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毒味の下女は、素顔を隠して毒を喰らう  作者: 夜空
月光宮編:邂逅

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乙女たちの休息と、色づき始めた心

 後宮の厳しい規律や、張り詰めた陰謀の気配が嘘のように、その日の午後は穏やかな陽光に包まれていた。

 

 芙蓉妃フヨウヒの温かな計らいにより、凛花リンカ明苺メイメイ桂花ケイカの三人は、束の間のお休みを与えられていた。


 後宮の女官にとって、これほど贅沢な時間は他にない。


「ふふっ、お日様が気持ちいいね」


 明苺が伸びをしながら、月光宮の裏手に広がる小さな庭園に卓を並べる。


 そこには、芙蓉妃から賜った色とりどりの茶菓子と、淹れたての芳醇な香りを漂わせる茶が用意されていた。

 

 三人は、誰に遠慮することもなく腰を下ろし、温かな茶を一口含んだ。


 喉を通り抜ける熱い液体が、日々の労働で強張っていた体と心をゆっくりと解きほぐしていく。


「それにしてもさ」


 桂花が茶菓子を手に取りながら、興味津々といった様子で凛花を見た。


「昨日再会したっていう凛花のお父様――梟仙キョウセン様、本当にかっこよかったね。あんなに背が高くて、立派な武官が凛花のお父様だなんて、最初は自分の耳を疑っちゃったよ」

「本当だよね!『あれが私の愛娘だ!』なんて叫びながら部屋に入ってきたときは、何事かと思ったけど、凛花のことを本当に大切に思ってるんだなって伝わってきたよ」


 明苺も目を輝かせて頷く。


 凛花は苦笑しながら、幼い頃の父の記憶を辿る。


「うん……私も最初はびっくりした。私の記憶の中のお父様は、もっと細くて、いつも優しく微笑んでいる人だったから。あんなに『武神』なんて呼ばれるような、逞しい姿になっているなんて思いもしなかったよ」

「でも、無事に会えて本当によかった。凛花がずっと、泥で顔を隠してまで探し続けてきた人だもんね」


 桂花の言葉に、凛花は静かに頷いた。


 一人で孤独に後宮の闇を歩んできた自分を支えてくれたのは、家族への想いだった。


 再会を「おめでとう」と心から祝ってくれる友がいる幸せに、凛花の胸は温かくなった。


 美味しいお菓子でお腹が満たされてくると、話題は自然と、年頃の娘たちにありがちなものへと移っていく。


 それは、後宮という閉ざされた世界では数少ない娯楽であり、永遠の関心事だ。


「それでさ、凛花」


 明苺がいたずらっぽく片目を瞑り、凛花の顔を覗き込んだ。


「家族とも再会できたことだし……そろそろ、そういう『いい人』とかはいないの?これだけ美人なんだから、本当は隠してるんじゃない?」

「え?うーん……おこげ、かな?」


 凛花が医務室で瑞祥ズイショウに預けている猫の名前を出すと、明苺は呆れたように肩をすくめた。


「ちょっと!猫の話じゃなくて!男の人だよ」

「じゃあ、執政官様エイメイはどうなの?」


 桂花がさらりと投げた爆弾に、凛花は飲んでいた茶を危うく吹き出しそうになった。


「え、叡明様……!?なんでそこで叡明様の名前が出るの?」

「だって、執務室でずっと一緒に働いているんでしょう?あんなに冷徹そうに見えて、実は凛花のことすごく気にかけてくれているみたいだし」


 二人のニヤニヤとした視線が凛花に集中する。凛花は動揺を隠すように、少し声を張った。


「そ、そんなんじゃないってば。叡明様はただの雇い主だよ。私は、彼の胃の健康を守ったり、仕事を手伝ったりする女官として、正当に評価されているだけ」


 凛花は必死に否定した。実際、そう思っていたはずだった。

 

 けれど、言葉に出した瞬間、なぜか胸の奥がチクリと疼いた。


 それと同時に、最近の叡明とのやり取りが、鮮やかな色彩を伴って脳裏に溢れ出してきた。


 ――薬が効かなかったのは自分のせいだったと、悔しげに天を仰いだ不器用な姿。

 

 ――凛花の作った薬だと知って、照れくさそうに「お礼を言う」と口にした穏やかな声。

 

 ――そして、凛花がお父様と再会できるよう、わざわざ場を設けてくれた、あの細やかな配慮。


(……なんで、そんなこと思い出すんだろう)


 思い返せば、彼はいつもそうだ。冷たい言葉の裏に、驚くほど純粋な気遣いが隠されている。


 そのことに気づいてから、彼を見る目が変わってしまったのかもしれない。

 

 凛花の思考が止まる。


 ふと気づくと、持っている湯呑みから伝わる熱よりも、自分の頬の方が熱くなっている。


「……?凛花、顔、真っ赤だよ?」


 明苺がここぞとばかりに突っ込む。


「そ、それはお茶が熱かったから! それに、外がちょっと暑いだけ!」


 しどろもどろに言い返す凛花の姿に、明苺と桂花は顔を見合わせ、満足そうに頷いた。

 

『ただの雇い主』だと必死に言い張るものの、耳の先まで真っ赤に染まったその姿は、どう見ても恋する乙女のそれだった。


 明苺と桂花は、この微笑ましくも無自覚な初恋を、全力で応援(と、少しのからかい)をもって見守ることを、視線だけで静かに誓い合ったのだった。


「ふふっ、そういうことにしておいてあげる」


 桂花が優しく笑って、話題を変えてくれた。


「それで、二人には好きな人はいないの?」


 凛花が精一杯の反撃を試みると、桂花はさっぱりとした顔で「私はいないなー」と即答した。


「今は月光宮の仕事が一番だし、凛花や明苺と一緒にいる時間が楽しいから。男の人に振り回されるのは、まだ先でいいよ」


 どこまでも桂花らしい答えに、凛花は少し安心した。


 一方の明苺は、遠くの空を見上げながら、深い、深いため息をついた。


「私はねぇ……出会いが欲しいよ!武官の人たちの中に、きっと素敵な騎士様みたいな人がいるはずなのに。私たち、なかなかお話しする機会もないし……。はぁ、私の王子様はどこで迷子になってるのかなぁ」


 大袈裟に嘆く明苺の姿に、庭園には明るい笑い声が弾けた。

 

 風に揺れる花々の香りと、親友たちの優しい声。

 

 凛花は、自分の頬に居座る熱を自覚しながらも、この穏やかな時間がいつまでも続いてほしいと、心から願わずにはいられなかった。

 

 たとえ、その日常に少しずつ、新しい感情の色が混ざり始めていたとしても。

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