二年目
◆ 2XX3年 4月 第3土曜日
「野崎さんは、進路ってどう決めましたか?」
2回目の春。いつもの面会室で、南はなんてことない世間話だというように、そう切り出した。
「2年になって、進路調査あった感じ?」
「です」
少し前に、南が理系を専攻したところまでは聞いた記憶がある。
野崎は気だるげに頬杖をついて、自分の高校時代を思い起こした。
毎度思うが、この間高校生になったばかりの子供にもう受験の話をするなんて、大人っていうのはなんてせっかちなんだろうか。
「2年の進路調査なんて、進学か就職かだけ書いとけば良いんじゃないの?」
「そうなんですけど……」
考えてみれば、南の家は母子家庭だ。
月喰いの治療にあたっては、国から支援があったと思うが、経済的な余裕があるとは考えにくい。
母親がなんと言っているのかは知らないが、南の頭の中には当然、就職という選択肢も浮かんでいるのだろう。
「俺は、南くんは進学した方が良いと思うよ」
「え……?なんでそんな」
「お母さんは何て言ってるの?」
「進学しろって……」
「ほら、やっぱりじゃん」
南が不満げに口ごもる。
南の気持ちは野崎にも何となく理解できる。
母親と二人三脚でここまでやってきて、彼にとって母親は「守ってくれる存在」であると同時に「守るべき存在」でもあるんだろう。
「……お金のことは気にするなって母さんは言うけど。苦しくないはず無いんです。あの人が贅沢してるの、見たことない」
野崎はぼんやりと、自身の両親に思いを馳せる。今でこそ折り合いが悪く疎遠だが、あの人たちだって、同じように言う気がする。
「正直、俺は南くんのお母さんとはあんまり話したこと無いし、本心は分からないけどさ」
南がじっと野崎の方を見て言葉の続きを待つ。
こういうときの彼の目はなぜかとても無垢で、感情が見えない。
「南くんは、もう少し子供を謳歌する権利があると思うよ」
「……大学で遊べってことですか?」
「いや、勉強もしなきゃだけどね」
思わず苦笑いが溢れる。
野崎自身はどちらかといえば、遊んでばかりの大学生だったので、「どの口が」と内心ツッコまずにはいられない。
「18になったら、こういう面会とかも要らなくなるんでしょ? 友達の家に入り浸ったり、彼女作ったり、大学生の特権じゃん」
「彼女ですか……」
「え……もう既にいる感じ……?」
「黙秘します」
「おっとぉ」
南自身からは全くそんな気配はしないが、思えば顔はまぁまぁ整っているし、落ち着いた雰囲気も、女子高生から見たらカッコよく映るかも知れない。
「やっぱ同級生かなぁ……いや、新一年生って可能性もあるか」
「……リアクションしませんからね?」
「ち」
◆ 2XX3年 9月 第3土曜日
「南くん、ちょっと立ってくれる?」
「え?なんでまた」
バンドを手首に巻き、歳月が同期されたのを確認すると、野崎は神妙な面持ちでそう言った。
野崎の方は質問に答えなかったが、南は素直に席を立つ。すると野崎も立ち上がって、その横に並び立った。
「うそだ……信じない」
野崎はそう言って両の手で顔面を覆い、その場に崩れ落ちた。
「……2回前くらいから、そうだと思いますけど」
「俺のかわいい南くんはどこに行ってしまったんだ……」
「だから、だいぶ前からそんなのは居ませんから」
一呼吸置くと、野崎はつくつくと笑いながら立ち上がる。「はい、ありがとー」といつもの調子で南を席に戻して、自分も向かいの椅子に腰掛けた。
「いやー成長期ってすごいなぁ。お父さん大きかったの?」
「……そうですね」
「モテ男子じゃん。うらやましい超えて誇らしいまである」
年下の南に身長を抜かされたという事実が、野崎にとっては何だかあたたかいものに思えた。
世の父親はこんな風に、息子の成長を寂しがったり喜んだりするのではないかと想像する。
「そういえば南くんの誕生日、秋だったよね?10月だっけ?11月?」
「11月です」
「後半?」
「6日なので……わりと上旬ですね」
「11月6日かぁ……」
野崎は頬杖をついて思考をめぐらせる。
じぃと顔を見つめたまま固まるので、南は少し嫌そうな顔をして、手のひらでその視線を塞いだ。
「面会さ、11月だけ第2週にずらせないかな?」
「え?」
「いつものタイミングでも良いけどさぁ。さすがに第3土曜だと誕生日祝いって感じしないじゃん」
南が手のひらをどけると、もうそこに野崎の視線は無く、今はスマホのカレンダーとにらめっこしている。
