標的の侍女たちと、見えない影
月光宮へ帰り着いた私は、休む間もなく芙蓉様の私室へと向かった。
部屋には、芙蓉妃様を囲むようにして、静、小蘭、明苺、そして桂花の四人が揃って待機していた。
皆、園遊会での騒ぎを聞きつけ、不安げな表情を浮かべている。
「凛花!無事だったのね。具合は悪くないかしら?」
私の顔を見るなり、芙蓉様が立ち上がって安堵の声を上げた。
いつもの優雅で落ち着いた態度は少し影を潜め、本心から私を心配してくれているのが伝わってくる。
「はい、大丈夫です。使われた毒は腹痛を起こして体調を崩させる程度のものでしたし、何より私には全く効きませんから」
「……そう。あなたが無事で本当に良かったわ」
芙蓉様はほっと胸を撫で下ろし、長椅子に再び腰を下ろした。
「今回の毒の件ですが、おそらく明日以降、叡明様や武官たちから個別に事情を聞かれることになると思います」
「分かったわ。私が責任を持って答えましょう」
「いえ、芙蓉様ではありません。……事情聴取を受けるのは、私たち『侍女』です」
私が訂正すると、芙蓉様は「え?」と小さく声を漏らし、きょとんとした顔をした。
他の四人も顔を見合わせている。
「今回の事件、狙いは芙蓉様や他の妃様方ではなく……私たち侍女でした」
その言葉に、部屋の空気が一瞬にして張り詰めた。
「そんな……。いくら何でも、ただの侍女を狙ってあのような大規模な騒ぎを起こす必要なんてあるのかしら?」
芙蓉様が信じられないといった様子で扇を口元に当てる。
「はい。ですが、今回の毒が混入されていたお菓子は、本来なら控えにいる侍女たちにも配られる予定のものだったようです」
「ええっ!?」
深刻な空気をぶち破るように、明苺が素っ頓狂な裏返った声を上げた。
「あ、あのお菓子、私たちも食べられるはずだったの!?すごく美味しそうな甘い匂いがするから、調理場の近くまでわざわざ見に行っちゃったのに!配膳の人から『後で配ってあげるよ』って言われて、すっごく楽しみにしてたのにぃ……!」
命を狙われていたかもしれないという事実よりも、極上のお菓子を食べ損ねたことへの未練が勝っているらしい。
明苺が本気で悔しそうに顔を歪めるのを見て、張り詰めていた空気がほんの少しだけ緩んだ。
「……それにしても、上級妃の侍女全体が狙われたということなら、ひどく範囲が広いわね」
芙蓉様が少し考え込むように視線を落とす。
「それで、そのお菓子に細工をした犯人はどうなったのかしら?捕縛できたの?」
「……自害したそうです。武官に追い詰められて、隠し持っていた毒を仰いだと聞いています」
私が静かに答えると、部屋に再び重い沈黙が落ちた。
「……死ぬことなんて、ないのに」
ぽつりと、掠れた声が響いた。
声の主は、桂花だった。
彼女は俯き、指の関節が白くなるほど自分の衣装の裾をきつく握り締めながら、ひどく悲しい顔をしている。
その華奢な肩が、微かに小刻みに震えているように見えた。
「そうだよね」と、小蘭が桂花の言葉に同意するように頷いた。
「死んでしまうほどの猛毒じゃなかったんなら、もし捕まったとしても、なんとかなったかもしれないのに……。自ら命を絶つなんて、可哀想だよ」
二人が沈痛な面持ちで話していると、静が一歩前へ出て、芙蓉様に冷静な声で報告した。
「先ほど情報が入りましたが、犯人の遺体はすでに外廷の医局へと移送されたそうです。今、検死と身元の調査が行われているようですが、詳細はまだ分かっていません」
「そう……。詳しいことは、明日には分かるでしょうね。皆、もし明日事情を聞かれたら、ほんの些細なことでもいいわ、気づいたことがあれば隠さずに話してあげてちょうだい」
芙蓉様の言葉に、私たち五人は「はい」と声を揃えて深く頭を下げた。
「よしっ!じゃあ、念のため今日は武官の方に頼んで、月光宮の守りを厳重にしてもらいますね!ちょっと門まで走ってきます!」
小蘭が気丈に振る舞いながら、足早に部屋を出て行った。
それを見送りながら、芙蓉様はパンッ、と軽く手を叩いて笑顔を作った。
「さあ、ひとまず私の可愛い侍女たちに被害がなくて良かったわ。暗い話はここまでにして、そろそろ夕食にしましょう。気持ちを切り替えてちょうだいね!」
その芙蓉様の明るい声に救われるようにして、私たちはいつもの日常の業務へと戻っていった。
だが、夕食の準備中も、配膳の最中も。
私は、桂花がいつもの底抜けの明るさを失い、どこか上の空で作業をしていることに気づいていた。
「桂花、大丈夫?すごく疲れた顔をしているけど」
洗い場で皿を拭いていた桂花に声をかけると、彼女はビクッと肩を震わせ、無理に口角を上げて笑ってみせた。
「う、ううん、大丈夫だよ!あんな騒ぎがあったから、私も少し疲れちゃったのかも。あはは……」
「そう?無理しないでね。顔色が少し青いよ」
「うん、ありがとう。……私、今日は少し早めに部屋に戻るね。おやすみ、凛花」
桂花はそそくさと布巾を置くと、逃げるように足早に去っていった。
らしくない彼女の背中を、私は心配そうに見つめ続けた。
「……やっぱり、あんなことがあるとちょっと怖いよね」
背後からひょっこりと顔を出したのは、明苺だった。
「狙いが私たち『侍女』だったってことは、桂花も私も、いつ命を狙われてもおかしくない標的の一人ってことでしょ?そりゃあ、桂花みたいに元気もなくなるわよ」
「明苺は……まだ平気そうだね?」
私が尋ねると、明苺は「うーん」と人差し指を顎に当てて、少しだけ誇らしげに天井を見上げた。
「うん!まぁだって、前にも王太后の地下牢で死にかけたし、あの時も凛花がかっこよく助けてくれたでしょ?あんな恐ろしい経験をしたからかな、私、少し肝が据わったのかも!」
「ふふっ、それは頼もしいわね」
明苺の屈託のない笑顔に、私は少しだけ救われたような気がした。
夜は静かに更けていく。
月明かりに照らされた後宮は、昼間の騒動など嘘のように静まり返っている。
だが、私の胸の奥では、回廊で気づいた『ある推論』と、先ほどの桂花の悲痛な表情が結びつき、嫌な鼓動を打ち始めていた。




