不揃いな菓子と、崩された防壁
「私に毒を盛ったのは、決して私個人に的を絞って狙ったものではありません」
静寂に包まれた薄暗い執務室に、私の声が淡々と響いた。
長椅子にどっかりと腰を下ろしている叡明様は、その逞しい腕を深く組み、怪訝そうに眉をひそめた。
「では、何だ?お前のその特異な能力を恐れた暗殺者の仕業ではないと言うのか」
「はい。今回の仕掛けは、私ではなく……あの場にいた『毒味役全員』を標的にしたものです」
私の言葉に、背後に控えていた高星様がハッと息を呑んだ。
「全員、ですか……?」
「ええ。高星様が持ってきてくださったこのお菓子の破片、よく見てください」
私は机の上に散らばった練り切りの欠片を指差した。
「一見すると同じ美しい花の形をしていますが、一つ一つがわずかに違っています。ただ形が不揃いなだけではありません。生地の色の混ざり具合や、表面の細工の仕上げの雑さが際立っているものがあるんです」
「おそらく、元の完成品の中に、後から別の場所で作られた『粗悪な毒入り』を急いで混ぜ込んだのでしょう」
「配膳の段階で崩れたと言っていたな。その時に、別の粗悪な菓子と混ざったのではないのか?」
私が破片を小刀の先で弾きながら指摘すると、叡明様は身を乗り出してそれを凝視した。
「いいえ。これは『最初から』均一に作られていなかったんです。……毒の有無も含めて」
私の指摘に、二人の間に重い沈黙が落ちた。
「……意図的に、毒入りの菓子と無毒の菓子を混ぜて配膳したということですね」
高星様が瞳を鋭く光らせて呟く。
「その通りです」と、私は静かに頷いた。
「もし、あの場に出されたすべてのお菓子に毒が入っていれば、口にした毒味役は一斉に倒れます。そうなれば即座に異常が発覚し、すべての配膳は止められますよね。ですが、一部のお菓子だけに仕込まれていたとしたら、どうなるでしょう」
「……倒れるのは、運悪くそれを口にした数名だけだ」
叡明様の声が、一段と低く冷たくなる。
「はい。たった一人や二人がお腹を押さえてうずくまっただけなら、どう処理されるか。おそらく、『その毒味役のその日の体調不良』として片付けられ、大騒ぎにはならず、他の料理やお菓子はそのまま奥へと通されてしまう可能性がある」
後宮の毒味役は、常に死と隣り合わせの過酷な労働だ。
だからこそ、ちょっとした腹痛や貧血で体調を崩す者は日常茶飯事であり、いちいちすべての配膳を止めていては、これほど大規模な宴が成り立たない。
「なるほど……。毒味役を一人でも落とせば、完璧なはずの検分は乱れる」
「複数名が機能しなくなれば、毒の監視網そのものが崩壊しますね」
高星様の言葉に、私は深く頷いた。
「ええ。その隙を突いて、『本命』の毒を通す。それが彼らの狙いだったのでしょう」
「本命?」
叡明様が鋭く問い返す。
「はい。園遊会の騒ぎの中、私は調理場で配膳の方に確認しました。そこに大量に残されていたあのお菓子は、皇帝陛下や妃様方だけではなく……各宮から同行してきている『侍女たち』へ配るためのものだったんです」
「……だが、何人もいる侍女の中から、誰が狙われているかなど、実行犯である料理人には分からないはずだぞ」
「ええ。だからこそ、特定の標的を絞るのではなく、『全体に仕掛ける』という乱暴な方法を選んだのでしょう」
私の返答に、叡明様はなおも納得がいかないように首を振った。
「だが、なぜわざわざ毒味役にまで手を出す必要がある? 毒を食わせたいなら、侍女用の菓子にだけ、こっそりと毒を仕込めばいいではないか」
「それができないからです。園遊会の絶対的な規則では、会場で配られる菓子はすべて、事前に毒味を通したものしか提供できません。それは侍女用であっても例外ではないはずです」
私が言うと、高星様が「確かに……。侍女であっても、同じ釜の飯、同じ菓子を口にしますからね。別々に用意すれば逆に怪しまれる」と同意した。
「さらに言えば、侍女に配られるお菓子は、皇帝陛下や上級妃様方に出されるものと全く同じものです。……途中で差し替えることは、不可能に近い」
「……つまり、最初から全体に仕込むしかなかった、か」
叡明様が、忌々しそうに舌打ちをした。
「その毒が仕込まれたお菓子を、侍女たちの元へ確実に届けるために……まずは、最大の関門である『毒味の監視網』を崩す必要があったのですね」
高星様が、青ざめた顔で結論を口にした。
すべてが太い一本の線で繋がっていく。
私は、あの調理場の奥で目が合った、料理人の異様に怯えた目を思い出した。
「あの時、私が感じた視線。あれは、ただ配膳の様子を伺っていたのではありません。『毒がきちんと効くかどうかを見ていた目』です」
「……つまり」
「毒味役が倒れれば、それは毒の仕掛けが機能している証拠。計画が次の段階へ進むという合図です」
「そして、実行犯である料理人は本当の標的が誰なのかを知らない……」
高星様が息を呑み、叡明様と顔を見合わせた。
二人は、まるで示し合わせたかのように、全く同じ言葉を同時に口にした。
「「――侍女全体を狙うしかなかった、ということか」」
執務室の空気が、かつてないほどの重苦しい緊張感に包まれた。
姿の見えない暗殺者が、後宮の侍女たちという不特定多数を巻き込む、あまりにも無差別で大規模な罠。
だが、私の思考はそこで止まらなかった。無差別に見えるこの計画には、まだ何か、決定的な「意図」が隠されているはずだ。
私は二人の最高権力者を前に、さらに思考の深淵へと足を踏み入れていった。