「……祝ってくれるんですか?」
「そりゃね。誕生日なんてやるの若いうちだけだから、たくさん祝われときな」
南は相変わらず嫌そうな顔をしていたけれど、野崎はそれを"照れ隠し"と解釈して、勝手に話を進めていく。
「プレゼントとかケーキとか、ルール的にOKなのか聞いとかないとな。ズラすなら第2週で良い?」
「……はい」
「今日の終わりにでも、行員さんに相談しとくよ」
◆ 2XX3年 12月 第3土曜日
窓の外は生憎の雨模様で、どこからか飛んできた落ち葉が、ガラスにぺたりと張り付いていた。
部屋の中は空調が効いていて暖かいけれど、そんな天気のせいで、じっとりとした空気が肌を濡らす感覚がある。
「……仕事、忙しいんですか?」
「ん?」
野崎が噛み潰したあくびを見逃さず、南が心配そうな声色でそう言った。
野崎は「あー……」と気まずそうな顔で頭を掻く。
「いや、明け方までゲームしてただけ……。大人の癖にね」
「大人が課金してくれないと、業界が衰退するので困ります」
「課金したとは言ってないじゃん。……したけど」
南がケラケラと笑う。
野崎はその笑いが納まるまで、しばらく「イベントボスを倒せる編成がなかなかできなくて……」と独り言のようにぼやいていた。
「野崎さんって、今バカンス中なんでしたっけ?」
「いや、流石に働いてる。非正規の警備員だけど」
南が私生活について質問するのは珍しいな、と思う。
はじめの内は意識的に避けている風ではあったけれど、ある程度気心が知れてからもそういった話題は無かったので、単に興味が無いものだと思っていた。
野崎の内心に、しばらく見ないフリをしてきた"後ろめたさ"が思い起こされる。進んでは口にしたくない事実について、まだ自分は説明責任を果たしていない。
すっかり青年の姿になった南を見て、今なら話せるだろうか、と思う。
「……南くんに、謝らなきゃいけないことがあって」
野崎の声のトーンが下がる。
ちらりと盗み見た南の顔は、その先を懸念するようなものではなく、またいつもの純粋で感情の見えない表情だ。
「俺さ、新卒で入社してから3年間、プログラマーをしてたんだよ」
「カッコいいですね」
「そう思うでしょ?」
いつもの調子で淡々と続けていく。
声帯が緊張していくのが分かる。
声が震えたりしたらみっともない。何よりも、この聡い少年に気遣いなどして欲しくないのだ。
「でも全然。毎日意味のない会議の資料作って、営業電話かけまくるんだよ。
それっぽい仕事できるのは、定時過ぎてから。それだってバグチェックばっかだけどね」
ははは、と乾いた笑い。
いつも野崎のくだらない話を笑ってくれる南からは、同じものは聞こえなかった。
「上司に罵倒されても、同期が辞めても、すがりついて……でもそれも3年で逃げ出した。
俺が南くんにあげてるのは……そういう、最低の歳月なんだよ」
すぐに南の顔を見る勇気は、無い。
キレイだと信じてきた飲み水が、本当は汚泥だったと知ったとき、人はどんな気持ちになるのだろう。まして差し出す側は、それを承知で与えていたのだ。
南の返事はない。静かに失望されるくらいなら罵ってくれた方がましだ。
「ごめん」
そんな風に謝罪されても、困らせるだけだと知っている。出資を始める前ならまだしも、彼はこれまで受け取った歳月を、今更突き返したりはできないのに。
視界の端で、南が身じろぐのが分かる。絞り出された声には、迷いのようなものが滲んでいた。
「別に謝ることなんて……」
「聞かれないから、言わなくて良いってコトにはならないでしょ」
「そうじゃなくて」
覚悟を決めて南の顔を見る。
珍しく、怒っているような表情だ。いつもの感情の無い顔を予想していたので、すこし戸惑う。
「俺、今不幸じゃないです。
野崎さんが出資してくれるおかげで、毎日高校行って、すごい楽しいですよ」
南の言葉を、否定することはできない。
野崎の知る彼は、どこにでもいる、よく笑う高校生だ。
「野崎さんの3年間のおかげで、俺は今幸せなんです」
同時に、普通の高校生には、こんな風に誰かに「自分は幸福だ」と弁明する機会は無いだろうな、とも思う。
不幸を嘆くことはあっても、幸せなんてモノを省みるのは、ずっと大人になってからの話だ。
「……ごめん」
それでも、ぽつりと野崎の口からは謝罪が溢れた。
「……おっさんのしんみりトークキツいよなぁ……マジでごめん」
「それは、そうですね」
南はまた、いつものようにケラケラと笑った。




