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毒味の下女は、素顔を隠して毒を喰らう  作者: 夜空
過去編:黒蓮の日常

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鳥籠の終わる夜、交わした指切り

 冷たい石の机の上に広げられた見取り図を前に、蓮夜レンヤは感情の抜け落ちた声で今回の標的に関する情報を読み上げた。


「標的は、この森の奥深くに広大な別邸を構える地方領主だ。民から重税を搾り取り、私腹を肥やす下劣な豚だが、金で雇った腕利きの護衛を多数抱え込んでおり、屋敷の警備は厄介なほどに厳重だ」


 蓮夜の冷ややかな視線が、私と小鈴シャオリンちゃんへと向けられる。


「明日の夜、その別邸で悪趣味な秘密の宴が開かれる。お前たちは、外部から呼ばれた給仕と踊り子に扮して潜入しろ。宴の最中、標的の意識が酒と欲に向いている隙を突いて毒を盛り、確実に始末するんだ。……俺は明日から、隣の領地へ別件の暗殺任務に向かう。数日は戻らん」

「蓮夜様は、ご同行されないのですか?」


 私が微かな驚きを装って尋ねると、蓮夜は忌々しそうに鼻を鳴らした。


「あんな下劣な豚の相手など、俺が直接手を下すまでもない。お前たち二人で十分だ。……俺がいないからといって、無様な失敗だけはするなよ」

 

 それだけ言い捨てると、蓮夜は闇を纏うような黒い外套がいとうを揺らし、足音だけを響かせて部屋を出て行った。


 重い扉が閉まり、遠ざかる足音が完全に聞こえなくなった瞬間、私と小鈴ちゃんは、同時に大きなため息をつき、顔を見合わせた。


「……聞いた、凛花ちゃん。蓮夜様、別の任務で数日は戻らないって!」

「ええ。こんな絶好の機会、神様が用意してくれたとしか思えないわ」

 

 私は震える手で、懐に忍ばせていた小瓶『鏡花きょうかしずく』をそっと撫でた。


 今回の任務の舞台は、森の奥深くにある領主の別邸。

 

 そして見取り図によれば、その裏手には『行き倒れや罪人を捨てるための林』が広がっている。


「明日の夜、宴の席で私は標的の杯に毒を盛る。……でも安心して、使うのは致死の毒じゃないわ。私が調合した、飲めば一瞬で泡を吹いて倒れるけれど、半日もすれば自然に解毒されて目を覚ます『特製の麻痺薬』よ」

「うん。わたしは凛花ちゃんの調合を信じてる。誰も殺さずに済むんだね」


 小鈴ちゃんがホッとしたように胸をなでおろす。


「標的が倒れて宴の席が大混乱になった瞬間、私たちも『鏡花の雫』を飲むわ。そして、空になった毒の小瓶をわざと手に握りしめて倒れるの。護衛たちは間違いなく、暗殺者である私たちが任務を終えて服毒自殺したと思い込むはず。……自分たちの保身のために、屋敷を汚す死体なんてすぐに裏の林へ放り投げて処理するわ」


 それこそが、私たちの狙いだった。


 蓮夜が不在の今、私たちが林に捨てられれば、黒蓮の者が死体を確認しに来るまでに、私たちが遠くへ逃げ遂せるだけの『決定的な遅れ』が生じる。

 

 首元の『鈴蘭の模様』が散り、私たちが再び目を覚まして逃走するだけの時間を、確実に稼ぐことができるのだ。


 その夜。

 

 私たちは、これが最後になるかもしれない黒蓮での夜を、一つの小さな寝台で身を寄せ合って過ごした。

 

 明日、もし『鏡花の雫』の効き目が予想と違ったら。もし、林に捨てられずにその場で切り刻まれたら。


 考え出せばキリがないほどの恐怖がすぐ足元に口を開けていたけれど、不思議と私たちの心は、これまでで一番穏やかだった。


「ねえ、凛花ちゃん。……明日、無事に目が覚めたら、本当に別々の道を行くの?」

 

 毛布の中で、小鈴ちゃんがポツリとこぼした。その声は微かに震え、繋いだ手にぎゅっと力がこもる。

 

 二人で一緒に逃げられたら、どんなに心強いか。けれど、黒蓮の追手を確実に撒くためには、目立ちやすい二人行動は絶対に避けなければならない。


 私は彼女の冷たくなった手を、両手でしっかりと包み込んだ。


「ええ。目が覚めたら、そこから先はお互いに一人よ。とにかく自分が目指すべき場所へ、光のある外の世界へ向かって一歩でも遠くへ逃げるの。……でも、大丈夫。お互いが生きてさえいれば、絶対にまた会えるから」

「……うんっ。約束する。絶対に生き延びて、また会う」


 小鈴ちゃんは涙ぐみながらも、私の小指に自分の小指を絡め、強く引いた。


 重苦しい死の匂いしかしないこの部屋で、私たちは初めて、明日への希望を口にした。


「外に出たら、一番最初に何が食べたい?」

「わたしはね、熱々のお肉が入った肉饅頭! あと、甘いお団子も!」

「ふふっ、食べ物のことばかりね。私は……そうね、お母様がよく作ってくれた、優しい味のお粥が食べたいな」

「また会えたら、美味しいものをたくさん食べようね!」

「うん、約束だよ」

 

 クスクスと、声を押し殺して笑い合う。明日の今頃には、私たちは自由になっているかもしれない。そんな途方もない夢物語が、今はすぐ目の前にあるのだ。

 

 やがて、極度の緊張と安心感が入り混じった心地よい疲労の中で、私たちはどちらからともなく静かな眠りについた。


 ――翌朝。

 

 窓の隙間から差し込む、白み始めた朝日が部屋を照らす。

 

 私は目を開け、隣で規則正しい寝息を立てる小鈴ちゃんの頭を優しく撫でた。

 そして、そっと身を起こし、任務のための簡素な衣服へと着替える。


「……行くわよ、小鈴ちゃん」

「うん。行こう、凛花ちゃん」

 

 二人で鏡の前に立ち、踊り子と給仕としての完璧な作り笑いを浮かべてみせる。

 

 もう、後戻りはできない。

 

 私たちは決意を胸に秘め、十数年もの間囚われ続けた暗殺一族の重い扉を、二度と帰らない覚悟で押し開けたのだった。

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