラは頬を膨らませた。アシュフォード子爵が賢明な人だということだけがわかる逸話だった。
「でも、お客が来るのまでは禁止できないでしょ! ね? だから来たわけ!」
「賢いね」
「でしょ!?」
一つまみの賞賛で、サラの顔がぱっと開いた。私はその顔を見ながら、さりげなく話題を移す角度を測った。
「最近、外はどう。私、閉じ込められてて、便り一つ入ってこないの」
この一文で充分だった。
サラの口が開いた。そしてしばらく、閉じなかった。
どこそこの令嬢がどこで何を買っただの、どの家のお茶会で誰が粗相をしただの、近ごろ街で流行りのリボンがどうだの。情報の洪水の中から、私は必要なものだけを掬い上げ、ほどよく相槌を打った。サラは誘導する必要すらなかった。水路さえ開けてやれば、勝手に溢れ出した。
そしてついに。
「あ、そうだ! ベスのお茶会!」
来た。
「あんたも招待状もらったよね? それ話しに来たのもあるんだ!」
「もらったよ」
嘘ではない。もらいはした。開ける前に火刑に処されただけで。
「あたし、もう何着るか決めたんだ? 今回はアイビーが選んでくれたのを参考にして、自分で選んだの! この前、みんなにかわいいって言われたんだから」
「よくできました。ところでサラ」
「うん?」
「私、招待状が見つからないの」
「えっ!?」
「どこに置いたか思い出せなくて」
サラの目が皿のように丸くなった。
「ベス・ベクスターの招待状を!? なくしたの!?」
「声を落として」
「あれをどうやってなくすのよ! 最近あれもらった人、数えるほどしかいなくて、みんな額縁に入れるだの入れないだの言ってるのに!」
額縁はちょっとやりすぎでは。私は胸の内でだけ返し、表向きは困った顔を作ってみせた。
「それでね、日付っていつだったかしら」
「再来週の木曜! 午後三時! ベクスター邸!」
即答だった。サラは招待状の中身を丸ごと暗記しているに違いなかった。額縁に入れるだの言っていた連中の一人が、ここにいた。
「ありがと。おかげで助かった」
「ほんと気をつけてね、アイビー。当日、すっごく大がかりになるらしいよ。お知らせを発表するって言ってたでしょ。みんなその話ばっかり」
サラは身を乗り出して声をひそめた。秘密の話をする姿勢だったが、声量はまるで秘密めいていなかった。
「あたしが思うに、やっぱり婚約だよ。百パーセント」
「根拠は?」
「勘!」
「……そう」
「あたしの勘、よく当たるんだから! 見てなさいよ!」
サラは自信満々に胸を張った。根拠はないが結論は確信している、サラらしい推理だった。
その後もサラはしばらくしゃべり続け、窓の外の陽が傾きはじめる頃になってようやく、「あっ、あたし行かなきゃ!」と勢いよく立ち上がった。
私は見送りに、一緒に階段を下りた。そして階段が半分ほど残ったところで――
足を止めた。
すばやく認識歪曲をまとうと、手すりを握る手に力を込め、浅く息を整えた。ほんの一瞬。気づかれない程度に。いや、正確には――ちょうど気づかれる程度に。
「アイビー?」
三歩先を行っていたサラが振り返った。
「なんでもない。ちょっとめまいがして」
「めまい!?」
サラは二段を一度に駆け上がってきた。黄色い瞳が、私の顔をぐっと覗き込んだ。
「顔が真っ白! もともと白いのに、もっと白い!」
私の魔法は狙いどおりに働いた。健康な血色を蒼白な顔色に、しっかりした体を痩せて青ざめた病人の体に見せかけた。鋭い者なら何かおかしいと思うだろうが、サラは見せられたとおりに信じる。
「大丈夫。最近ちょっとこうなるの」
「最近? 最近ずっとこうなの?」
「たまに」
私は語尾を濁した。否定でも肯定でもない、聞く側が勝手に肉付けするのにちょうどいい余白。
サラの想像力がその余白を埋めるのに、ほんの数秒もかからなかった。
「どうしよう、あんた閉じ込められてるからじゃない? 陽に当たれなくて! それとも、ご飯食べられてないんじゃ? 心労で!」
素晴らしい。私が筋書きを書いてやる必要すらなかった。
「そこまでじゃないよ。心配しないで」
