執務室の推理と、無毒な証拠品
水を打ったように静まり返った叡明様の執務室で待つことしばし。
重い木扉が開き、叡明様と高星様が連れ立って入ってきた。二人とも、眉間に深い疲労の影を落としている。
「すまない、待たせたな」
叡明様はどっかりと長椅子に腰を下ろし、深く息を吐き出した。
「いえ。あの園遊会での騒ぎですから、事後処理も大変だったようですね」
「ああ……。皇帝陛下に四人の上級妃まで揃っている中であのような事態になればな。各宮への説明と警備の再配置で、すでに頭が痛い」
ため息交じりにこぼす叡明様の傍らで、高星様が静かに私の前へと進み出た。
「凛花殿。ご指定の通り、例のお菓子はこちらに確保いたしました」
高星様が恭しく机の上に置いたのは、清潔な布で包まれた小さな塊だった。
「ありがとうございます、高星様」
「話を聞く前に、一つだけ報告しておこう」
私がお礼を言うと、叡明様がわずかに声を潜めた。
「会場から逃げ出し、あの料理人を追っていた武官たちから報告があった。……捕まえる一歩手前まで追い詰めたそうだが、隠し持っていた毒を仰ぎ、自害したそうだ」
「……そうですか」
私は少しだけ目を伏せ、残念な気持ちを噛み殺した。
死人に口なし。
なぜ彼が毒を盛ったのか、誰の指示だったのか、直接聞き出す一番の糸口が絶たれてしまったことになる。
「では、あの時のことをお話ししてもよろしいでしょうか」
「ああ、頼む」
私は姿勢を正し、先ほどの騒ぎを思い返しながらゆっくりと口を開いた。
「毒味が始まってすぐは、何の異常もありませんでした。ただ、お菓子を食べる直前……五品目の料理の毒味をしている時に、妙な『視線』を感じたのです」
その言葉を聞いた瞬間。
叡明様が、ガタッ!と乱暴に立ち上がり、机から身を乗り出すような凄まじい勢いで私に迫ってきた。
「武官たちか!!あれは確かにすさまじいものだったぞ!!」
「ひっ!ち、違いますっ!!」
あまりの剣幕に、私は悲鳴を上げながら両手で彼の分厚い胸板をぐいっと押し戻した。
「そもそも、武官の方々がなぜ私を見る必要があるんですか!」
「あれだけ完璧に飾り立てて、あの美貌を晒していれば、男の視線が集まるのは当然だろうが……ブツブツ……」
叡明様が口を尖らせて何か小言を呟いているが、全く聞き取れない。
隣を見ると、高星様が片手で顔を深く覆い、今日一番の深いため息を吐き出していた。
「……凛花殿。話を続けてもらってよいですか?」
「はぁ……。それで、ですね」
気を取り直し、咳払いをして話を繋ぐ。
「視線を感じたものの、私は直接その方向を見ませんでした。私の前には何人もの貴族や文官の方々が注目していますし、目でだけこっそり探ろうとしても、不自然な動きになってしまいますから」
「……ですから、わざと配膳の方に『口を拭う布を交換してほしい』と頼んだのです。布を受け取る動作に紛れて、さりげなく視線の主を確認しました」
「なるほど。だからあの時、配膳の者と話していたんだな」
叡明様が、押し戻された姿勢のまま納得したように頷く。
「はい。その料理人の目は、ひどく妙でした。震えて怯えているようにも見えましたが……それだけではない。まるで、『結果を待っている』ような、強い期待と焦りが入り混じった目をしていたんです」
叡明様はスッと目を細め、腕を組んだ。
「待て。他の毒味役が先にお菓子を食べていれば、次々と倒れて大変な騒ぎになっていたはずではないか?」
「その通りです。ですから――『妙だ』と思ったのです」
「妙?」
「はい。あの場で、お菓子を口にして異変に気づいたのは、私『だけ』でした」
私の言葉に、高星様がハッとして目を細めた。
「……偶然、他の者たちがまだ食べていなかった、ということでしょうか?」
「分かりません。ですが、配膳台を見た時、あのお菓子には明らかな『ばらつき』があるように感じました。……確認してみましょう。高星様が持ってきてくださったお菓子、少しだけ砕いていただきますね」
私は、机の上の布包みをそっと開いた。
中から現れたのは、私が会場でかじったのと同じ、美しい花の形をした練り切りのお菓子だった。
私は懐から清潔な小刀を取り出すと、ためらうことなくそのお菓子を真ん中から真っ二つに割り、さらに細かく砕き始めた。
「お前、やはりそれを食べるつもりじゃ……!」
叡明様が呆れ顔で止めに入ろうとした、まさにその時。
私は砕いたお菓子の断面をじっと見つめ、鼻を近づけて匂いを嗅ぎ、静かに宣告した。
「……やはり。このお菓子には、毒は入っていません」
「なっ……!?」
「どういうことだ。ならばなぜ、会場でお前だけが毒に当たったのだ!」
叡明様と高星様が、信じられないものを見るような目で、私と砕かれた無毒のお菓子を交互に見つめた。
驚愕する二人の帝国最高峰の頭脳を前に、私は小さく息を吸い込んだ。
「それを、今からお話しします」




