花の雫の贈り物と、家族を探す大男の鋭い眼光
月光宮に到着すると、入り口で小蘭がパタパタと小走りで出迎えてくれた。
「凛花!いらっしゃい、こっちこっち!」
相変わらず元気な彼女に案内され、私は月光宮の奥へと進む。
通された部屋には、ふんわりとした柔らかい空気を纏う芙蓉妃と、その傍らに立つ侍女頭の静がいた。
私が部屋に入ると、静は丁寧にお辞儀をした。
「いらっしゃい。急に来てもらうことになってしまって、ごめんなさいね」
芙蓉妃が、花が咲くような微笑みを向けてくれる。
「いえ。しばらくの間、毒味役としてこちらでお世話になります、凛花です」
私は深く頭を下げた後、持参した小袋から『花の雫』を取り出し、芙蓉妃へと差し出した。
「これは……?」
「私が調合した肌を潤す秘薬です。お肌の調子を整える効果があるので、よろしければお使いください」
「まぁ!嬉しいわ、ありがとう」
芙蓉妃がパァッと顔を輝かせるのを見て、私も思わず頬が緩んだ。
その後、静に連れられて、私がしばらく寝泊まりする部屋へと案内された。
部屋に着くなり、静が少し言いにくそうに口を開いた。
「凛花は、毒味だけでなくお料理も作ったりするのかしら?」
「ええ、少しばかりですが。ただ、こちらには優秀な料理担当の方がいらっしゃるとお聞きしていますが……」
私が答えると、静は深くため息をついた。
「何か、お困りごとですか?」
「……この前の、毒事件があったじゃない? 直接的な被害は防げたけれど、あの毒騒動に当てられて、怯えて辞めてしまった侍女が何人かいるの」
「それに、あんなことがあったから芙蓉妃様も慎重になられていて、新しい人をすぐに入れるわけにもいかず……正直、かなり人手が不足しているのよ」
なるほど。確かに命に関わる事件があった後では、月光宮全体がピリピリするのも無理はないし、人が減るのも仕方がない。
「私でよければ、お手伝いしますよ。毒味だけでは時間を持て余してしまいますし、厨房の手伝いでも雑用でも、何でもお申し付けください」
私がそう申し出ると、静は「本当に助かるわ」と、心底安堵したような表情を浮かべた。
――その頃、執政官である叡明の執務室には、一人の大柄な人物が訪問していた。
「やぁ執政官殿。最近いろいろと問題ごとが多くあったようだが、無事解決したようで何よりだ」
朗らかに、しかし部屋全体を圧迫するような異様な存在感を放つその男。
後宮の警備や外敵の排除を担う討伐隊の頂点に立つ武官、梟仙である。
書類から顔を上げた叡明は、あからさまに嫌そうな顔をして眉間を揉んだ。
「……梟仙殿。急にどうされたのですか。また『見回り』と称して警備の目を掻い潜ってきたのでしょう。それに……」
叡明はジロリと梟仙を睨みつけた。
「最近も、娘や妻が描かれた似顔絵に『似ているから』という理由で、通りすがりの女官に泣きながら抱きついて騒ぎを起こしたそうだな。いい加減にしないか」
その指摘に、梟仙は「はっはっは!」と豪快に笑った。
「いやぁ、後ろ姿がすっかり愛しい妻に見えてしまってね!我が娘と妻への愛ゆえの行動、許していただきたい!はっはっは!」
「笑い事ではない。不審者扱いされて討伐隊が出動しそうになったと報告が来ているんだぞ」
呆れ果てる叡明をよそに、梟仙は全く堪えた様子もなくニコニコと笑っている。数年前に後宮へやってきて瞬く間に武官のトップに上り詰めたというのに、この男はどこか常識が欠落している。
「まぁ、今日は見回りで寄っただけですよ。……それと、少し面白い噂も耳にしましてね」
梟仙の声色が、わずかに変わった。
「あなたのところにいる女官が、最近の事件でずいぶんと活躍したとか」
「えぇ、おかげさまで。私の優秀な女官が解決してくれましたよ」
叡明が自慢の部下を誇るようにふっと微笑んで答えた瞬間――。
「ほぅ……」
先ほどまでの脳天気な親バカの顔が、完全に消え失せた。
部屋の空気が一瞬で凍りついたかのような錯覚。
研ぎ澄まされた刃を突きつけられたような、鋭く、すべてを見通すような武の頂点に立つ者の眼光。
そのあまりの豹変ぶりに、叡明ですら一瞬息を呑むほどの重圧が部屋を満たした。
しかし、それもほんの一瞬のこと。
「……できればその優秀な女官殿に会っておきたかったが、今日は不在のようですね。また次回の楽しみとしておきましょう」
梟仙は再び、いつもの朗らかな顔に戻っていた。
「さて。前にも見せたと思うのだがね、幼い娘が描いてくれた絵の家族……妻と娘に関して、何か新しい情報はないかね?」
懐から大切そうに、何重にも包まれた布を取り出しながら梟仙が尋ねる。
「申し訳ないが、そのような話は私のところには届いていないな」
「そうですか。毎日、上級妃たちの様子や後宮内を回っていると聞いたので期待したのですが……残念だ。では、私はこれで失礼するよ」
梟仙は大きな背中を向け、音もなく部屋から去っていった。
嵐が去った後のような静寂の中、叡明は大きくため息をついて頭を抱えた。
そこへ、奥の部屋から高星が温かい茶を持って現れた。
「お疲れ様です、叡明様。……凛花殿がちょうど不在の時でよかったのかもしれませんね」
高星が苦笑いしながら茶を置く。
「あぁ、全くだ。あんな面倒な男に関わらせるわけにはいかない」
そう吐き捨てながら茶を一口飲んだ叡明だったが、ふと、先ほどの梟仙の鋭い眼光を思い出した。
(梟仙のあの目……どこかで見覚えがあるような気がしたが……)
脳裏に、同じように強い意志を秘めた凛花の顔が重なった。
(……いや、まさかな)
叡明は小さく首を振り、再び山積みの書類へと視線を戻すのだった。




