討伐隊頂点の愛娘は、完全無欠の塩対応
後宮を管理する執政官の執務室。
うず高く積まれた書類の山と格闘していた叡明のもとに、血相を変えた武官が転がり込んできた。
「ほ、報告いたします! 討伐隊頂点の梟仙様が、後宮の裏庭で女官を襲撃し……捕縛されました!」
ピシャリ、と。
叡明の手の中で、朱墨を含んだ筆が折れた。
「…………は?」
「女官二名から激しい暴行……いえ、抵抗を受け、現在は武官数名で取り押さえ、こちらへ連行中とのことです!」
静寂が降りた執務室で、叡明は静かに目を閉じ、そして深く、ひどく深く息を吐き出した。
ズキズキと痛むこめかみを指で揉みほぐしながら、傍らに控える側近の高星に手を差し出す。
「高星……いつもの胃薬をくれ。医務室の瑞祥から分けてもらった、一番強いやつだ……」
「はっ。すぐにお持ちします」
胃薬を水で流し込み、どうにか心を落ち着かせた頃。
執務室の重厚な扉が開かれ、数人の武官に両脇を固められた梟仙が連行されてきた。
『女官を襲って捕まった』という破廉恥極まりない報告とは裏腹に、当の梟仙は全く悪びれる様子がない。
それどころか、後光が差しているのではないかと錯覚するほど、ホクホクとした満面の笑みを浮かべていた。
「叡明殿! 邪魔するぞ!」
「……邪魔をしている自覚があるなら、今すぐそのふざけた顔をしまえ。後宮内で一体何を起こしたのか、一から説明してもらおうか。状況によっては、討伐隊頂点と言えど処分を免れないぞ」
叡明が冷ややかに睨みつけるが、梟仙の耳には全く届いていないようだった。
彼は胸を張り、執務室に響き渡るような大声で堂々と宣言した。
「見つけたのだ! あれが、私の長年探し求めていた愛娘だ!!」
その言葉に、叡明は一瞬虚を突かれた。
『愛娘』
その単語を聞いた瞬間、叡明の脳内で、これまでの不可解な出来事が凄まじい勢いで結びつき始めた。
(……待てよ?)
叡明の脳裏に、かつて酒の席で無理やり見せられた『幼い娘が描いた家族の絵』が蘇る。
あそこに描かれていた少女の面影。
そして何より、一介の女官が持つはずのない、あの凛花の規格外の知識と度胸。
「……なるほど。そういうことか」
叡明は天井を仰ぎ見て、本日二度目となる深いため息をついた。
自分に的確な助言を与えてくれたあの底知れぬ女官の出自が、目の前で嬉しそうに鼻息を荒くしているこの最強の変人だとすれば。
すべて、見事に辻褄が合ってしまうではないか。
「……念のため、当人を呼んで確認を取る。高星、凛花をここへ」
しばらくして、執務室の扉が控えめにノックされ、凛花が入室してきた。
その姿を視界に捉えた瞬間、梟仙の目がカッと見開かれる。
「おおっ! 凛花ぁぁぁっ!!」
「止めろ!!」
弾かれたように飛びかかろうとした梟仙を、叡明の怒声とともに高星と武官たちが必死の形相で羽交い締めにして止める。
「離せ! 愛娘との感動の再会だぞ! 凛花! 父の胸に飛び込んでおいで!」
「……」
騒ぎ立てる大男を前に、凛花は執務室の入り口でピタリと足を止めていた。
その顔には、一切の感情が乗っていない。
いや、正確には『心底関わり合いになりたくない』という、絶対零度の拒絶感が張り付いていた。
叡明は暴れる梟仙を武官たちに押さえ込ませたまま、静かに凛花に尋ねた。
「……彼が、君の父親だと言っているが」
凛花は、床を這う虫でも見るような冷ややかな目で梟仙を一瞥し、一切の躊躇なく言い放った。
「人違いです」
「凛花!?」
「あんな変な人と関わったことは、私の人生において一度たりともありません。全くの無関係です」
武官たちは、あまりの剣幕に気圧され、揃って息を呑んだ。
最強の武官を前に、ここまで言い切れる娘がこの世にいるのか、と。
しかし、梟仙の楽観ぶりは常人の理解を遥かに超えていた。
「おお……! なんということだ、照れているんだな! 恥ずかしがる姿も可愛いぞ! 難しい年頃もまた愛おしい!」
「……頭の病気ではないでしょうか。瑞祥様の診察をお勧めします」
「辛辣なところもママにそっくりだ! 素晴らしい!」
全くめげない梟仙と、蔑みの目を向ける凛花。
完全に他人の家庭の事情(しかも超絶に面倒な部類)に巻き込まれた形となった叡明は、三度目のため息をつき、ひくひくと引きつるこめかみを押さえた。
「……もういい。事情は分かったから、これ以上後宮内で騒ぎを起こすな。梟仙、お前は直ちに討伐隊の詰め所へ戻れ。不審者として処分しないだけありがたいと思え」
「む、そうは言ってもだな……」
「戻れ。次騒ぎを起こせば、娘のいる後宮への出入りを一切禁ずるぞ」
叡明の『出入り禁止』という明確な脅し文句に、さしもの梟仙も口をつぐみ、渋々といった様子で引き下がった。
「……もう、帰って仕事をしていいですか」
大きなため息をつき、心底疲れたような声で凛花が問う。
「ああ。ご苦労だった」
叡明が頷くと、凛花は踵を返し、未だに「凛花〜! また後でな〜!」と手を振る梟仙を一瞥もすることなく、足早に執務室を去っていった。
残された叡明は、机の上に置かれた胃薬の包みを恨めしそうに見つめながら、さらに厄介なことになりそうな後宮の未来に、ただただ頭を抱えるしかなかった。




