瑞蓮の雪解けと、薬師の密かな処方箋
お茶会でのヒリヒリとした攻防から数日後。凛花は一人、麗妃が主を務める瑞蓮宮を訪れていた。
突然の訪問に、瑞蓮宮の侍女たちは露骨に警戒の色を見せたが、凛花が「芙蓉妃からの使い」と告げると、渋々ながら麗妃の私室へと案内された。
部屋の中には、豪奢な調度品に囲まれて不機嫌そうに扇を揺らす麗妃の姿があった。
「……芙蓉からの使いですって? お茶会の嫌がらせの文句でも言いに来たのかしら?」
ツンと顎を上げる麗妃に対し、凛花は静かに、そして深く頭を下げた。
「いいえ。本日は、芙蓉様の大切なご友人であられる麗妃様に、本当の意味でお喜びいただきたく参上いたしました」
「本当の意味で……?」
いぶかしげに眉をひそめる麗妃から視線を外さず、凛花はまっすぐに告げた。
「麗妃様。手足のひどい冷えと、それに伴うお肌の乾燥……そして、美しくあらねばならないという強い重圧による不眠にお悩みではありませんか?」
ピタリ、と麗妃の扇が止まる。
その美しい顔に、明らかな動揺が走った。
「な、なぜそれを……! まさか、私の侍女を……」
「誰からも聞いておりません。先日の茶会で、麗妃様のお顔色、指先のわずかな動き、そして好まれる香の匂いや所作から推察いたしました」
凛花は淡々と、しかし優しさを含んだ声で続ける。
「麗妃様のお肌は本来、透き通るように美しいはずです。しかし、体が冷え切っていることで血の巡りが滞り、乾燥を招いております。さらに、その焦りや重圧が夜の眠りを浅くしている……違いますでしょうか?」
図星を突かれ、麗妃はわずかに唇を噛んだ。
美への執着が強い彼女にとって、不調を抱えていること自体が認めがたい事実だったのだろう。
しかし、凛花の目には一切の嘲笑や憐れみはなく、ただ純粋な『医』の心だけがあった。
「本当は、お体に合った薬膳料理をすぐにお出しできればよいのですが、今は芙蓉様の毒味役という立場上、頻繁にこちらへ伺い厨房に立つことは難しく……。ですので、本日はご自身で簡単にできる改善法をお伝えに参りました」
凛花は、朝起きてすぐの白湯の飲み方、首・手首・足首を温めることの重要性、そして高ぶった神経を鎮めるための簡単なツボ押しなどを、わかりやすく丁寧に説明した。
初めはツンケンしていた麗妃だったが、凛花の的確で理にかなった説明を聞くうちに、真剣な表情へと変わっていった。
説明を終え、凛花が一礼して立ち去ろうとしたとき、背後から小さな声が聞こえた。
「……ふん。そんな簡単なことで変わるわけないじゃない」
振り返ると、麗妃はぷいとそっぽを向きながら、少しだけ頬を染めていた。
「でも……まあ、試してあげてもいいわ。……時間ができたら、また瑞蓮宮にいらっしゃい」
その言葉に、凛花はふわりと微笑んだ。
「はい。喜んで」
月光宮に戻った凛花は、事の顛末を芙蓉妃に報告した。
「まあ、あの子がそんな素直なことを……。ふふっ、凛花、本当にありがとう」
安堵して微笑む芙蓉妃を見て、凛花はもう一つの作業に取り掛かるため自室へ向かった。
夜更けの部屋で、凛花は医務室の瑞祥から分けてもらった生薬を並べ、すり鉢を手に取る。
麗妃の体質——冷えと乾燥、そして不眠——に完全に合わせた専用の薬水を作るためだ。
血行を促進する生薬と、精神を安定させる香りを絶妙な配合で調合していく。
完成したそれは、芙蓉妃のものとはまた違う、甘く落ち着く香りのする極上の薬水となった。
凛花はそれを美しい小瓶に詰め、あくまで『芙蓉妃からのお詫びと友情の印』という名目で、翌朝瑞蓮宮へ届けるよう手配した。
それから数日後。月光宮に一通の手紙が届いた。
送り主は麗妃。芙蓉妃がくすくすと笑いながら、凛花にその手紙を見せてくれた。
そこには、流麗な字でこう書かれていた。
『先日は失礼したわ。あなたから届いた品、まあ……悪くないわね。特別に使ってあげてもよくてよ。お肌の調子も、ほんの少しだけマシになった気がするわ。……次のお茶会も楽しみにしているわね』
どう見ても素直に謝れない自尊心の高さが滲み出ている。
素直になれない意地っ張りな可愛らしさに、凛花も思わず吹き出してしまう。
「ふふっ、本当に……可愛らしい方ですね」
この一件以降、月光宮へのあからさまな嫌がらせはピタリと止んだ。
この騒動は穏便に幕引きとなったが、女たちの口に戸は立てられない。
「新しく来た毒味役……ただの女官じゃないわ。あの麗妃様を手懐けるなんて」
凛花の『毒味役』そして『凄腕の薬師』としての評価は、彼女が気づかないところで、また一つ大きく跳ね上がっていたのだった。