「心配させておいて心配するなってないでしょ!」
サラは足を踏み鳴らした。それから何かを決意した顔になって、私の手をぎゅっと掴んだ。
「手紙、よく書くから。返事、絶対してよ。返事なかったら乗り込むからね?」
「うん」
「お茶会までしっかり養生して! 絶対一緒に行くんだからね!」
「うん、ありがと」
門前で、サラは馬車に乗り込みながらも三度ほど振り返った。私はわざと門柱に軽くもたれて手を振った。気力のない人のように。最後の一滴まで、律儀に。
馬車が遠ざかった。
私はもたれていた体を離し、まっすぐ立った。
よし。
サラは口が軽い。愛らしいことに、方向さえうまく定めてやれば武器になる。今日目にした「蒼白で、めまいを起こし、閉じ込められて萎れていくアイビー」の話は、じきにサラの口に乗ってアシュフォード邸へ、そして社交界の細流へと流れ込むだろう。
「ブレア家のご令嬢、近ごろひどく具合が悪いらしい」
もちろん、男爵家の令嬢が一人寝込んだところで、世間が騒ぎ立てるはずもない。社交界に顔を出す子でもないのだから。ただ、それがたまたま関心を持つ誰かの耳に入ったなら――それでいい。
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「メリー」
夜、部屋に戻った私はメリーを呼んだ。
「はい、お嬢様」
「明日から私、病気になるの」
メリーがまばたきした。
「……はい?」
「うんと具合が悪くなる。食欲もなくて、元気もなくて。食事は部屋に運ばせて、その食事はほとんど残す」
メリーの顔に疑問符がずらりと浮かんでは、一つずつ消えていった。お茶をこっそり捨てはじめてから、メリーは勘が鋭くなった。いや、もともと鋭かったのが、その勘を私の側に使いはじめたということだ。
「……もしかして、あのせいですか? その、毒のこと」
「うん。この家で口に入れるものを、できるだけ減らすの」
「食事にも、何か……?」
「わからない。だから全部減らすの。一つずつ消していって確かめるしかない」
メリーの顔が曇った。
「でもお嬢様、そんなことをして本当にお体を壊されたら……。今でもお痩せなのに、食事まで抜かれたら……」
「それは心配しないで。食べるところは別にあるから」
「……はい?」
「詳しくは言えない。ごめんね。でも、飢えてるわけじゃないの。むしろ、ここのごはんよりよく食べてるかもしれない」
メリーは唇を動かしかけて、何かを飲み込むように閉じた。訊きたいことが山ほどある顔だった。毎日洗濯物に出てくる男の子の服はどういうわけか、食べるところが別にあるとはどういう意味か。
だがメリーは、訊く代わりにこう言った。
「……残したお食事は、私が始末します。厨房には、お嬢様が召し上がったように見せて」
「お願い」
「それと、具合が悪い『お芝居』ですけど、お嬢様」
メリーが指を一本立てた。表情がやけに真剣だった。
「咳はなさらないでください。肺の病だと噂になったら、本物のお医者様を呼ばれるかもしれません。そうしたら、全部ばれます」
「……一理あるね」
「ただ元気がなくて、食欲がなくて、青白い。それくらいがちょうどいいんです。病名の出ない病気ですよ」
私はメリーをまじまじと見た。
「あなた、こういう方面の才能あるね?」
「褒め言葉じゃない気がしますけど」
「褒め言葉だよ」
メリーは、ため息とも笑いともつかない息を吐いて、寝具を整えはじめた。それからふと手を止めて訊いた。
「でもお嬢様。ご病気ということにすると……男爵様のお耳に入りますよね。それでも、よろしいんですか?」
私は窓の外を見た。陽が完全に沈もうとしていた。
「よろしいんじゃなくて、それが目的なの」
娘が病みついているという報せを聞いたら、あの人間はどう動くだろう。心配して駆けつけるだろうか。医者を呼ぶだろうか。
いや。
あの人間はおそらく――喜ぶだろう。計画どおりに進んでいると思うだろうから。そして喜ぶ人間は、必ず急ぐ。急ぐ人間は、必ず何かをこぼす。
餌は投げた。
あとは、男爵が動く番だった。




