12
「茶葉の分析結果が出た」
「もうですか?」
「結論から言おう」
ヘンリーが淡々と言った。
「ごく普通の茶葉だ」
「……」
「……本当ですか?」
「信じてない顔だな」
「当然でしょう」
私は眉をひそめた。
「一日でちゃんと調べたって、本当ですか?」
ヘンリーは呆れたように笑うと、指を一本ずつ折りながら言った。
「王都で一番大きい茶の商団。茶の製造職人。毒物鑑定。それぞれ別々に確認した」
「……え?」
「流通経路も追ったし、製造工程も確認したし、毒物反応も全部見た。結論は同じだ」
彼は少し言葉を止めた。
「この茶そのものには、異常がない」
私はしばらく言葉を失った。
「……それを一日で?」
「有能な新人が入ったんでな」
ヘンリーがくすっと笑った。
「これくらいはやってやらないとな」
私はヘンリーをあらためて見た。思ったよりずっと大物だ。
じゃあ……茶じゃないってこと?
いや。まだ諦めるには早い。
「もしかして」
「うん?」
「重金属反応は見ましたか?」
ヘンリーの表情が微妙に変わった。
「重金属?」
「……」
「それは何だ?」
一瞬、頭の中が止まった。
知らない。
メリーもそうだった。そして今、一日で王都の鑑定の専門家を三人も動員したこの男も知らない。
この世界には――重金属という概念そのものがない。
鉛がないのではない。鉛を「毒」に分類する知識がないのだ。毒物鑑定がどれだけ正確でも、検査項目にない毒は検出されない。
だから「異常なし」が出たんだ。
背筋がひやりとした。これは思っていたよりずっと厄介な問題だった。この世界の誰に訊いても答えの出ない毒。知っているのが私一人だけの毒。
「なんでそんな顔をしてる?」
「……なんでもありません」
ヘンリーはしばらく私を見ていたが、それ以上問い詰めず、話を続けた。
「流通経路のことだが」
「どうだったんですか?」
「大手の商団ではなかったな。民間の貿易商が一つ、扱っている品だった」
「誰なんですか?」
ヘンリーが私を見た。
「ブレア商団だ」
結局、巡り巡って男爵だ。
なのに茶葉には問題がない。そしてこの世界は重金属を知らない。
心証は積み上がるのに、物証への道が一つずつ断たれていく。茶でないなら、いったいどこから。表情をゆがめて眉間をぐっと押さえていると、ヘンリーが声をかけてきた。
「考えていることを話してくれれば、悩みは一緒に考えてやれるんだが」
「今日の任務でも教えてくださいよ」
私が断ると、ヘンリーは肩をすくめた。
「今日やることは巡回だ」
「楽ですね」
「特別な事件がなければ、この先も同じだ」
巡回は順調だった。
前々から思っていたが、夜の商店街は驚くほど栄えていた。
「治安がいいですね」
「だろう?」
「夜にこうやって、人が安心して出歩けるのは、そう簡単なことじゃないのに」
「王都の自慢でな」
ヘンリーは騎士団の一員として誇らしいのか、私の評価に気を良くしているようだった。
食堂が建物の中にある旅籠もあったが、いっそ路上にテーブルを出して酒を売る店が多かった。酔客たちのわはは、という笑い声があちこちから聞こえた。遠くのほうでは、ろれつの回らない声で酔っ払い二人が喧嘩を始めたが、治安隊の隊員が一人、すぐさま制止した。
大柄な傭兵たち、仕事を終えた中年たち、若い男女。みな性別の区別なく、夜の文化を楽しんでいた。
私は彼らを見た。
笑い、騒いでいるあの人たちは、ここで生まれ、ここにぴったり合うように育って、この世界が必要とする場所に、正確にはめ込まれている。
私とは、違って。
「巡回はこれで終わりだ」
ヘンリーの声に、物思いが途切れた。
「いいものを見せてもらいました」
「これからもこんな調子でやる」
私の肩をぽんぽんと叩く彼は、まったくもって、すっかり上司気取りだった。
*自分が何様のつもりで上司ぶってるのよ。*
ふと反発心が頭をもたげたが、
いい交渉のアイデアが浮かんだ。
「私を雇うんなら、給料は出ないんですか?」
ヘンリーが足を止めた。そして、意外にもあっさりした返事が返ってきた。
「ふむ。一理あるな。有能な人材を無給で使うわけにはいかんか」
内心で快哉を叫んだ。
「それで、いくら欲しい?」
「え?」
年俸交渉。しかし私はこの国の貨幣の単位を知らない。銀貨が何枚で大金なのか、食事一回がいくらなのか。何も。
金額を口にした瞬間、おかしな人間になる。安く言いすぎれば馬鹿だし、高く言いすぎれば怪しい。
「うーん……その……」
私は素早く頭を回してから、妙案をひねり出した。
「ごはん。ごはんを奢ってください」
「ごはん?」
ヘンリーが目をぱちくりさせた。
「たったそれっぽっちでいいのか?」
たったとは。これは給料であり命綱だ。この家の外で調達する安全な食事。これなら少なくとも、屋敷で口に入れる量を減らせる。
「始まりはそうだって話です。私が手柄を立てたら、新しい給料はそのとき交渉しましょう」
「……面白い交渉人だな。いい」
「あ、それと衣装はこのままでいいですか?」
「お前は正式な雇い人じゃないから、今みたいなお忍びの形でいい。たいていのことは騎士が先に片づけるから、どうしても必要な状況でなければ、出しゃばらなくていい」
そうして私は、給料としてごはんをもらう、騎士団の非公式な助手になった。
その後、真面目な日々が繰り返された。
昼のうちにできるだけ多く眠り、日が沈めば巡回に出て軽犯罪を報告し、任務の前後にはヘンリーが奢ってくれるごはんをしっかり食べた。仕事が終われば、明け方に体力訓練。走り込みとストレッチで基礎を固めたので、今度は腕立て伏せ、腹筋、スクワットといった筋力トレーニングも並行した。アンにばれたついでに、明け方の瞑想とマナの運用も欠かさず。
さあ、いよいよ本格的に力をつける番だった。




