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毒味の下女は、素顔を隠して毒を喰らう  作者: 夜空
月光宮編:園遊会

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88/99

華麗なる変身と、逃げ場のないお茶会準備

 昨夜の執務室での、叡明エイメイ様とのどこか甘く静かな時間が、朝になってもまだ頭の片隅にこびりついて離れなかった。

 

 自分の心臓が跳ねたあの瞬間の感情を無理やり振り払うように、私はいつもより少し早足で月光宮げっこうきゅうへと向かった。


「……あれ?」


 月光宮の門をくぐると、いつもは優雅で落ち着いた空気が流れているはずの庭園が、ひどく慌ただしい熱気に包まれていた。


 色とりどりの絹布を抱えた女官たちが小走りで回廊を行き交い、どこからか白粉おしろいや香油の甘い匂いが漂ってくる。


「あ、凛花リンカ!おかえりなさい!」


 大量の髪飾りが入った木箱を抱えた小蘭シャオランが、私を見つけるなりパッと顔を輝かせて駆け寄ってきた。


「おはようございます、小蘭。朝からずいぶん騒がしいけど、何かあったの?」

「何かって、今日はいよいよ『園遊会えんゆうかい』の日だよ!もう、準備が大変で目が回りそう! 凛花も早く手伝って!」


 小蘭に腕を引かれながら、私は首を傾げた。


「園遊会……?」

「皇帝陛下をはじめ、後宮の頂点に立つ四人の上級妃様方が一堂に会する、年に二度の盛大なお茶会です」


 奥から歩いてきた侍女頭のシズカが、ピシッとした声で補足してくれた。

 

 参加するのは、私たちの主である芙蓉フヨウ様、美容に執念を燃やすレイ様、そして私がまだ直接顔を見たことのない瑠璃ルリ様と、軍師のような知恵を持つという雪華セッカ様の四人だ。


「……なるほど。それは確かに、一大行事ですね」

「ええ。そして今回、芙蓉妃様の特別なお供として、私と小蘭、そして凛花、明苺メイメイ桂花ケイカの三名も同行することになりました。……他宮の妃様方の前で恥をかくわけにはいきません。あなたたち三人にも、相応の衣装と化粧を施します!」


 静の気合の入った宣言に、私は思わず後ずさったが、すでに月光宮の奥の部屋には、私たち用の豪奢な衣装がずらりと並べられていた。


「わぁっ! すっごく綺麗な着物!」


 いち早く着替えを終えて出てきたのは、桂花だった。

 

 若草色と桃色を基調とした華やかな衣装に身を包み、いつもより少し大人びた紅を引いた彼女の姿を見た瞬間。


 私の脳裏に、ふと『ある記憶』がフラッシュバックした。


(……あれ?この桂花の化粧の仕方……どこかで……)


 ふと、私の脳裏に『外の世界の眩しい光』と、誰かの『ふわりとした甘い香り』がよぎった。

 

 一瞬だけ記憶の底に沈んでいたその断片が、目の前の桂花の姿と重なったような気がした。


 だが、私はすぐに小さく頭を振った。


 こんな後宮の最下層で働く下女と、外の世界の記憶が結びつくはずがない。


 生きている世界が違いすぎるのだ。


 気のせいに決まっている。


「……うん、桂花、すごくよく似合ってるよ。とっても綺麗」

「えへへ、本当?凛花に褒められると照れちゃうな!」


 屈託のない笑顔でくるくると回る彼女を見て、私は自分の考え過ぎだろうと、その微かな違和感を心の奥底へと完全に仕舞い込んだ。


 桂花と笑い合っていると、今度は奥の衝立ついたての向こうから、ひどくもじもじとした様子でもう一人が姿を現した。


「……あの、これ。おかしくないかな……?」


 現れたその姿を見て、私は文字通り絶句し、「……誰?」と間の抜けた声を漏らしてしまった。

 

 そこに立っていたのは、洗い場で共に馬鈴薯ジャガイモを剥いていたあの明苺ではなかった。

 

 深い群青色の絹の衣を身に纏い、丁寧に結い上げられた髪に銀のかんざしを挿した彼女は、まるでどこかの高貴な深窓の令嬢のように、息を呑むほど美しかったのだ。


 もともと整っていた目鼻立ちが、完璧な化粧によって最大限に引き出されている。


「すっごーい!明苺、すっごく綺麗だよ!これなら絶対に素敵な武官様が振り向いてくれるって!」

「ほ、本当?なんだか落ち着かなくて……」


 桂花にベタ褒めされ、明苺が顔を真っ赤にして両頬を押さえる。


「さあ、次はいよいよ凛花の番よ!その顔の泥を完璧に落として、最高の化粧をしてあげるわ!」


 静と小蘭が、白粉の刷毛はけと真紅の衣装を手に、ジリジリと私ににじり寄ってきた。

 

 私はサァッと血の気を引かせた。


「わ、私は大丈夫です!私はただの毒味役ですし、目立たないように石ころのように控えていますから、いつもの灰色の服で十分……!」


 私は言い訳を並べ立てながら、無音の足さばきで、するりと部屋の入り口へ向かって逃亡を図った。

 

 だが。


「――逃がさないよ、凛花」

「今日ばっかりは、私たちにつき合ってもらうからね!」


 退路を塞ぐように、いつの間にか背後に回り込んでいた桂花と明苺が、私の両腕をガシッと力強く捕らえた。


「なっ……!?二人とも、いつの間に後ろに……っ、離して、私は(馬鈴薯)剥き係の誇りを――!」

「諦めなさい、凛花!今日は芙蓉妃様の顔に泥を塗らせるわけにはいかないのよ!」


 静の容赦ない号令とともに、私は三人がかりで化粧台の前へと引きずり込まれた。


 ――それから半刻後。


「……ふぅ。完璧です」


 静が満足げなため息をつき、私から手を離した。

 

「もうお嫁にいけない……」と内心で涙を流しながら、私は促されるままに立ち上がり、皆の方へと振り返った。


 その瞬間。

 

 部屋の空気が、ピシリと凍りついたように静まり返った。


 明苺は口をぽかんと開けたまま固まり、桂花は目を丸くして息を呑んでいる。


 静や小蘭に至っては、まるで神仏でも目の当たりにしたかのように、呆然と私を見つめていた。


 鏡の中にいる私は、真紅と漆黒を織り交ぜた豪奢な衣を纏い、わざと隠していた白磁のような素肌を惜しげもなく晒している。


 前髪はすっきりと上げられ、凛とした知性を感じさせる瞳の端には、妖艶な薄紅が引かれていた。

 

 それは、ただの美しい女官という枠を軽々と飛び越え、見る者をひれ伏させるような、圧倒的で魔性すら帯びた「絶世の美貌」だった。


「……どう、ですか。やっぱり、私には派手すぎて似合わないんじゃ……」


 私が居心地の悪さに身じろぎすると、御簾みすの奥で一部始終を見ていた芙蓉妃が、静かに歩み出てきた。


「あらあら……」


 芙蓉妃は、目を細めて嬉しそうに微笑むと、私の頬にそっと優しく触れた。


「本当に、見事な花が咲いたわね。……凛花、今日のあなたは、間違いなくこの園遊会で一番の視線を集めることになるわ。覚悟しておきなさいな」

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