賑わう市場と、花香る約束
温かい食卓だった。
湯気を立てる料理を囲み、お母様とお父様が優しく微笑んでいる。
そんな幸せな家族の夢を見て、凛花はふわりと目を覚ました。
隣の寝台を見ると、昨日までスースーと無防備な寝息を立てていた秋英の姿はすでになかった。
自分の方が遅く起きてしまったのかと少し慌てて身支度を整え、部屋の扉を開けようとしたその時。
「おはよう、凛花!」
勢いよく扉が開き、朝陽のような眩しい笑顔の秋英が顔を出した。
「あ、おはよう……。早いね」
「うん! 今日は市場を案内したくて、早起きしちゃった。さあ、軽く朝ご飯を食べたら出発だよ!」
宿の簡素な食事を早々に済ませた二人は、村の中心にある賑やかな市場へと繰り出した。
そこは、今まで通り過ぎてきた村々とは比べ物にならないほどの活気に満ちていた。
色とりどりの布地や見慣れない工芸品が並ぶ中、凛花の視線を釘付けにしたのは、やはり薬草を扱う天幕だった。
「わぁ……!」
山積みにされた薬草の束を見て、凛花は思わず駆け寄る。
「これは……『白星草』! こんなに状態のいいものが市場に出回るなんて。それにこっちは……」
凛花の指先が、小さな丸い葉を持つ見慣れた薬草でピタリと止まる。
「これ、お母様と一緒によく摘みに行った草だわ……」
幼い頃、熱を出した時にこれでお茶を淹れてくれた。母の優しい手つきと、少し苦いけれどホッとする匂いが脳裏に蘇る。
「凛花ちゃん、これなぁに?」
秋英が横からひょっこり顔を出した。
「こっちはね、解熱作用がある薬草なの。でも、こっちの赤い根っこは……本草書でも見たことがない。すごい、どんな効能があるんだろう……!」
目を輝かせ、未知の薬草を食い入るように見つめてぶつぶつと呟く凛花を見て、秋英は「ふふっ」と楽しそうにくすくす笑った。
「凛花って、本当に薬草のことが好きなんだね。さて、薬草の次はお腹を満たさなきゃ!」
秋英に手を引かれるまま、今度は食べ歩きの時間となった。
朝食を軽く済ませたのは、このためだったらしい。
まずは香ばしい匂いを漂わせる肉の串焼きを二人で頬張り、肉汁の熱さに息を吹きかけながら笑い合う。
しばらく歩くと、ふわりと甘く、どこか懐かしいような華やかな香りが鼻をくすぐった。
「あ、これこれ! 私これ大好きなんだよね」
秋英が屋台で買ってきたのは、小さな丸い揚げ菓子だった。表面には黄金色のとろりとした蜜が絡められている。
「はい、凛花も食べてみて。これ、特別な花のお砂糖を使ってるんだって」
一口かじると、サクッとした食感の後に、上品で華やかな甘さが口いっぱいに広がった。
「美味しい……! 花の香りが鼻に抜けて、全然くどくない」
「でしょ? 私の故郷のほうでも、こういうお菓子があってね。これを食べると元気がでるんだ」
秋英は嬉しそうに目を細め、二人で甘いお菓子を頬張りながら市場を練り歩いた。
夕暮れ時。
西日が市場を茜色に染め始めた頃、人混みの向こうから秋英の護衛が小走りで近づいてきた。
「秋英様、少しよろしいでしょうか」
「あ、うん。凛花、ごめんね。ちょっとお話してくるから、ここで待ってて」
そう言って離れていく秋英の後ろ姿を見送りながら、凛花は一人、夕暮れの市場を見渡した。
(……こんなに楽しい一日を過ごしたのは、いつぶりだろう)
黒蓮の屋敷での息を潜めるような生活を思い返し、今の穏やかな時間に、凛花は自然と笑みをこぼした。
一足先に宿の部屋に戻って一息ついていると、数分後に秋英も帰ってきた。
どこか真剣な表情をした秋英は、凛花の向かいに座ると静かに口を開いた。
「ねえ、凛花。実は次の村が、私の帰り道と同じ最後の場所なんだ。そこに着いたら後宮と方角が違うから、もう馬車は使えなくなっちゃうの」
それは、いつか必ず来る別れの時。
凛花も頭の片隅では分かっていたことだった。
「今まで送ってくれて、本当にありがとうございました。すごく助かりました」
凛花が深く頭を下げると、秋英は慌てて手を振った。
「違うの、違うの! 私、凛花のことほっとけないよ。だから……次の村に着いたら、私も凛花と一緒に後宮を目指してもいいかな?」
「えっ……?」
凛花は目を丸くした。
「でも、私……旅のお金ももうそんなに残ってないし、ここからはずっと歩きになるかもしれないよ? 危険なこともあるかもしれないし……」
「それでも、一緒がいい」
秋英のまっすぐな瞳が、凛花を捉えた。
「お金のことや移動のことは、次の村に着いてから二人で考えよう? ね?」
秋英の底抜けの優しさと心強さに、凛花の胸の奥がじんわりと温かくなる。
「……うん。一緒に行こう」
凛花が力強く頷くと、秋英は太陽のような満面の笑みを浮かべた。
その日の夜は、いつも以上に会話が弾み、二人の笑い声が部屋に響き渡っていた。
明日の旅路が、いっそう楽しみになっていた。




